023 クラスメイトの襲撃・参
彼は、気絶している笠井を一瞥すると、まるで散らかった部屋にでも入ってきたかのように困った笑顔を浮かべた。
「これ以上の争いは避けましょう。せっかくの才能が傷ついてしまいますから」
その登場に、加賀瀬たちはもちろん、錬暖さえもが目を剥いた。
「ろ、楼門部長!?」
錬暖の声が裏返る。彼のシナリオにも、この男の介入などなかったはずだ。
「てめぇ……!」
加賀瀬は反射的に身構えた。本能が告げている。目の前の錬暖など比較にならないほどの「何か」が、この男にはあると。
トウフもまた、圧を緩めはしたが、その隻眼を細めて警戒心を露わにした。
「……また新キャラが来たね」
トウフが溜息交じりに呟く。その全身の毛が、ピリピリと逆立っているのが分かる。
「部長、どうしてここに!?」
錬暖がすがりつくように尋ねると、楼門は事もなげに笑って答えた。
「最初から来るつもりでしたよ。心配性なものでね」
楼門は錬暖の横を通り過ぎ、加賀瀬の方へと悠然と歩みを進めた。武器を構えるでもなく、殺気を放つでもない。ただの散歩のような足取りが、逆に恐ろしかった。
「いやー、それにしても驚きましたよ。加賀瀬君、いつの間に『魔斬使い』になったんですか?」
その単語が出た瞬間、加賀瀬とトウフの動きが止まった。
「……なんでそれを」
「実はこっそり、遠くからドローンで先ほどの闘いを見させてもらっていましてね」
楼門は空中の見えない一点を指差した。
「最初は貴方の力の源が何なのか、はっきりしていなかったのですが……そちらのベルセルクのお方のオーラを感じて確信しました。ああ、これはまさに、『天』と呼ばれる外界のエネルギーを使った、知る人ぞ知る戦闘技術だと」
楼門の視線が、加賀瀬からトウフへと流れる。
「魔那を使わず、自然の理を盗んで戦う技術。噂ではその力を使うには代償が……まぁ、深く考えるのはよしとしましょう」
「よく勉強しているね」
トウフが皮肉っぽく返す。
「一応、アルカディアの管理部長ですので。世界の『異物』については一通り把握しておかないと」
楼門は悪びれもせず、にこりと微笑んだ。
「なるほど、キミもアルカディア側の人間か。しかも管理部長」
トウフは肩をすくめ、再びその巨体に闘気をみなぎらせた。
「それなら話が早いな。ボクたちの要求はシンプルだ。ドーモスさんとナランちゃんの解放を望んでいる。……応じてくれるかな?」
トウフが一歩踏み出す。
大気を震わす殺気。錬暖ならそれだけで腰を抜かしていただろう。だが、楼門は眉一つ動かさず、ただ静かに片手を前に出した。
「お待ちを」
制止の言葉は短かった。だが、そこには物理的な壁があるかのような拒絶の響きがあった。
「ですから、これ以上の不毛な争いはよしませんか? 私がここに来た理由は、まさにそれです」
楼門は懐から一台のタブレット端末を取り出すと、加賀瀬の方へゆっくりと歩み寄り、その画面を突き出した。
「どうぞ。ご覧ください」
加賀瀬は警戒しつつも、画面に目を落とした。
瞬間、彼の全身の血が逆流した。
「……なッ!?」
画面に映し出されていたのは、無機質な白い病室だった。
そこには、全身に無数のチューブやセンサーを取り付けられ、ベッドに拘束された小さな少女――ナランの姿があった。
