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第52話『自分のため』




レアマシー トシスト州 バー『アエリモ』



街の灯が消えかけた郊外。

荒野の果てに、ひとつだけぽつんと光る建物があった。

木製の看板には、かすれた文字で「BAR AERIMO」と書かれている。



風に鳴るネオンの音が、夜の静寂(せいじゃく)をさらに際立(きわだ)たせていた。

扉を押すと、(にぶ)いベルの音。

薄暗(うすぐら)い店内には、古びたジュークボックスと、ひび割れたカウンター。



その奥、灯りの届かぬ(すみ)のテーブルに、一人の男が待っていた。

右目に走る深い傷跡に日に焼けたような薄茶色の肌。

瞳は闇に慣れた(けもの)のように、二人を射抜(いぬ)いている。



サイラスが低くつぶやいた。



「なんか、辛気(しんき)くさいな」



キールは無言のまま隣に立つ。

左目には黒い眼帯(がんたい)――フルアで失ったその瞳の代わりに、窓から入る月光が彼の輪郭(りんかく)を照らしていた。


バルドは、グラスを置き、静かに立ち上がる。



「やっと来たか。話は車の中でしよう。目的地まで少し距離がある」



彼が歩き出すと、床が(きし)む音だけが店を支配していた。

サイラスは眉をひそめて言う。



「すぐ出るなら、わざわざバーに呼ぶ必要ないのに。他の場所でも良かっただろ」



バルドは振り返らずに答えた。



「この国じゃ俺は厄介者だ。いろんな意味で、目立つと面倒なんだ」



その声に、サイラスは言葉を飲み込み、短く息をつく。





フリーウェイを外れて、砂利道(じゃりみち)に入った。

運転席のバルドは無言で、助手席のキールは前方を見ている。

後部座席のサイラスは(ひじ)を前の席の裏に乗せて身を乗り出していた。



「お前らのおかげで、場所が割り出せた。助かったよ」



バルドが低く声で言う。



「お前、キーレストのこと尾けるならなんで助けないんだよ」



サイラスが刺すように返した。



「俺はそこまでお人好しじゃない。自分でなんとかしろ」



バルドはあしらうように答える。



サイラスは舌打ちしてシートに背をもたれ直すと、キールが間を割るように口を開いた。



「前に言っていた研究所に関わってる企業って、どこなんですか」



「あぁ、約束どおり伝える」



バルドはメーターの下に置いたタブレットを指で弾き、暗い地図に薄い赤のマーカーを灯す。



「世界三大企業のひとつ、ハールメス・コープが裏で関与している」



「は? マジかよ」


サイラスの目が見開く。


「ハールメスとフルアって、最悪の組み合わせじゃねぇか」



バルドは続けた。



「そして、ハールメス・コープの総帥(そうすい)――オーリア・ハールメスは、俺の親父だ」



「は? え、ちょ、は?」



サイラスが言葉を失い、キールは身構(みがま)える。



「罠ですか」



「罠なら、わざわざ言わねえよ」



バルドはため息をつき、言葉を吐き出した。



「俺は(おおやけ)には“いない子”だ。表向き、オーリアの子供は三人ってことになってる」




車内に短い沈黙。サイラスは眉間(みけん)のしわをゆるめ、キールもほんの少しだけ肩の力を抜く。

サイラスが沈黙を破るように口を開いた。



「水面下で対立しているフルアとレアマシー。そのレアマシ―の大企業――ハールメスがフルアと手を組んでたなんて、国際問題になりかねないぞ」



運転席のバルドは、前を見据(みす)えたまま低く答える。



「そうだな。ハールメスの取引相手が“国”とはな。事態は想像以上に根が深い」



キールが助手席から身を乗り出すように言った。



「バルドさん、あなたは僕たちと利害が一致しているから協力を仰いだんですよね。

 知っている情報を、すべて教えてください」



その真剣な眼差しを見たバルドはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐く。



「……俺は親父に人生を壊された。あいつを殺すために屋敷(やしき)へ忍び込んだ時に知ったんだ」





――1年前



オーリア・ハールメス邸・午前1時



バルドは黒い影に身を潜め、書斎(しょさい)の奥を(うかが)う。

暗闇の中、モニターの光だけがオーリアの顔を青白く照らしていた。



「もう作れるんだな?」



スピーカー越しの低い声。

相手は見えない。だがその一言で、空気が凍りつく。

オーリアがわずかに肩を震わせながら(うなず)いた。



「は、はい。ただし、能力の発現率は低く、コストも莫大(ばくだい)です。

 しかし――クローンとして兵器転用する件は、あと一歩のところまで」



「そうか。ついにここまで来たか」



モニターの向こうの男が、満足そうに笑う。



「ならばクローンは予定通り、取引先へ。計画どおりに進めろ」



オーリアは青ざめながらも(たず)ねた。



「この研究はいったい、何のために? 20年近くも口を閉ざしてきた理由を、教えていただけませんか?」



返ってきた声は冷酷(れいこく)だった。



「世界に示すのだ――。邪魔をする者がいるなら、排除すればいい」



オーリアの喉が震える。



「そ、そんな……。では、既存のUMHたちは……?仮にも対抗勢力になってしまう可能性もありますが」



モニターから笑い声が聞こえた。



「問題ない。危険因子(きけんいんし)や反抗する可能性のある者はいずれ排除するつもりだ」



