第7話『心は力』
1年前 日本・某所 アウローラ・オペレーション本部 リリアの部屋
支部で与えられた一室は、まだ生活感が薄く、どこか殺風景だった。
机に広げられた甘い焼き菓子の袋へ、ヘイスが嬉しそうに手を伸ばす。
長い金髪は緩やかにカールし、センター分けされていた。
普段は糸のように細い目で柔和に笑う。
腰に作業着を巻きタンクトップ姿で軽やかに腰を掛けていた。
「リーちゃんって、彼氏つくらないの~??」
リリアは飲んでいたココアを吹きそうになる。
「いきなり何?」
カップを置き、頬を赤くして返す。
「その年頃は欲しいのかな~って」
「そりゃ......欲しいけど」
リリアは視線を逸らし、手元で指をくるくると回す。
「でも、あたしには無理だよ。この一年はエイダさんの言う通り、能力の向上に専念してきたし......これからも、そうするつもり」
そう言ってみせた笑顔には、少し無理があった。
「それって、誰のためなの~?」
「え?エイダさんは私のためだって」
「それ、エイダさんが言ったんでしょ〜。リーちゃん自身はどうなの~?」
思わぬ追及に、リリアは言葉を失う。
(私って、どうしたいんだろ)
「リーちゃん、もう少し自分に素直になっていいのよ~」
ヘイスはおどけながらも、瞳は優しく真剣だった。
「うん。エイダさんに相談してみるね」
「リーちゃん可愛いから、すぐできると思うけど。スタイルもいいものね~」
「ありがと」
頬を赤くしながら礼を言う。
「食べちゃいたいわ~」
「ちょっと怖いよ、へーちゃん!」
笑いながら抗議するリリア。胸の奥には、温かなものが満ちていた。
「でも、へーちゃんみたいな友達ができると思わなかったから、うれしいな」
ヘイスはニコニコしながら言う。
「あら~、照れるわね~。私も命を懸けられる友達ができてうれしいわ~」
「それ大げさすぎない??」
「ほんきよ~」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。
その笑い声は、狭い部屋を少しだけ温かく満たしていた。
現在
「へーちゃん......」
リリアは膝をついたまま、崩れ落ちた姿勢から動けずにいた。
その前で、ニニィの四肢が変形し、全身の武装が一斉に展開される。
剣、機関銃、光線砲口部。
「行くヨッ!」
ニニィが飛び出す。四肢と胴体が分離し、縦横無尽に宙を駆ける。
繭も即座に反応し、無数の糸を四方へ張り巡らせて襲いかかるが――。
バシュッ! バシュッ!
高速で舞うパーツは一切絡め取れず、糸は空を切るだけ。
「くそっ!! 小賢しい...!」
繭が苛立ちの声を上げる。
次の瞬間、分離した四肢と胴体が繭の周囲を取り囲むように均等に配置される。
光線砲口部が一斉に閃き、まばゆい光が交差し、檻のような格子を描き出した。
「なっ!?」
繭の体が光の檻に閉じ込められる。
糸で破ろうとするが、触れた瞬間に白熱の光が走り、ジジジと焼き切れて煙のように消えた。
「何だこれは!!」
檻の中で繭がのたうち、怒声を響かせる。
ニニィは残った頭部だけを動かし、リリアの方へ向かう。
「リリアお姉ちゃん...大丈夫?」
リリアは顔を伏せたまま、反応しない。
ニニィは無理やり笑顔を作り、わざと明るい声で言う。
「リリアお姉ちゃんって、お兄ちゃんのこと好きデショ??」
「えっ......?」
唐突な問いに、リリアの目が見開く。
「ニニィ...何言ってるの?」
「やっと聞いテくれた!」
ニニィはぱっと笑顔を広げ、ぐっと前に出る。
「リリアお姉ちゃん、このままだとあいつノ思い通りになっちゃう!
それにへーちゃんさん、まだ生きてるヨ!」
「なんで、そう言い切れるの?」
リリアの声はかすれていた。
「あいつ自分デ言ってたじゃん。精神で死ななきゃ仮死状態だっテ!
だったら、みんな絶対に帰ってくる!お兄ちゃんも、へーちゃんさんも、ワイスも!」
光の檻が軋む音が響く中、ニニィの声だけは力強く洞窟に響く。
その無邪気な瞳に込められた確信が、少しずつリリアの心を揺さぶっていく。
「それにリリアお姉ちゃんがいなくちゃ、あいつに勝てない。
だから、力貸してくれナイ??」
リリアは首を横に振る。
「私なんて力になんか...」
ニニィは一瞬眉を下げ、すぐに顔を上げて笑う。
「あるよ!!力!!リリアお姉ちゃん、あたしを助けテくれたじゃん!!」
リリアの胸に小さな痛みが走る。
「でも、あいつに勝てる能力じゃ...」
「そうじゃなくて!」
ニニィは全身で言葉をぶつけるように叫ぶ。
「リリアお姉ちゃんには、人にやさしくできる心があるジャン!!」
その声は震えていない。
「そのやさしさ、あたしは救われたヨ。2日間、一人ぼっちで寂しかったとき、
リリアお姉ちゃんが見つけてくれて、ずっと味方でいてくれた!心は力だヨ!!」
檻の光に照らされたニニィの小さな体が、まるで輝いて見えた。
リリアの胸の奥に、熱い何かがじわりと広がっていく。
脳裏によぎる自分の声。
『あんたには、誰かを助けられる力と心があるってこと!』
『そんなこと考えなくても、私がこうしてられるのはあんたのおかげだから』
(ニニィが私に言ってくれたこと、私そのまんまキールに言ってるじゃん......)