彼女は眠っているのか、あるいは意識がないのか、ピクリとも動かない。その横には心電図のモニターが無機質な波形を描いている。
「加賀瀬君、貴方に選択肢はありません」
楼門の声から、先ほどまでの温度が消え失せた。
そこにあるのは、システムそのもののような冷徹な宣告だけだった。
「素直に言うことを聞いていただきたい。我々と一緒に、アルカディアにご同行を」
「――ふざけるなッ!」
トウフが激昂し、楼門との間に割って入ろうとした。
「さっきも彼に言ったんだけど、ボクたちは脅しに屈するつもりは――」
「武力行為の介入は、彼らの死を意味します」
楼門はトウフを見ようともせず、ただ加賀瀬の瞳だけを見つめたまま言い放った。
その手元のタブレット画面――ナランの横にある生命維持装置のような機械に、赤いアイコンが点滅している。
「私や彼のの心拍数が一定以上上昇した場合、あるいは私が外部からの操作を行った場合……ナランさんとドーモスさんに、同時に致死性の薬剤が投与されるプログラムになっています」
楼門は氷のような瞳で、巨大なベルセルクを睨み据えた。
「トウフさん、貴方のその拳は素晴らしい。私など一撃で粉砕できるでしょう。……ですが、貴方がその腕を振り上げた瞬間、あの幼い命は消える。これはハッタリではない」
トウフの足が止まった。
握りしめた拳が、行き場を失って震えている。
完全なるチェックメイト。
加賀瀬は唇を噛み切りそうなほど強く食いしばり、目の前の男を睨んだ。
怒りで視界が赤く染まる。体内の『天』が暴走しそうになる。だが、画面の中のナランの寝顔が、彼を現実に縛り付けていた。
「……卑怯だぞ、てめぇら」
「利口な手段だと言っていただきたい。暴力を振るうだけの貴方がたを説得するためにはこれぐらいのことをしないと」
楼門は再び、あの完璧な営業スマイルを張り付けた。
その指先はタブレットの画面から数ミリ浮いた場所で静止している。彼が指を降ろせば、遠く離れた病室の酸素供給は断たれる。完全なるチェックメイトだ。
加賀瀬は絶望に沈む目で、そのタブレットを見つめるしかなかった。詰みだ。力でどうにかできる局面じゃない。
楼門は加賀瀬たちの戦意が削がれたのを確認すると、制服の内ポケットにタブレットを丁寧にしまった。
そして、傍らで殺気を放ち続けているトウフへと静かに目を向けた。
「それとも、言葉だけでは足りませんかね?」
楼門はそう言うと、トウフの姿に二本の指を添えるように前に出し、空中の埃を払うかのように、スッ……と横にスライドさせた。
――ヒュン。
風切音すらなかった。
ただ、世界の一部が「切り取られた」ような違和感だけが残った。
「……え?」
楼門以外の誰もが、その光景に目を見開いた。
刹那の出来事に、誰も頭が回らない。
加賀瀬の隣にいたはずのトウフの巨体が、一瞬にして消滅し――気づけば、遥か後方、十メートルも離れた資材置き場の前に立っていたのだ。
トウフは棒立ちのまま虚空を掴んでいた。
彼自身さえも理解できていない。自分がなぜ、ここにいるのか。先ほどまで楼門を睨みつけていたはずなのに。移動した感覚すらない。まるで、最初からそこに立っていたかのように、世界の座標が書き換えられていた。
トウフは細めた目で、遥か遠くにいる楼門を睨んだ。背筋に冷たいものが走る。
(今のが彼の能力? 相手を強制的に転移させる類いか?)
