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015 メモリーダイブ・壱

「私は……触れた人の記憶を見ることが出来ます。み、見るというより、覗き込むというか、体験するというか……なんとも形容しがたい感覚なんですけど……」


 松野楓は、借りてきた猫のように身を縮こまらせ、おどおどと説明した。


アルカディア本部の第八医務室。無機質な電子音が響くその部屋で、楼門は満足げに頷き、傍らに立つ絢風へと視線を流した。


「彼女の能力は『海馬潜入(メモリーダイブ)』。今、仰ったように、他人の記憶を読み取る力を持っています。実に、素晴らしい能力です」


「それらしい能力は今まで何人もいたでしょう?」


 絢風は疑わしげに首を傾げた。記憶の読み取り自体は、精神感応系の能力としては珍しいものではない。


「彼女の場合、より鮮明に、確実に、映像としてそれを認識できるんです。……ですよね、楓さん?」


「は、はいっ……」


 楓は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、自身の能力について語り始めた。


「私の場合、その人の頭の中に入るというか、なんというかその、能力を使うと、いつの間にか『海岸』に居るんです。十人十色の、多種多様な海岸があるんですけど、そこに気づけば立っていて……で、その、打ち寄せてくる波に触れると、その人の日常の記憶が見えてくるんです」


「……海水浴でも始めるの?」


 絢風の冷ややかなツッコミに、楓はあわあわと手を振った。


「ち、違います! そ、それで、その人にとって大切な記憶を見るには、海の中に潜らないといけなくて……。それがまぁ、ちょっと勇気がいるというか、体力を使うというか……」


「そして、最も重要なのが」


 楼門が言葉を引き継ぎ、人差し指を立てた。


「誰にも知られたくない秘密の記憶を探るには、深海に潜らなければならない――でしたよね、楓さん?」


「そ、そうなんです……。息を止めて、必死に潜らないといけないんですけど……その、普通なら無理なんですけど、その時は……すいすい潜れるというか、自分でもまだよくわかってなくて……」


「要するに」


 絢風は腕を組み、簡潔にまとめた。


「他人の記憶という海の中に文字通り潜り込んで、特に知られたくない記憶は海の底にあるから、もっと深くまで潜る必要がある、ということですか?」


「そういうことらしいです。すでに三人ほどうちの若手の職員で試してみたんですが、そのうちの二人はプライベート――かなり際どい性癖やら隠し口座やらを知られたみたいで、意気消沈としてますよ」


「す、すみません!」


 楓が反射的に頭を下げる。


「謝らないでください! 楓さんは悪くありませんから! むしろ胸を張るべきですよ。いまだかつてアルカディア内部でも、これほど鮮明に深層心理を探ることが出来る能力者はいませんでしたから」


 楼門の称賛にも、楓は縮こまったままだ。彼女にとってこの力は、他人の土足で踏み入るような罪悪感を伴うものなのだろう。


「ということは、彼女がここに居る理由は――」


 絢風の視線が、ベッドに横たわる老体へと向いた。


「ええ、彼を見てもらいます」


 楼門は、数多のチューブに繋がれたドーモスを示した。


「なぜ加賀瀬善嗣を匿っていたのか、彼とどういった関係性なのか。気になる点は山ほどあるのですが、それよりも――」


 楼門の脳裏に、別室で隔離されているドーモスの孫娘、ナランの姿が浮かんだ。


「『魔那(まな)過剰分泌(かじょうぶんぴ)亢進症(こうしんしょう)』――俗にいうアグレッション状態の彼女に、人工的に魔那の過剰分泌を抑える――前代未聞の芸当をやってのけたのが誰なのか、詳しく知る必要があります」


「アグレッション……?」


 楓が聞きなれない単語に首を傾げる。楼門は教師のように丁寧に、しかし深刻なトーンで説明を加えた。


「魔那過剰分泌亢進症。あらゆる生命体に宿る力の根源『魔那』が、過剰に体内で生成され続ける奇病です。そのほとんどが先天的なものであり、生まれつき魔那が異常に生成される故に身体がそれを毒とみなし、過剰な免疫反応をも起こしてしまう」


