第61話『歪みの始まり』
研究所・ゲート前
サイラスは両手にロボットの腕と頭部の残骸を持ち、荒く息をしていた。
「はぁ……はぁ……くそ、さすがにキツいな」
辺り一面には、ねじれた鉄と焦げた機体の残骸。
「流石にこれだけ倒せば、もういないだろ」
息を整えながら周囲を見回す。
「キールたちを追わないと――」
前へ踏み出した瞬間、背後で足音がした。
戦いの緊張がまだ抜けていない指先が、自然と銃のグリップに触れる。
「誰だ?」
薄暗い煙の中に、ゆらりと人が一人立っていた。
サイラスは驚きながらも、駆け寄ろうとする。
「なんでこっちに……イオラの問題は解決したのか?」
その言葉の続きを、風の音がかき消した。
沈黙だけが残り、研究所のゲート前に重くのしかかる。
研究所内・隔離通路
冷気と静寂が支配する、長い廊下。
足音が反響し、緊張だけが漂っていた。
フリムの背後から、低い声が響く。
「お前も、あいつに感化されて裏切るんだな」
その声に、フリムの肩が跳ね、ゆっくりと振り返る。
薄暗い照明の下、クロノスの瞳は氷のように冷たかった。
「どいつもこいつも、あいつの言葉一つで心を動かされる。
何がそんなに特別なんだ?」
フリムはクロノスに近づく。
「そうね。不思議な人だけど、私にはクロノスがいる」
ゆっくりとフリムはクロノスの唇を奪った。
荒く、そして必死に舌を絡ませ、息が混ざり合う。
クロノスはその唇を振りほどこうとするが、フリムはクロノスに腕を交差して、逃げないようにする。
クロノスは、そっと彼女の肩に手を置き、優しく押し離した。
「時間稼ぎはよせ、フリム。もう、お前は必要じゃない」
その声は冷たく、どこまでも遠い。
フリムは一瞬だけ目を伏せ、そして笑った。
「記憶がなかった時、あなたに助けられたこと、本当に感謝してるわ。
でもね、クロノス。あなたたちにとって、私は最初から“都合のいい存在”でしかなかったんでしょ?」
クロノスは無反応のまま、通り過ぎようとしたとき、フリムが見えない空気の壁を作る。
クロノスは視線を変えずにフリムに言った。
「俺に勝てると思ってんのか?」
クロノスの声は静かだが、殺気を孕んでいる。
フリムは応えず、淡々と告げた。
「あの子、ウォルターズって言ってたわ」
クロノスの瞳が大きく揺れる。
ほんの一瞬の隙を逃さず、フリムが掌をかざした。
空気が爆ぜるように、クロノスの体を見えない空気の手に絡め取られる。
「あなたを、この先へは行かせない……」
フリムの声は静かで、だが決意のこもった鋼のように固かった。
クロノスは、拘束されながら、顔をゆがめて苦しそうに言う。
「頼むから……殺させないでくれ」
冷たい廊下には二人の呼吸音だけが残り、お互いの覚悟がぶつかろうとしていた。
研究所・最深部
キールは呼吸を整え、水を足裏に滑らせ、通路を疾走していた。
大きなゲートを目にした瞬間、キールは水の刃で切り裂く。
鋭い金属音と共に、重たい扉が崩れ落ちた。
次の瞬間、キールが目にしたのは何か“別の世界”だった。
「これは……?」
部屋の奥、老いた男の足元に、男が這いつくばり、舌で足を舐めていた。
女性が老いた男にまたがり、唇は男の顔に押しつけられている。
「愛してる……お父様」
その声は甘美で、どこか壊れていた。
今までに見たことのない光景にキールは目が泳いでしまう。
女が振り向き、血走った瞳でキールを睨んだ。
「家族の団らんの最中よ。邪魔しないで!」
唇から滴る唾液が糸を引き、光を反射する。
キールは息を詰めた。
「一体これは……何なんですか!?」
返事はなく、奥の暗がりで、バルドが男の足元に膝をついている。
