第63話『地獄の歓迎』
「フリッグ!!」
オーリアは駆け寄ろうとしたが秘書に止められる。
秘書の顔には、哀悼の色など全くなかった。
「その人はとっくに死んでますよ、社長」
秘書は唇の端を吊り上げる。
「それに、これが世間に出たらどうなるんでしょうね?
あなた、失墜どころじゃ済まない。犯罪者ですよ?」
くぐもった笑いが喉の奥で転がる。
「黒人街に、やたら身なりのいい白人が夜な夜な出入りしている。白人がしていいことじゃない! もしかしたらと思い、あなたを尾行して5年。いやぁ、まさにビンゴでしたよ。ははっ!」
その嘲笑は、空気を腐らせるような声だった。
フリッグの死体の横で、あまりに不謹慎で、オーリアの胸の奥で、何かが切れる。
「ふざけるな!!」
拳が秘書の顔面に叩き込まれ、よろめき崩れた。
オーリアはその隙に◆◆◆◆へ走る。
天井から吊られるように縄で括られた幼い身体は、痣だらけで鼻血が乾いていた。
オーリアは震える手で縄をほどき、抱きとめる。
「大丈夫か!!」
◆◆◆◆の呼吸は乱れ、目は涙で曇っていた。
「パパ……ママが……ママが!!」
小さな手が、必死にオーリアの胸元を掴む。
「ねぇ、パパ……ぼく、なにか悪いことしたの?」
オーリアは返す言葉を持てなかった。
ただ子どもを抱きしめ、その小さな震えを胸で受け止める。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
視線の先には、床に倒れ込み、なおも薄笑いを浮かべようとする秘書。
オーリアの手は近くにあった鈍器を掴む。
「社長、あんたのせいでそのゴミは――」
鈍い衝撃音が、鉄と骨が混じり合って砕ける音が、部屋の中に反響した。
秘書が動かなくなっても、オーリアは腕が痺れるまで、その頭に鈍器を振り下ろし続ける。
オーリアの呼吸は乱れ、肩が震えていた。
その時、幼い声がぽつりと落ちる。
「ありがとう。パパ」
秘書の遺体は夜の闇に紛れるように処理した。
その翌日、オーリアはバーの隣――
フリッグがよく歌っていた裏口の一角に、小さな二つの墓をつくる。
粗末だが、心だけは込めた墓標。
「フリッグ……本当にすまない。
私のせいで……全部、私のせいで……」
墓前に膝をつき、オーリアは肩を震わせて泣いていた。
◆◆◆◆は、オーリアにゆっくりと抱き着く。
「ママはね……パパのこと、大好きだったよ。
ぼくもパパのこと、好き」
顔をくしゃくしゃにして泣きながら、◆◆◆◆は絞り出すように言った。
「だからね、パパはいなくならないで」
その一言は、凍りついたオーリアの心を溶かすほどに、真っ直ぐだった。
オーリアは涙を拭い、息を整えて息子を抱きしめる。
「あぁ……いなくならないよ。何があっても守る」
フリッグがいたからこそ成り立っていた育児。
フリッグを失い、今度は本当に一人で◆◆◆◆を守らなければならない。
数日後
「お願いします。この子をなんとか!」
オーリアは保育所、児童保護施設、教会、あらゆる場所に頭を下げて回る。
しかし、そのたびに返ってくるのは決まって同じ言葉だった。
「家でこんな色の子を見るのは無理ですよ」
「奴隷じゃないって言われても嫌です!」
「あなた、何を考えているんです?この街で有色の子どもなんて……」
言葉は氷より冷たく、刃より鋭く、◆◆◆◆の未来を閉ざしていく。
オーリアは、最後の選択肢として決断した。
「屋敷に、◆◆◆◆を住まわせるしかない」
この場所には人として扱われない視線も、差別の空気も、危険なほどの冷たさも、全部ある。
それでも、他に道はなかった。
玄関をくぐった◆◆◆◆は、高い天井と、磨かれた床と、広がる廊下に目を輝かせる。
「すごい!パパ、ここ……僕のために用意してくれたの?」
あまりにも純粋なその笑顔に、オーリアの胸は締めつけられた。
無理にでも笑って応える。
「あぁ。だが――さっき言ったことは必ず守るんだ。
ここでは私を“パパ”と呼んではいけない。それと声も、極力出さないように」
「なんで? だって、やっと一緒に住めるのに!」
「ここに住むために必要なんだ。頼む、理解してくれ」
◆◆◆◆は何度も何度も頷いた。
「うん! わかったよ、パパ! ぼく、パパのこと大好き!」
オーリアはその言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが鈍く痛む。
そして――数時間後、バルドは“地獄の歓迎”を受けることになる。
「ごめんなさい。もう……ぶたないで……」
悲鳴は小さく、押し殺すような声だった。
大理石の床に、細い腕で必死に自分を抱きしめる◆◆◆◆。
その身体に、ゾディアの靴が何度も何度も叩き込まれる。
「なんで俺の部屋に勝手に入った!?
