020 ファントムオーダー
アルカディアの医療技術が、地球のそれとは比較にならぬほどの進歩を遂げている理由は、ひとえに「人材」にある。治癒特化の能力者。彼らの希少な力を組織的に管理・運用することで、本来なら数ヶ月を要する重傷であっても、驚異的な速度での再生が可能となるのだ。全身の骨を砕かれ、内臓すら傷ついていた錬暖もまた、例外ではなかった。運び込まれてから僅か数日。彼の肉体は、既に任務に復帰できるレベルまで修復されていた。
「……ふぅ」
錬暖は真新しい制服の襟を正し、小さく息を吐いた。
今日は退院の日だ。だが、その足取りに軽やかさはない。むしろ、死刑台へと向かう囚人のように重かった。
彼が向かったのは、本部内にいくつか点在する「ドアルーム」と呼ばれる特別な部屋だった。
アルカディアの通路を隔てる扉の多くは、無機質な白色のスライド式自動ドアだ。だが、この区画に並ぶドアだけは異彩を放っている。重厚なオーク材にも似た質感。そして何より、見る者の不安を煽るような、鮮烈な「赤」に塗り潰された片開きのドア。
――空間転移の扉。
物理的な距離を無視し、特定の座標へと瞬間的に移動することを可能にするオーパーツ。その特異な性質ゆえに、扉はドアルームと呼ばれる管理職以上の高位IDと、厳重な生体認証が求められる部屋に隔離されている。
錬暖はドアルームの前でIDをかざし、無機質な電子音が承認を告げた。真っ白い部屋に入ると、部屋の中央にそびえ立つ赤いドアへ歩み寄った。
「錬暖さん」
ドアノブに手を掛けようとした瞬間、背後から声をかけられた。
氷の刃を首筋に当てられたような感覚。
錬暖の肩がビクリと跳ねる。その声の主を、彼は間違えるはずもなかった。
「……楼門、部長」
錬暖は強張る顔の筋肉を無理やり動かし、気まずそうに振り返った。
そこには、いつもの完璧な笑顔を浮かべた楼門が立っていた。純白の回廊に佇むその姿は、一見すれば聖人のようだが、錬暖には獲物を追い詰めた捕食者にしか見えない。
「もう退院ですか。回復が早くて何よりです」
「は、はい。……現場の仕事が山積しておりますので、悠長に寝ているわけにもいきませんから」
「ああ、そういえばカワチ支部は、今支部長も不在でしたね」
「ええ。……責任者不在では、支部の部下たちにも示しがつきません」
錬暖は視線を逸らし、もっともらしい理由を並べた。
だが、本心は違う。一秒でも早く、この男の視界から――この本部から逃げ出したかったのだ。
しばらくの間、重苦しい沈黙が回廊を支配した。
空調の音だけが、耳鳴りのように響く。
やがて、楼門が一歩、距離を詰めた。
「お送りしたメール、ご確認いただけましたか?」
穏やかな声色。だが、そこに含まれる強制力に、錬暖の喉がひきつった。
確認した。いや、させられた。
そこに記されていたのは、新たな「戦力」の供与と、それを用いた汚名返上のラストチャンス。
「……ええ」
錬暖は観念したように、しかめた面で頷いた。
「恐れながら……少々、理解に苦しむ部分はありますが……」
失敗した自分への温情ではない。これは「次こそ失敗すれば、お前の居場所はない」という最後通常だ。
「部長のご指示とあらば、喜んでお引き受けいたします」
楼門は満足げに目を細め、ニッコリと笑って見せた。
「期待してますよ」
錬暖は逃げるようにドアノブを回した。
ガチャリと重い音がして、赤いドアが開く。その向こうに広がっていたのは、カワチ特有の砂煙に満ちた黄土色の景色だった。
錬暖は深々と頭を下げ、扉を閉めた。
残された楼門は、誰もいない白い部屋で一人、愉悦に歪んだ笑みを深めた。
「さて加賀瀬善嗣、貴方は旧友に手を出す覚悟を持っているのでしょうか」
***
その修行は、もはや「指導」という生易しい言葉では形容できない、一方的な蹂躙に近かった。
三日三晩。廃工場の冷たい床で、加賀瀬善嗣は泥と埃に塗れながら、ひたすらに動き続けていた。相手は、人の言葉を解する理性的な魔物、トウフ。
だが、その巨体から繰り出される武術は、野生の熊の剛力と、達人の技巧が融合した悪夢のような連撃だった。
「ほらほら、足が止まってますよ!」