リリアは心の中で小さく笑う。
(わたしもあいつと変わらないな。
あんなに頼もしいやつでさえ、あんなふうに悩むんだ。
何も変わってない、誰かがいないとダメな弱い人間。
自分で誰一人助けられないと自分で思ってもーー。
誰かが「私のおかげで救われた」って言ってくれた。
その言葉を、私が否定しちゃいけないよね。)
「リリアお姉ちゃん??」
呼びかけに応えるように、リリアはゆっくりと立ち上がった。
足にまだ震えが残っていたが、その顔には笑みが戻っていた。
「ごめんね、取り乱して。
そうだよね。繭野郎が言ってたもんね。精神が折れなかったら死なないって!
キールたちを、私は信じる!」
その瞳は、迷いを振り払ったぶんだけ強く鋭く輝いた。
「そうこなくっちゃ!!」
ニニィは頭部をぶんぶん揺らし、嬉しそうに声を弾ませる。
「あいつを、どうするの?」
リリアが問いかけると、ニニィはにやりと笑い、ささやいた。
「地面に叩き込ンで、地獄に落とすノ!!」
「お、おぉぉ」
思わぬ言葉にリリアは目を丸くする。
次の瞬間、ニニィは耳元に作戦を告げ、臨戦態勢に入る。
ニニィが檻を叩きつけるように地面へ落とすと、光線の枠組みが炸裂音と共に解除された。
解き放たれた繭は宙へ舞い上がろうとする。
次の瞬間ーー
「な、なんだこれはっ!」
とてつもない圧力が全身を押し潰す。
重力が何倍にも膨れ上がったかのような衝撃に、繭の体が地面に練り込まれていく。
「キールたちを返して!!」
リリアは両腕を突き出す。
彼女の能力はもはや「物を操る」という域を超え、空間そのものを捻じ伏せるかのようだった。
「ゾーン......!まさか、ゾーンに入っているのか!!くそっ!」
必死に糸を展開しようとする繭。
しかし糸は次々と押し潰され、地に叩きつけられ形を保てない。
「もう二度と、好き勝手にはさせないッ!!」
リリアの叫びが響く。
そして、その真上。
「みんなを傷つけた分、お返しだヨ!!」
ニニィの四肢から放たれた光線が、太陽のように洞窟を照らす。
空気が焼け、爆発音が轟く。
最大出力までチャージされた光線が繭を直撃し、押し込む力をさらに強める。
「やめろォォォォォーーーーーッ!!!」
繭の絶叫すら、光と衝撃にかき消される。
地鳴りとともに大地が裂け、繭の体は地の底へと練り込まれていく。
やがてその姿は完全に消え、地面の奥深くへと沈んだ。
リリアの鼻から鮮血があふれ、視界がぐらりと揺れる。
「お姉ちゃん!!」
ニニィが駆け寄る。
「大丈夫...何ともないから」
二人は地面に空いた穴を覗き込む。
暗闇の奥は何も見えず、重い沈黙だけが残った。
「これが、あんたのいう運命なら、滑稽ね」
リリアは吐き捨てるように呟く。
「リリアお姉ちゃん、かっくいい!!」
ニニィは両手を広げ、飛び跳ねるように喜んだ。
リリアは顔を赤らめて視線を逸らし、キールの方へ向かう。
「ニニィ!キールたち助けるよ!!」
「うん!」
ニニィはぱたぱたと小走りで後を追う。
二人は倒れたキールとワイスの胸元へ手を当てる。
しかし、かすかな気配すらない。
「まだ息はないわね」
緊張が走る。
「持ってきた武器の電気を借りて、電気ショックで起こしてみるね!」
ニニィが装備を操作し、両手に電流をチャージする。
ニニィの体は、ほぼバッテリー切れに近かった。
「じゃあ、私はへーちゃんを!」
リリアは決意を固め、ヘイスの胸に両手を重ねて強く押す。
何度も、何度も胸骨を圧迫する。
「っお願い......!」
途切れ途切れの声で、マッサージを繰り返す。
それでも反応はない。
涙で視界をにじませながら、人工呼吸へ移る。
息を吹き込み、再び胸を押す。
何度も、何度も。
「起きて!!お願いだから、起きて...!」
ニニィも必死に胸に電流を流し続ける。
その横で、リリアはなおも人工呼吸を続けた。
ふいに、ヘイスの頭ががくんと持ち上がり、リリアの額と正面からぶつかる。
「いったぁ!!」
「いったぁぁ!!」
二人は同時に頭を押さえてうずくまる。
リリアは口元を押さえ、涙目で顔を上げた。
「あれ、リーちゃん?」
「うわぁぁぁんっ……!」
抑えていたものが一気にあふれ、リリアはそのままヘイスに抱きついた。
胸に顔を埋め、子どものように泣きじゃくる。
「リーちゃん……私、死んだんじゃ」
「うわぁぁぁんっ!!!」
リリアはさらに声をあげて泣く。
ヘイスは驚きつつも、そっと背中に腕を回し、温かな手でさすった。
しばし、二人の間に涙だけが流れる静かな時間があった。
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