「まあ、そういうことです」
楼門が、手品の種明かしもしないまま、不敵な笑顔を見せた。
「私としても、話し合いで済むならそうしたい、ということですよ。無駄な労力はコストの無駄ですから」
そして楼門は、またも二本の指を虚空に添えた。
今度は、加賀瀬善嗣の輪郭をなぞるようにして。
指先が、手前にクイッと引かれる。
「――!?」
加賀瀬の視界がブレた。
浮遊感も、風圧もない。瞬きをした次の瞬間には、風景が一変していた。
目の前に、楼門の整いすぎた顔があった。
距離、ゼロメートル。
「なっ……」
驚愕する加賀瀬は、ただ固まるしかなかった。反射的に殴ろうにも、距離感が狂わされ、脳の処理が追いつかない。
そんな加賀瀬の硬直を見透かしたように、楼門はすかさず口を開いた。
「加賀瀬君、是非アルカディアにてお話しましょう。――この『世界』の真実を」
楼門は加賀瀬の傷だらけの右手を強引に掴み取ると、無理やり握手を交わした。
その掌は冷たく、そして万力のように強かった。
逃がさない。拒否権などない。その握手は、友好の証ではなく、絶対的な支配の契約だった。
「貴方には、聞きたいことが山ほどありますので」
耳元で囁かれる甘く冷徹な響き。
加賀瀬は、握手された右手を振りほどくことはできなかった。
目の前の男から発せられる底知れない威圧感に押されているのも一因かもしれない。だが何より、今ここで抗うことが、あの老医と孫娘にとって「死」という結果をもたらすのは目に見えていたからだ。
加賀瀬は唇をぎゅっと噛みしめた。鉄の味が広がる。
屈辱と、無力感。だが、今は飲み込むしかない。
「イエス、ということでよろしいですね」
楼門は加賀瀬の沈黙を同意と受け取り、満足げに頷くと、少し離れた場所にいる部下へと目を向けた。
「錬暖さん、彼らの後処理をお願いしますね」
楼門は、地面に無様に転がっている笠井たちを目配せしながら言った。
錬暖は青ざめた顔で、直立不動の姿勢を取る。
「は、はいっ! 直ちに!」
「ちょっと待ってくれ」
その時、トウフが低い声を挟んだ。
十メートル後方から、殺気を孕んだ瞳で楼門を射抜いている。
「なんでしょう?」
不敵な笑みを見せる楼門は、そこでやっと加賀瀬から手を離した。
「加賀瀬君を一度追放したアルカディアが、どうして今になって彼を欲しがる? NULL判定を下してゴミのように捨てたくせに、虫が良すぎるんじゃないかい?」
トウフの問いはもっともだった。無能力者として切り捨てたはずの少年を、幹部自らが出張ってまで回収に来る。その矛盾。
だが、楼門は動じない。
「転移人のリクルートも、シンプルではない、とだけ言っておきましょうか」
楼門は加賀瀬を見た。その瞳の奥には、値踏みするような、あるいは実験動物を見るような、冷ややかな好奇心だけが揺らめいている。
「時には、捨てたゴミの中にダイヤモンドが混じっていることもある。……あるいは、ゴミだと思っていたものが、爆弾だったりして」
意味深な言葉を残し、楼門は背を向けた。
加賀瀬は、その背中に向かって声を絞り出した。
「おい」
「はい?」
楼門が振り返る。
加賀瀬は、真っ直ぐにその瞳を見据えた。媚びもせず、怯えも見せず。対等な取引相手として。
「俺が捕まる代わりに、じいさんたちは逃がしてやってくれ。……それが条件だ」
それが、今の自分に切れる唯一の手札であり、最後の願いだった。
楼門は一瞬きょとんとした後、花が咲くようなにこやかな顔を示した。
「ええ、もちろんですとも。貴方が大人しくしていれば、ドーモスさんとナランさんは無事に家に戻しますよ。なんなら、破壊してしまった住居の修繕費も我々が持ちますので」
あまりにあっさりとした承諾。だが、それが逆にこの男の不気味さを際立たせる。約束を守る誠実さか、それとも弱者を弄ぶ余裕か。
楼門は廃工場の出入り口へと足を一歩踏み出した。
「では、行きましょうか」
楼門に促され、加賀瀬は一歩を踏み出した。
トウフの方を振り返ることはしなかった。
振り返れば、決意が鈍る。今はただ、この屈辱を胸に刻み、敵の懐へと飛び込むだけだ。
加賀瀬善嗣は、楼門の背中を追って廃工場の外へと姿を消した。
残された廃工場には、トウフの悔しげな唸り声と、無機質な風の音だけが響いていた。




