第58話『バニー・ライド・フリム』
フリムは制服のスカートの丈を指先でつまみ、ほんの数センチ短くした。
鏡の前に立つと、太ももが光を受けて際立つ。
「これでもう私は自由なんだ」
満面の笑みでポーズを取るが、すぐに眉を下げた。
「でもフルアに来たはいいけど、バニーさんとライドさんってどこにいるんだろう」
ホテルの部屋の薄暗いテレビには、かつてのニュース映像が映っている。
炎上する警察署、倒れてる車。
その中央で笑う、ピンク髪の少女と紫髪の少年。
――バニーとライド。
フリムの心臓が高鳴る。まるで恋に落ちたみたいだった。
「やっぱり会いたい!」
机に地図と新聞記事、ネットから印刷した情報を広げる。
赤ペンで丸や線が無数に引かれ、まるで探偵の部屋のようだった。
「今までの襲撃場所と逃走ルート……ふむふむ、ここを狙う可能性が高いかな!」
口調は真剣なのに、顔は楽しげだった。
まるで“推し”の行動を追いかけるオタクのように、フリムの目には熱が宿っている。
道行く人に声をかけ、バーに忍び込み、廃工場にも潜入。
危険を恐れず動き続ける彼女の姿は、もはや狂気と執念の塊だった。
「ふふ、絶対に見つけるんだから……!」
そして――三週間後の朝。
荒野に停泊している車を、遠くの丘からフリムは見つけた。
ピンクと紫の髪が日差しの中で風に揺れる。
瞬間、全身の血が沸騰したように感じた。
(あれだ……! あれこそがバニーさんとライドさん!!)
砂埃を上げて駆け出し、制服のスカートが風に翻り、光が太ももを照らす。
「あなたたちがバニー&ライド!?」
心臓が爆発しそうだったが荒い息を整えながら叫んだ。
車から降りたライドが銃を構える。
「誰だ?」
低い声、鋭い眼差しにフリムは完全に打ち抜かれた。
(うぎゃあぁぁぁ!! ライドさんかっこよすぎ!! もう死んでもいいかも!!)
顔を真っ赤にして叫ぶ。
「わ、私! あなたたちの大ファンで! ずっと探してたんです!!」
そして、バニーもフリムを怪しそうに観察していた。
「……何がしたいの?」
低く冷ややかな声。
それだけの言葉なのに、フリムの心臓は爆音のように鳴り響く。
(ま、待って!! あのバニーさんが私に話しかけてくれてる!?
声、近い、やばい!! かっこかわいいなぁ、ほんとに!!)
頭の中では花が咲き乱れ、現実感はほとんどなかった。
バニーの声に興奮して耐えられず、フリムは思わず涎を拭って笑顔を作る。
「私も一緒に行きたいんです!!」
その勢いに、ライドが深くため息をついた。
「名前は?」
短い問い。それだけでフリムの脳内は爆発寸前。
(やばい、ライドさんが……! 私の名前を聞いてくれてる!?
これ、人生のピークかも!!)
フリムは両手を胸の前で組み、満面の笑みで叫ぶ。
「同い年、フリーダムのフリム! 日本の制服、可愛いでしょ!」
無邪気な笑顔と変なあいさつに、バニーは笑ってしまっていた。
そんなフリムを、ライドは呆れ顔で見つめながらも、結局は「好きにしろ」と言って受け入れてくれた。
(あぁぁぁ!!! バニーさんが笑ってくれてる幸せ!
これからこのお二人といれるなんて幸せ!!)
――それが、三人の始まりだった。
フリムの興奮は一か月ほど続き、ようやく少しずつ落ち着きを取り戻していた。
気づけば、フルアの街では「バニー&ライド」ではなく――
「バニー・ライド・フリム」として三人の名前が、並んで呼ばれるようになっていた。
あの日、希望を失っていた少女は今、憧れの中で生きている。
3人が出会って、しばらく時間が経ったときのこと。
「ねぇ、フリム。私もその制服、着てみたいかも……」
その一言に、フリムは跳ねるように立ち上がった。
「え!? 本当ですか!? バニーさんの制服姿、絶対可愛いです!!」
「そんなに期待されても……可愛くないと思うけど……」
バニーは頬を赤らめ、視線をそらした。
けれど、そんなの関係ないというように、フリムは自分の荷物を引っかき回す。
「えっと……バニーさんにはこれ似合いそう!!でも、こっちも……ううん、どっちもいいかも!!」
テンションが上がりすぎて、完全に一人で盛り上がっていた。
「ちょ、ちょっとフリム……」
「ダメです! 今がチャンスです!」
しぶしぶ、バニーは着替えることにして数分後、部屋のドアが開き――。
「……どう、かな」
そこに立っていたのは、いつものバニーとはまるで違う姿。
へそがちらりと見える短いセーラー服。スカートの丈も危ういほど短く、白い太ももがまぶしい。
照れくさそうに裾を押さえる姿が、どこか初々しかった。
そのタイミングで、ちょうどライドが外から戻ってくる。
「バニー、その格好……」
目を丸くしたライドに、バニーは慌てふためく。
「ち、違うの!! これはフリムが勝手に!!」