彼の背には老人が椅子に座るようにくつろいでいた。
「バルドさん!」
キールの声に、バルドがゆっくりと顔を上げる。
その表情は穏やかで、何かが壊れていた。
キスが終わり、老人は震える声で言葉を吐く。
「◆◆◆◆は私の最愛の息子だ。椅子になったのは、私への愛の印なんだ!」
声のたびに唾が飛び、虚ろな目が狂気の光を宿す。
「◆◆◆◆って」
キールは知らない名前に困惑していた。
「こんなの、愛なんかじゃない!! おかしいですよ!!」
バルドは人が変わったように叫ぶ。
「パパの好きにさせろ!!」
バルドの父オーリアはキールに向かって言った。
「この研究所には、私たち以外はいないぞ」
その声は低く、震えるほど静か。
「もうここは“家族団らん”のホームだからな」
キールは驚いた顔をし、オーリアは続ける。
「ここにあるものを止めにきたのだろ? お前たちには何もできやしない」
「勝手に決めつけないでください」
キールの声が鋭く響き、バルドが小さく言った。
「パパの話を聞いたらお前にもわかるよ」
老人はゆっくりと息を吐き、誰かに語るように話し始める。
「人工UMHを作るのは効率が悪くてな。
私は、言われた通り作った人工UMHで“クローン製造”に着手した。誰もなしてない偉業を成し遂げようとするために拡大を図ったのだ」
その声は穏やかでありながら、どこか嬉々としていた。
「だが……1年前、私は病を患ってしまった」
一瞬の静寂の後、パシンッという音が響く。
オーリアが女の尻に手を振り下ろした乾いた音。
だが彼女は痛がるどころか、笑みを浮かべた。
「お父様……もっと……!」
オーリアの瞳が細くなり、ゆっくりと足元の男を見下ろした。
その男の顔に自身の足を顔を押し付ける。
「我が子たちは、何をしたと思う?」
声が少しずつ歪み、空気が軋む。
「この二人は、私が育て、地位も金も権力も何もかも渡したのに――!!
私が病気だと知り遺産の話をするまで、《》の時以外一切連絡をよこさなかった!」
バルドは悲しそうな目をする。
「いずれ私のしたことは公になり、地位も名誉も失う。
だが、死ぬまでの間だけはせめて家族と共にいたいと思った」
オーリアは声を必死に出すように言った。
「この二人も金ではなく、愛で私を見てくれているだろう?」
オーリアは、震える両手を広げ、その顔はどこか幸福そうだった。
「だから私はこの二人に、急いで記憶を改ざんし、人工UMH化を施した。クローンの研究など遅れても構わなかった。この二人は私が愛する家族になったのだ!」
オーリアの長男ゾディアが涎を垂らしながら顔を上げ、震える声で言う。
「父上……もっと、踏んでください。俺を、見捨てないで……!」
オーリアの長女・ルビルは、お尻を突き出すと、まるで踊るように腰を揺らした。
「ねぇ、お父様。もっと叩いてもっと、愛をください!」
「これこそ――愛だ!」
オーリアの声が金属の壁に反響する。
「◆◆◆◆も、自ら椅子となって私に愛を示してくれた! この上ない幸福……!お前こそが、一番の息子だ!」
その言葉に、キールの顔が歪む。
「バルドさん……なんで、こんなことを」
声は掠れ、悲しみと困惑が入り混じった。
バルドは笑顔でまるで子供のように答える。
「パパは……僕を息子と認めてくれたんだ。
そのためだったら――なんだってやるさ」
キールは拳を握りしめ、震える声で叫ぶ。
「憎んでたんじゃないんですか!?」
バルドの肩がわずかに動く。
「それに……バルドさん! お父さんこそ、あなたを見ていません!」
その言葉に、バルドの瞳が揺れた。
「本当にあなたを見ていたら、こんなことはさせないはずです!」