 楼門はドーモスの心電図を見つめながら続ける。


「やがて身体の機能が著しく低下していき、死に近づくにつれて身体が青く変色していく。一般的にはこれをアグレッション状態と呼んでおり、これを患った人間の寿命は三年から六年といわれています」


「そんな……」


 楓が口元を押さえる。


「彼と共に過ごしていたナランという少女。調べたところ、先天性のアグレッション状態でした。今年で六歳を迎える彼女は、祖父であるドーモスさんの元で長らく看病されていたそうです。……つまり、ナランさんは、やがて死に至る運命だったんですよ」


「……あの子供が? そうは見えませんでしたが」


 現場でナランを見た絢風が、訝しげに口を挟んだ。


「ええ、そうでしょう? 医務室の話によると、彼女には何らかの力が作用しているとか。つまり、意図的に誰かが彼女のアグレッション状態を抑えているということです」


 楼門の目が、探求者のそれに変わる。


「魔那自身を抑える能力はいくつか把握していますが、あくまで能力者が対象と対峙している場合の話だ。あるいは特殊な道具や呪物で拘束しているか。だが、魔那の過剰分泌という、医学的にも科学的にも解明されていない不治の病を、抑制するだけでどうこうできるものではない。身体の免疫機能も制御する必要がある」


 楼門は熱っぽく語る。


「抑制といえども、そのコントロールをほんの少しでも誤れば命取りになる所業を、当然のように彼女に施している誰か。しかも、遠隔で? 或いは恒久的に? 何にせよ、前代未聞の神の御業をやってのけている人物が、彼の近くに居た、ということです」


「つまり、とんでもない奴がいるってことですね」


「簡潔に言えば」


「あの子供がアグレッション状態だったなんて、外見だけでは全くわかりませんでしたが」


「通常であれば顔や皮膚が青黒くなっているでしょうが、一切その症状は見受けられませんでした。瞳がほんの少し青くなっていた程度で」


 楼門は楓に向き直った。その笑顔は、聖人のように慈悲深く、そして悪魔のように甘美だった。


「わ、私がそれを調べればいいんですよね?」


「仰る通りです。楓さん、これは、行方不明となった貴方のクラスメイト、加賀瀬善嗣を見つけるための手段でもありますが、同時に――人類の救済への第一歩になりうるかもしれません」


「救済……」


 その言葉の重みに、楓の背筋が伸びる。


「加賀瀬君を、助け出す為にも、頑張りますっ!」


「その意気です。頑張りましょう!」


 二人の握手。だが、その思惑は決定的にすれ違っていた。


 楓は、行方不明となった加賀瀬を見つけ出すために協力してほしいというその一点だけを聞かされている。加賀瀬が「処分対象」として追われていることなど、知る由もない。


 楓はベッドに歩み寄り、眠っているドーモスの左手をそっと握った。


「……いきます!」


 松野楓は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


 ふっと、彼女の意識が途絶えた――


 ザザァ……ザザァ……。

 潮騒の音が聞こえる。


 楓が目を開けると、そこは灰色の空の下に広がる、岩場の海岸だった。


 ゴツゴツとした岩肌に、荒々しい波が打ち付けては白い飛沫を上げている。どこか寂しく、しかし力強い頑固さを感じさせる風景。これがドーモスという人間の心象風景なのだろう。


「お邪魔します……」


 楓は誰に言うでもなく呟き、岩場から海面へと近づいた。


 足元に打ち寄せる波。そのさざ波の一つ一つに、彼の「日常」が映っている。


 血のついた包帯。煎じた薬草の匂い。スラムの男たちの感謝の声。そして――孫娘の苦しげな咳。


 楓はそれらを無視し、深呼吸をした。


 求める情報はここにはない。もっと深く。誰にも知られたくない、心の奥底。


 ザブンッ。


 楓は海へと飛び込んだ。冷たい水が身体を包む。深海へ。光の届かない場所へ。


 やがて、暗闇の中にぼんやりと光る、ひと際異質な「記憶の泡」を見つけた。


 黒く、それでいて禍々しい存在感を放つ記憶。


(……これだ)


 楓はその泡へと手を伸ばし、触れた。瞬間、視界が反転し、彼女の意識はその「過去」へと吸い込まれていった。

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