その後ろで、フリムは満足そうにうなずいていた。
「えー? バニーさんが着たいって言ったんですよ~?」
「言ってない!!!」
顔を真っ赤にして反論するバニー。
そんな二人を見て、ライドはふっと笑った。
「似合ってんじゃん、バニー。自信持てよ」
その何気ない一言に、バニーの心臓が跳ねる。
「か、彼氏面しないでよ、バカライド!」
そっぽを向きながらも耳まで真っ赤になっていた。
「本当のこと言っただけなのに、なんで罵倒されなきゃいけねぇんだよ!」
「ライドのそういうとこ、好きだけど嫌い!!」
「どっちなんだよ!」
2人の言い合いにフリムは微笑んでいた。
(バニーさんとライドさん……やっぱりすごい人たち。
でも、こうして笑ってる時は、普通の人なんだ。
私、この二人と出会えて本当によかった)
フリムは笑顔で言う。
「バニーさん! ライドさん!」
2人がこちらを向いた。
「私、今とっても幸せです! ずっと一緒にいましょうね!!」
ライドは肩の力を抜いて、優しく笑う。
「……当たり前だろ」
その声に、フリムは胸がいっぱいになる。
すると次の瞬間、バニーが勢いよくフリムに抱きついた。
「フリムったら、可愛いこと言って!!」
その温もりに包まれながら、フリムの心ははじけそうで、気分は頂点に達していた。
そのまま夜は静かに更けていき、フリムは幸せそうに微笑んだまま眠りにつく。
ライドは寝息を立てるフリムを見て、ぼそりと呟いた。
「まったく……フリムは自由気ままだな。俺たちも少しくらい見習わねぇと」
バニーはフリムの髪を撫でながら、柔らかく笑う。
「ほんとに私たちのこと大好きなんだね」
二人は並んで座り、しばらく眠るフリムを見つめていた。
そのとき、フリムが寝言をつぶやく。
「バニーさんとライドさん……いちごになりましょう……」
「……いちご?」
バニーとライドは顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「どんな夢見てんだよ、まったく」
三人の間に流れる空気は、穏やかで、温かくて、どこまでも優しかった。
そして――時は流れ、運命の日が訪れる。
夜明け前の冷たい風が、高台の草を揺らしていた。
フリムたち三人は、無数の銃口に囲まれていた。逃げ場は、どこにもない。
フリムは足元を見つめながら、ただ震えていた。
――あの頃、焚火のそばで笑い合っていた日々。
自由であることが当たり前だった時間。
(あのときは……自由だったのに)
いつも笑って、ふざけあって、三人で夢を語っていた。
だけど今は、そのすべてが崩れ落ちていく音が聞こえる。
「なんで俺の言うことが聞けないんだよ!」
ライドの怒鳴り声が響いた。
バニーは涙をこらえて、それでも真っすぐに言い返す。
「あなたと一緒にいたいからよ!」
声を荒げる二人。だが、その裏には恐怖と焦燥が滲んでいた。
フリムは二人の姿を見て、何も言えなかった。
彼女の中で、古い記憶がよみがえってくる。
泣き叫ぶ金髪の少女、母の冷たい瞳、優しさで人が死ぬという現実。
(まただ……また、私のせいで……)
胸の奥で何かが壊れる音がした。
自分のせいで、誰かが傷つく。
何度もそう思って、何度も自分を責めてきた。
それでも、バニーとライドに出会って初めて、自分を“好き”になれた気がしたのに。
バニーとライドと過ごした日々は、確かに“生きていた”時間であった。
ようやく掴んだ自由が、また指の隙間からこぼれ落ちていく。
レアマシ―・エリア11 研究所
兵士たちはフリムたちを無機質な鉄の台座に押し付け、手足を縛りつけた。
鉄の冷たさが、まるで死の感触のように肌を刺す。
「一体に何が――」
フリムの声は震えていた。
その瞬間、天井が開き、装置が降りてくる。
無数の光が点滅し、奇妙な機械音が鳴り響いた。
恐怖が喉を詰まらせ、息ができない。
「や……やめて……!」
次の瞬間、頭の奥を貫くような電流が走り、世界が反転する。
視界が白く染まり、時間の感覚が消えた。
「きゃああああああああああ!!!」
記憶が溶けていく――。
走り回った日々、制服を着て笑った朝。
バニーに抱きしめられた夜、ライドに褒められた瞬間。
それらすべてが、ひとつずつ溶けていくように消えていく。
「バニーさん……ライドさん……」
その名前だけが、最後に唇を離れた。
やがて光が消え、静寂が訪れる。
フリムの瞳は焦点を失い、唇は微かに震えた。
呼吸は浅く、まるで空気のように存在すら忘れてしまったようだった。
「……私って、誰だっけ?」
その声は、冷たい部屋に響き、やがて吸い込まれて消える。
もう“自由”を叫んだ少女はいない。
そこに立っていたのは――心を空っぽにした、ただの“器”だった。