俺のコレクションに触っただろうが、このクソガキ!!」
ゾディアの顔は怒りに歪んでいた。
だが、その瞳には怒り以上の――“軽蔑” が浮かんでいる。
「ご、ごめんなさい……もうしません……もう……」
その横でルビルは、紅茶の入ったカップを優雅に掲げた。
「奴隷のくせに調子に乗るからよ。ほら……」
ばしゃり。
熱い液体が◆◆◆◆の頭から肩にかけて流れ落ちる。
「やっ……あつ……!あつい!!やめて!!」
ルビルはくすくすと笑い、ゾディアは呆れたように鼻で笑った。
「口答えすんなって言ってんだよ、クソが!!」
足がまた振り上げられ、小さな身体が床に叩きつけられる。
◆◆◆◆は震えながら涙を流し、何度も何度も喉を震わせた。
(ぼく……なにもしてないのに……
どうして……どうしてこうなるの……)
遠くの廊下から靴音が響き、鋭い声が飛ぶ。
「お前たち、何をやっている!?」
オーリアが血の気の引いた顔で駆け寄り、震える◆◆◆◆を抱き上げた。
ゾディアは全く悪びれず、苛立ったように吐き捨てる。
「父上、そいつが俺の部屋に勝手に入ったんだ。当然の仕打ちだろ」
ルビルも鼻で笑い、紅茶のカップを揺らしながら言った。
「生まれた時から奴隷だってことを教えてあげただけよ、私たち」
その瞬間だった。
◆◆◆◆の小さな唇が、震えながら言ってしまう。
「パパ……助けて……」
空気が、凍った。
ゾディアの顔が、ゆっくりと歪む。
「パパ?」
オーリアの背筋に冷たい汗が流れ、目が泳いでしまう。
ゾディアは、理解した瞬間――にやり、と笑った。
「そういうことか」
ルビルはまだ飲み込めておらず、眉をひそめて兄に尋ねる。
「ゾディア、どういうこと?」
ゾディアはわざとらしく肩をすくめ、オーリアを下から見上げた。
「父上は奴隷女と子供を作ったんだよ。それがこいつだ」
ルビルは一瞬固まり、次の瞬間、顔中に軽蔑と嫌悪が駆け巡っている。
「気持ち悪すぎる。そんな人が父親なんて最低」
オーリアの心臓が掴まれたように痛む。
するとルビルは、さらに残酷な言葉を吐き捨てた。
「さっさと、こいつ殺さなきゃ。恥そのものじゃない」
◆◆◆◆の身体がびくりと震える。
(どうする? この子を守るには殺すしか……
しかし、そんなことはできない! だが、このままでは◆◆◆◆が殺される)
オーリアの思考が渦を巻く中、ゾディアがルビルを制した。
「ルビル、お前はまだまだだな。こいつは殺しちゃダメだ」
ルビルは困惑する。
「なんで? こんなの生かしておく意味ないじゃない」
ゾディアは笑った。
「“俺たちのために”使えるからだよ」
青ざめているオーリアに、ゾディアはゆっくりと近づき、肩を叩く。
「父上。ルビルと俺は、このことを黙っておきますよ。 その代わり」
顔を寄せ、耳元で囁いた。
「俺たちに“会社を何個か”ください。
金も、奴隷も、部下も。あなたと同じ立場もくれれば黙ってあげます。
もちろん……俺たちの欲しいものは、全部もらいますね?」
オーリアの顔が引きつる。
だが、どうしようもなかった。
これを飲まなければ、◆◆◆◆は確実に殺される。
「……わかった。そうしよう」
ゾディアは満足げに笑い、ルビルは狂喜した。
「これで俺のやり放題だ!!」
「奴隷を買い放題! なんでも好きにできる!
お金なんて使い切れないくらいね!!」
二人は手を取り合い、嬉しそうに跳ねている。
まるで新しい玩具を手に入れた子どものように。
オーリアは抱えた◆◆◆◆を見下ろし、胸がえぐられた。
苦渋の決断に歯を食いしばりながら、オーリアは◆◆◆◆の身体をそっと抱き直す。
部屋に運び、乱暴に蹴られて赤くなったすねや、熱でただれた腕をひとつずつ冷やし、薬を塗った。
「すまない、◆◆◆◆。私の不注意でこんな目に」
◆◆◆◆は涙の跡を残したまま、ぽつりと聞く。
「さっきの人たち……パパのこと“父上”って呼んでた」
オーリアの手が止まり、深い沈黙が落ちた。
「どういうことなの? ママのこと知ってるの……?」
無垢な瞳が、真っ直ぐに父を刺してくる。
オーリアは、言葉を選ぼうとして、選べず――
結局、最も苦しい真実を曖昧にするしかなかった。
「難しいことだが◆◆◆◆のママとは違うんだ」
◆◆◆◆は不安げに眉を寄せる。
「ママが違うから……僕はダメなの……?」
その一言で、オーリアの胸に刃が刺さったようだった。
「違う……違うんだ、◆◆◆◆。
お前は……何一つ……間違っていない」
「じゃあ……なんで、けるの?
パパが一緒なのに……どうして……?」
オーリアは答えられなかった。
答えが、この子をさらに傷つけてしまうから。
オーリアは◆◆◆◆の小さな手を両手で包み込む。
「◆◆◆◆、よく聞いてほしい。これから、お前を守るために……私は、お前を“傷つけるように見えること”をするかもしれないが信じてほしい。何があっても、最後は――お前と笑って過ごしたいんだ。だから、どうか生きて耐えてくれ」
◆◆◆◆はしばらく黙り、父の苦しみに気付き、大きく息を吸った。
そして、その目に小さな光を宿したまま、ゆっくり頷く。
「うん! 今までと一緒だよ。我慢するの……僕、得意だから!!
だって……僕は“希望”だってママも言ってたもん。がんばるね、パパ!」
その言葉は、かすかに震えていたが、笑っていた。
オーリアは胸が潰れそうになりながら――それでも彼を抱きしめる。
「ありがとう、◆◆◆◆」
そう言って、二人は抱きしめあう。
二人は共に過ごす時間は少なかったが、それでも確かな親子の絆はあった。