キールが走り出し、叫ぶ。
「だから、お願いです! こんなことはやめてください!」
オーリアはゆっくりと手を掲げ、歪んだ笑みを浮かべる。
「ゾディア、ルビル。その男は――我らの“家族の時間”を汚そうとしている。愛の儀式を妨げる者をどうにかしろ」
「はい、お父様!」
「分かりました。父上!」
ゾディアとルビルが同時に声を上げ、顔に陶酔しきった笑みを浮かべた。
次の瞬間、二人は猛獣のような速度でキールに向かって走り出す。
ルビルの身体が突如、まばゆい光を放ち始めた。
白い閃光が金属の床を照らし、瞬く間に空間全体を焼くような熱が走る。
「私の体は光を放つ。お前も光の餌食になれ!!」
キールは反射的に目を覆ったが、視界は真っ白に染まり、すべての輪郭が溶けていく。
その隙を逃さず、ゾディアが両手を前に突き出した。
「逃がすものか!」
掌から鉄の鎖が何本も伸び、空を裂きながらキールへと迫る。
鎖が絡み合い、蛇のようにうねりながらキールの腕を狙った。
だが、キールの周囲にはすでに水の防御膜が張られていた。
水が球体となり、ドームのように彼を包み込む。
鎖がぶつかるたびに、波紋のような衝撃が広がり、鉄と水が拮抗する音が響いた。
「そんな薄い壁で、私の光が防げると思って?」
光がルビルの全身から放たれ続けて、まるで太陽のように灼熱の輝きを放つ。
その熱気が空気を震わせ、水の膜に触れた瞬間――
水がジュウゥッと音を立てて蒸発し始めた。
ルビルは全身を輝かせたまま突進する。
水の壁を強引に突破し、そのままキールの顔を両手で掴んだ。
「熱ッ……!」
皮膚が焼けるような感覚が走り、キールの集中が一気に乱れた。
防御の膜は消え、水滴が床へと落ちて消える。
ゾディアの鎖が一気に絡みつき、キールの身体を締め上げた。
「今ならまだ、許してやる」
その背後で、ルビルがゆっくりと息を整えながら言う。
「ゴミは早く消えろ」
キールはその言葉に顔を上げ、鋭い眼差しで二人を見据えた。
「嫌です」
声は震えず、ただ静かに強かった。
「お父さんは、あなたたちを“愛して”なんていません。
あなたたちを記憶のない傀儡にしている。そのことに気づいてください!」
ゾディアとルビルの表情が、同時に引きつる。
次の瞬間、二人の声が重なった。
「父上を侮辱するな!!」
「“家族の絆”ってものを見せてあげるわ!!」
二人はキールに迫り、オーリアは笑いながら言う。
「あの男は、我々“家族”の力を理解していない。
家族とはな、家族のために身を捧げ、血肉を差し出すものだ!」
バルドは、膝をつきながらその言葉を聞いていた。
心の奥に、キールの声が蘇る。
――『ひとりじゃなくて、いいんですよ』
暗闇の中で、キールの声だけが微かに灯のように揺れた。
(これが、僕が“ひとりじゃない”ってことなのか。
お前のおかげで……ようやく気づけたよ)
そう思った瞬間、胸の奥が痛む。
鋭い痛みではなくもっと鈍くて、幼い頃からずっとそこにあった痛み。
(僕が欲しかったのは……ただ、パパからの“愛”なんだ)
能力でも、地位でも、期待でもない。
もう一度でいいから、「息子だ」と真正面から言ってほしかった。
オーリアが最愛の息子だと言ってくれるだけで胸の奥が熱くなる。
その熱を否定する術を、バルドは知らなかった。
(全てを差し出し愛してもらえるなら、椅子だろうが、影だろうが……なんだっていい。そうすれば、もう誰も攻撃しなくていい。誰も傷つかない世界が完成するんだ)
歪んでいるのはわかっている。
それでもなお――胸の奥で、幼い自分が小さく泣きながら言っていた。
“それでいいから、認めてほしい” と。




