第54話『壊れた制服』
バルドとキールは、暗い廊下を奥へと駆け抜けていた。
バルドは影を自在に操り、壁や床から伸ばした腕でロボットを叩きつけ、次々に粉砕する。
キールも水の弾を連射しながら前進し、弾丸が次々とロボットを貫き、壁に激しくぶつかった。
「厳重なはずなのに、この手薄さは罠だな」
バルドが警戒を強めながら言う。
「そうだとしても、進むしかないです!」
キールは息を荒げながら、水の刃でセキュリティゲートを一閃する。
切断された金属が音を立てて崩れ落ち、通路の先にひとりの影が立っていた。
静止した空気が張り詰め、金属の軋む音だけが響く。
バルドが眉をひそめる。
「あいつ……まさか」
キールも息を呑み、低く呟く。
「あの時の……」
そこに立っていたのは、女子高生の制服を着た長身の少女だった。
黒髪は後ろで束ねられ、目の間に落ちる一束の髪が顔の白さを際立たせている。
切れ長の瞳は冷たく静まり返り、まるで光そのものを拒んでいるようだった。
制服の裾は以前より長くなっていたが、わずかに乱れた襟元が、かえって彼女の存在の異様さを際立たせている。
――フリム。
かつて、バニーとライドと肩を並べて戦った少女。
今はその面影はなく、深い影が落ちている。
腕や頬には、自らを責めるように刻まれた傷跡が残っていた。
フリムはゆっくりとこちらに顔を向け、微かに笑う。
「あなたたちなのね……ここに来るって言ってたUMHは」
バルドは即座に臨戦態勢を取り、低く構えた。
「悪いがそこを通らせてもらう。邪魔するなら、容赦なく殺す」
一瞬、沈黙が落ちるが、次の瞬間フリムの瞳に狂気が宿る。
唇の端が震え、嗤うように言った。
「殺してくれるの? 本当に……殺してくれるの?」
あまりに歪な喜びの声に、バルドは言葉を失う。
「何を言ってやがる。殺されたい? 前は“抱かれたい”と言ってたくせに、どんな心変わりだ」
フリムの瞳孔は開き、感情が壊れたように叫んだ。
「殺してくれないなら――死んでぇぇぇぇぇぇ!!!」
その瞬間、空気が一変する。
喉を掴まれたように、二人の呼吸が奪われた。
肺が焼けるように苦しく、視界が揺らぐ。
「くっ……そ、またか!!」
「この前の!」
キールは必死に冷静さを保ちながら、必死に手を伸ばし構える。
水弾を放つと、それがフリムの周囲に当たり、淡い膜のような波紋が広がった。
そこに、水滴が張り付いて、わずかに“形”が見える。
(前は焦ってて気づかなかったけど……水がついて、わずかだけど透明の輪郭が浮かんでる。呼吸といい――もしかして……)
バルドはキールの横で影を構えながら言った。
「この前みたいに逃げられないな。長期戦を覚悟したほうがいいぞ」
キールは真っすぐにバルドを見る。
「バルドさん、彼女は僕に任せてください」
その言葉に、バルドが眉をひそめた。
「お前……まさか復讐するつもりか?」
キールは小さく首を横に振り、静かに答える。
「いいえ。ただ、彼女は前と何かが違う気がして」
視線をフリムに向けながら続けた。
「それに、彼女の能力の正体が分かった気がします。僕の能力の方が相性がいい」
その決意を見て、バルドは短く息を吐き、目を閉じた。
「わかった。だが、無茶だけはするな」
キールは小さく笑う。
「やっぱり、優しいですね」
「うるさい!」とバルドは即座に返し、睨む。
キールが苦笑すると、バルドは舌打ちして前へ進んだ。
フリムがそれを見て、怒りに震える声を上げる。
「ここを行かせないッ!!」
キールは構え、足裏に水の膜を滑らせた。
一瞬で距離を詰め、両手を広げて大量の水を放つ。
水が渦を巻き、フリムの全身を包み込んだ。
制服が濡れ、黒髪が頬に張りつく。
月光に濡れたその姿は、どこか壊れた美しさをまとっていた。
その身体は冷たいのに、息づくように熱を帯びている。
フリムは濡れた前髪をかき上げ呟いた。
「制服が濡れちゃったじゃない。台無しにしないで……」
キールは挑発的に言い返す。
「前に戦ったときは破り捨ててたのに。今は大切なんですね?」
フリムの表情が怒りに染まった。
「この制服は私が“私”であるための、唯一の証なの! 馬鹿にしないで!!」
その叫びを聞いて、キールの目に確信が宿る。
(やっぱり、ケントと同じで彼女は記憶を失っていたかも。今はもう、すべてを取り戻している。明らかに言動が別人だ)
「あなたは僕が止めます!」
キールは声を張り上げ、フリムは顔を歪め、殺気を帯びた声で吐き捨てた。
「私を馬鹿にしたこと絶対に許さない!!」
フリムは濡れた髪を払いながら、静かに息を吐く。
そして、ためらうことなく濡れた上着のボタンを外していった。
布が肌から離れるたび、水滴が床に落ちては光を弾く。