「ッざけんな……!」
加賀瀬は呼吸をするように『歩』を行い、無意識下で『環』を回し続ける。思考する余裕などない。コンマ一秒でも気を抜けば、トウフの丸太のような腕が視界を埋め尽くすからだ。
防御、回避、そしてカウンター。『立直』の習得ではない。これは、魔斬の基礎を骨の髄まで叩き込むための、極限のスパーリングだった。
ズザザッ……! トウフの掌底を紙一重でかわし、加賀瀬が距離を取る。その動きには、三日前にはなかった洗練された鋭さが宿っていた。
息をするように天を取り込み、己の肉体の一部として使いこなす。
それはもはや技術ではなく、生物としての生存本能が生み出した進化だった。
「……やるじゃないか」
窓枠に腰掛け、紫煙をくゆらせていた麗香が、短く感嘆を漏らした。
加賀瀬は限界を迎え、大の字になって地面に倒れ込んだ。肩で息をするたびに、肺が焼き切れそうな音を立てる。
「いやー本当に、善嗣君は才能の塊ですね! 僕も驚きましたよ」
トウフが顔の汗を拭いながら、心底嬉しそうに駆け寄ってくる。その表情は、弟の成長を喜ぶ兄のようですらある。だが、当の加賀瀬にとってはたまったものではない。彼は腕で目を覆い、荒い息を吐き出しながら毒づいた。
「俺を……ハァ……子供みたいに……おちょくってるだけじゃねーか……」
「僕が本気を出したら、善嗣君死んじゃうからね」
トウフは悪気なく、さらりと恐ろしい事実を口にして笑った。
麗香がヒールを鳴らして二人の元へ歩み寄る。
「しかしまぁ、感心したよ、加賀瀬善嗣。魔那を持たない人間故なのか、ここまで習得が早い奴は前代未聞だ」
「正直……実感はないんだけどな……」
「無意識にできているのが一番なのさ。だが――」
麗香は冷徹な瞳で、天井を見上げた。その視線の先には、ここからは見えない天空の要塞がある。
「今のままでも、アルカディアの連中には勝てないかもね」
「…………」
加賀瀬は腕を外し、身体を起こした。
ここ数日、修行に没頭するあまり考える時間を放棄していた疑問が、鎌首をもたげる。
「なあ、奴ら……そのアルカディアってのは、そもそもなんなんだ?」
世界を救う勇者召喚。正義の組織。表向きの顔はあまりに綺麗すぎる。だが、その裏側にあるのは、用済みになった者を平然と処分する冷酷さだ。
「いろいろ細かいことを言うと話が長くなる。これだけ覚えとけばいいよ」
麗香は煙管の灰をコンコンと落とし、吐き捨てるように言った。
「あいつらは、『世界』の守護者を名乗ってるだけの、ただの奴隷さ」
「……奴隷? よくわかんねぇが、世界の守護者って言うなら、正義の味方とかじゃねーのか?」
加賀瀬の問いに、トウフが困ったように眉を下げた。
「表向きはそうだね。でも、善嗣君も経験してるからわかると思うけど、彼らは実際残酷な組織だよ」
「……まあ、実を言えば私も元々アルカディアに居たんだけどね」
さらりと放たれた麗香の爆弾発言に、加賀瀬は目を見開いた。
「なっ!?」
「驚くことかい? 私も元々違う世界から来た転移人だ。奴らに呼ばれてここに来た」
「あんたもかよ……」
この底知れない師匠もまた、自分と同じ異邦人だった。だが、彼女の纏う空気は、あの教室にいたクラスメイトたちとは決定的に違う。
「ならアンタも、あいつらみたいに超能力を持っているのか?」
「ああ、もちろん」
「なんでその力は使わないんだ? 魔斬なんて覚えなくても、それがあれば――」 「切り札は隠しておくもんだろう?」
麗香はニヤリと笑い、煙管を回した。
「師匠の魔那の力は、僕も見たことがないんだ」
トウフが補足するように言った。
「師匠は魔斬だけで数多の敵を打倒してきた天才だからね」
「……なら、トウフも転移人なのか?」
「いやいや、僕は生粋の地元民だよ。このネオで生まれ育ったベルセルク族さ」
加賀瀬は複雑な思いで二人を見た。元アルカディアの転移人と、地元の魔族。奇妙な師弟関係だ。
麗香は話題を戻すように、真剣な眼差しを加賀瀬に向けた。
「とにかく、アルカディアの連中に一矢報いたいなら、あと半年は掛かるね」
「半年!?」
加賀瀬は思わず立ち上がった。