一拍(いっぱく)置いて、男は続ける。



有川莉々愛(ありかわりりあ)――というUMHがいる。ヤツの洗脳の力を使えば全てのUMHを操り、捨て(ごま)や兵器として使えるだろう」



オーリアは息を呑み、モニター越しに響く冷たい笑いが、静まり返った書斎(しょさい)を満たしていった。



「引き続き、研究を進めろ」



「はい」



その瞬間、バルドは影の中で拳を握りしめる。





現在



バルドの横顔には、怒りとも絶望ともつかない影が浮かんでいた。



「俺はその会話を聞いて、気が気じゃなかった。自分が“標的”にされているんだからな。だからいろんなことを調べ上げて、最初にリリアを狙い、殺そうとした」



ハンドルを握るその声には、一切の迷いがなかった。

助手席のキールは、握った拳を震わせながら(にら)む。



「リリアさんは、まだ何もしてません! 殺すなんてあんまりですよ......」



バルドは舌打ちをして、横目でキールを(にら)み返した。



「ガキの理想論は聞き飽きた。

自分の命を奪われる前に、先に手を打っただけだ。それの何が悪い」



キールは顔をしかめながらも、食い下がる。



「じゃあ……今から行く研究所は何のために行くんですか?」



「クローンを破壊する。大量の人間兵器を前に、俺ひとりで勝てるわけがない。

 だから、その前に根を絶つ。――それに、そこに親父がいるはずだ。この呪われた運命を全部、終わらせるだよ」



キールの目が大きく開かれた。



「全部……自分のため、ってことですか?」



「当たり前だ」



バルドの声は冷たく、まるで刃のようだった。



「結局どんな奴でも、最後に守るのは自分自身だ。他人なんて、信じても裏切られるだけだ」



キールはその言葉に言い返せず、静かにうつむく。



「人と(つな)がるのが怖いんですね」



一瞬、バルドの指先が止まり、キールを再び(にら)みつけた。



「もう喋るな。次に口を開いたら――殺すぞ」



言葉の温度が、車内の空気を(こお)らせる。

サイラスは後部座席(こうぶざせき)で、腕を組みながら二人の背中を見ていた。

キールの静かな声がその沈黙を裂く。



「あなたは、僕と同じだ」



バルドは急ブレーキをかけて影が(うごめ)き、車の外に伸びた黒い腕がキールの首を(つか)む。

すさまじい力で押し付けられ、キールの身体がドアごと外へ叩き出された。



「どこが同じだッ! この理想主義者が!」



地面に倒れ、喉を締め上げられながらも、キールは震える手を前に出す。

(てのひら)に集まった水が(うず)を巻き、形を変えた。



「――っ!」



一瞬で放たれた水の弾丸をバルドの顔面すれすれをかすめ、バルドは後ろへ下がる。

黒い腕が霧のように消え、キールの周囲には水の膜がドーム状に広がった。

光を反射して揺らめくその防御の中、キールは苦しそうに息を吐きながら立ち上がる。



「偉そうな口聞いてすみません」


(かす)れた声で、それでもはっきりと続ける。


「バルドさんがどんな人生を歩んで、どんな苦しみを受けてきたか……僕は知りません」



バルドは黙って立ち尽くしていた。

キールは真っすぐに言葉を(つむ)ぐ。



「でも、同じUMHだから。きっと、分かり合えることだってあると思うんです」



「同じにするなッ!」



バルドの怒声が響いた。

それでも、キールは一歩、また一歩と近づく。



「僕は……大切な人を失ってから、人と関わることを避けてきました。もう二度と、あんな想いはしたくなかったから」



キールの瞳は揺るがず、夜の中で青く光っていた。



「でも、一人でいることは、その気持ちを味わうことよりもっと辛かった。確かに誰かと関わることは痛みを(ともな)います。

でもそれ以上に、一緒にいたいと思う人がいるから、覚えておきたい人がいるから、僕は生きていられるんです」



キールはそっとバルドの肩に手を置く。



「ひとりじゃなくていいんですよ。自分のためだって言っても、僕を助けてくれたし、ケントさんのことも(とむら)ってくれたじゃないですか」



サイラスは車の(そば)で腕を組み、どこか誇らしげに微笑んで静かにその光景を見ていた。



「自分をどう思っても、僕にとってバルドさんは……優しい人です。でも、リリアさんを狙っている件はなにがなんでも止めさせてもらいます」



キールは微笑みながら言う。

バルドは、しばらくキールを見つめたまま、言葉を失っていた。



怒りでも否定でもない――ただ、胸の奥で何かが揺れたようだった。

やがて、低く(しぼ)り出すように(つぶや)く。



「リリアみたいなこと言うんだな」



キールは少し照れたように頬をかき、笑った。



「リリアさんの受け売りですから」



バルドは顔を背け、吐き捨てるように言う。



「俺は一人でいたいんだ。それに傷つくのが怖いんじゃない、傷つけられるのが怖いんだ。それにどう思われようがどうでもいい」



それでも最後に、わずかに声を落とした。



「……だが、お前の言ったことは、覚えておく」



キールは嬉しそうに目を細め、微笑む。

車に戻ると、サイラスが口角を上げて言った。



「……あれだけ(まぶ)しいもん見せられたら、守りたくもなるだろ」



バルドは表情を変えず、車に乗ろうとする。



「うるさい」



夜の荒野を、三人を乗せた車が走り去っていく。

バルドの背中にはほんのわずかな温もりが残っていた。


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