さらにスカートに手をかけたその瞬間、キールは反射的に水を放った。
しかしフリムは軽やかに身をひねり、放たれた水弾をすり抜ける。
そして、ためらいもなくスカートを脱ぎ捨てた。
――現れたのは、漆黒の装束。
胸元は大胆に切り込まれ、細い布が線を描くように身体の曲線を際立たせている。
腰から太ももにかけての露出は危ういほどで、月光が肌を白く照らしていた。
その姿はまるで戦うために生まれた女神のようでもあり、狂気そのものでもあった。
キールは息をのみ、言葉を放つ。
「肌に触れる“空気”を操ってるんですよね」
キールの声は確信に満ちていた。
その言葉に、フリムの目が細くなる。
「だから、際どい格好や制服でより肌が見えるようにしてたんだ」
しばらく沈黙が続いたのち、フリムは小さく笑って言った。
「まさか、そこまで見抜かれるなんてね。あなたが初めてよ。でもね――」
瞬間、瞳の奥に怒りが宿る。
「分かったところで、どうしようもないのよ!」
空気圧の壁がキールを襲い、喉を掴まれるように息が詰まった。
「く……っ!」
呼吸が奪われ、視界が滲む。キールは必死に水を集めて反撃しようとするが、遅かった。
フリムが距離を詰め、一瞬で背後に回る。
「悪いけど体術も得意なの」
そのまま首に腕を絡め、m喉元をしめた。
「ぐっ……!」
圧迫される喉、崩れ落ちる膝。
呼吸を奪われ、意識が遠のいていく中、フリムが耳元で囁く。
「あなたが“私を倒す適任”だなんて――笑わせないで」
キールは血の味を感じながらも、なんとか顔を上げた。
視界が揺れ、世界が霞んでいく中で、振り絞って言う。
「あなた……罪悪感で押し潰されそうで……死にたかったんですね?」
その言葉に、フリムの全身がぴくりと震えた。
一歩、二歩と後ずさりして、キールから距離を取る。
「な、何言ってんの? 私は任務を全うするの!」
声が裏返っていた。
「それにあんたが制服を台無しにしたんでしょ!」
キールは苦しげに咳をしながらも、静かに言葉を返す。
「殺してほしいんじゃないんですか? それとも……本当に、任務を全うしたいんですか?」
その一言が、鋭い刃のようにフリムの心を裂いた。
フリムの顔が歪み、視線が揺れる。
「記憶が戻ったんですよね……?」
フリムは唇を噛みしめ、手を強く握った。
肩が震え、目には涙とも汗ともつかぬ光が滲む。
「うるさい……うるさい……うるさい!!」
その叫びは、怒りではなく、痛みそのものだった。
「前の自分と今の自分、どっちを信じていいか分からないから――」
「黙って!!」
フリムの体が一気に弾けるように動く。
見えない圧力がキールの体を縛り上げ、空気が潰されるように重くなる。
キールは動けず、その場に押し込められた。
フリムがゆっくりと歩み寄る。
瞳は涙で濡れているのに、表情は狂気のように冷たい。
「何が分かるっていうの? 知りもしないくせに偉そうに言わないで!!」
そして、フリムは近づいて、顔面を拳で何度も殴る。
拳が飛ぶ。頬に衝撃。
もう一撃。
次第に殴るたび、彼女の声が震えていく。
「私の苦しみは……っ、あんたなんかに……わかるわけ、ないのよ!!!」
その叫びは怒りではなく、どうしようもない悲鳴のようだった。
フリムの拳は止まらず、キールの血が彼女の手に散る。
キールは息を荒げながら、口元で水を瞬時に生成した。
一気に噴き出した水がフリムの顔面を覆い、彼女の視界を奪う。
「なにこれ……汚いっ!!」
フリムは水を振り払おうとして足を取られ、床に膝をついた。
その隙を逃さず、キールは全身に力を込める。
彼を縛りつけていた見えない圧力を、自らの水流で押し返した。
バシャァンと音を立て、キールの体を包むようにドーム状の水が膨れ上がる。
それは防御と解放、両方を兼ねた一撃だった。
「はぁ……っ、これで……!」
拘束が解けた瞬間、キールは地を蹴り、フリムとの距離を詰める。
フリムの全身を水の膜で包み、肌は水で覆われ、能力が使えなくなった。
両手を掲げ、掌に水の奔流を集約させる。
「いい加減にして!!」
水の中で怒鳴るフリムの声が響くが、キールはもう止まらない。
彼女の瞳に映ったのは、蒼い光に包まれたキールの姿だった。
「これで終わりです!!」
放たれたのは、轟音を伴う巨大な水柱。
圧縮された水が弾丸のように突き進み、フリムを襲う。
その瞬間、フリムの身体は風よりも速く押し流された。
まともに息を吸うこともできず、全身が圧縮された水の暴力に飲み込まれる。
壁に叩きつけられた瞬間、爆発のような衝撃音が響き、破片と水の霧が一斉に宙を舞った。
「かっ……!」
フリムは息が詰まり、痛みと一緒に、抑え込んできたものが溢れそうだった。