「そんな時間ねぇよ! じいさんと子供がどうなってるかもわからねぇのに!」
「どうしても命の恩人を助けたいみたいだね」
「当たり前だろ!」
ドーモスとナラン。あの二人がいなければ、自分は今頃野垂れ死んでいた。彼らが巻き込まれたのは、紛れもなく自分のせいだ。
「私が思うに、奴らはその二人を死なせはしないと思う」
「なんでそう言い切れる?」
「そこまで馬鹿な連中じゃない。むやみやたらに一般市民を殺してたら、『世界』の守護者が務まらないだろう? それに、天空の要塞から脱出して生きているお前を匿っていた重要参考人だ。貴重な情報源として利用価値はある」
麗香の分析は冷静だった。だが、それは加賀瀬の焦りを消すには至らない。
「だったらなおのことだ。俺と関わったせいでこうなってしまったんだ。尋問されてるかもしれない、実験されてるかもしれない。出来ることなら、今すぐにでも――」
「うぬぼれがすぎるよ」
冷ややかな声が、加賀瀬の言葉を遮った。
「なんだと……?」
「多少の力を得たぐらいで、いい気になるなってことさ。お前一人が動いたところで、組織にとっては蚊が止まった程度のこと。自分一人の責任で世界が回ってるなんて思うな」
「ま、まあまあ師匠、言い過ぎじゃ……」
オロオロするトウフをよそに、加賀瀬は唇を噛みしめ、そして――静かに息を吐いた。
「…………確かにな」
「なんだい、やけに素直だね。もっと噛みついてくるかと思ったが」
「……何にも考えてない馬鹿ってわけじゃねえよ」
加賀瀬は拳を握りしめ、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「どうやって空の上にあるラピュタみてえなとこに行けばいいかもわからねぇし、相手が巨大な組織だってことも理解してる。今の俺じゃ、返り討ちにあって犬死にするのがオチだ」
「お前が想像している千倍は巨大だよ」
「それでも……俺を助けてくれた人たちを、このまま黙って見過ごすわけにはいかねぇ。策が必要だ。力も、情報も」
加賀瀬の瞳には、燃えるような怒りではなく、冷たく澄んだ決意が宿っていた。 麗香はそれを一瞥し、ふん、と鼻を鳴らした。
「……少しはマシな顔になったじゃないか」
彼女は着物の裾を翻し、廃工場の出口へと歩き出した。
「トウフ、あとはすべてお前に任せる」
「え、え!? ちょっちょっと! 師匠!?」
唐突な言葉に、トウフが裏返った声を上げる。
「兄弟子としての初仕事だ。張り切っていきな」
「いや師匠! 急にどうしたんですか!? 初仕事って! なに!? 僕はどうすれば!?」
狼狽える巨体を無視して、麗香は歩みを止めず、背中越しに声を投げた。
「加賀瀬善嗣」
「…………」
「勇気と無謀は違うと、昔誰かが言ってた。私もそう思う。お前には無謀がよくあてはまると思う」
痛いところを突かれ、加賀瀬は黙り込む。
だが、麗香は足を止め、振り返り際にニヤリと笑った。
「ただ、無謀とは、決して悪いことじゃない」
「…………」
加賀瀬はじっと麗香を見つめる。
「時には、馬鹿になれ、ということさ」
麗香はそう言い残し、廃工場の闇夜へと消えていった。
「ちょっと師匠! 深いこと言ってそうで言ってなさそうな捨て台詞だけ置いていかないでくださいよ! 僕はこれからどうすればいいんですか!?」
トウフの情けない叫びが、夜風に乗って遠ざかっていく。
その声を背中で聞きながら、目を閉じた麗香の脳裏に、ふとかつての記憶がよぎった。
――夕刻。燃えるような茜色の空の下。
長い桃色の髪を風になびかせ、その女性は楽しそうに笑っていた。
――心配性だなぁ麗香は。でも安心して。なるようになるから。
麗香は呆れたように返す。
『随分楽観的だね。魔斬の基礎を教えただけで、何か革命でも起きるっていうの?』
――うーん、どうだろ。私の勘が当たってれば……いずれは?
『……そんな馬鹿な話、付き合ってられないよ』
――お願い! 信じて! 嘘は言ってないから! 頼むよぉー。
ゆっくりと目を開き、麗香は口角を緩めた。
「仕事は果たしたよ、……ファントム」
麗香は誰に聞かせるでもなく呟き、闇夜へと消えていった。




