第51話『二つ目』
フルア国・飛行場
「リリアおねーーーちゃーーーん!!」
修理を終えたばかりのニニィが両手を振りながら駆け寄ってくる。
次の瞬間、勢いのままリリアの胸に飛び込んだ。
「ニニィ! もう大丈夫なの?」
ニニィは胸に顔をうずめたまま、くぐもった声で答える。
「うん! へーちゃんさんに直してもらったからへっちゃらだよ!」
リリアは安堵の笑みを浮かべ、ニニィがふと思い出したように顔を上げた。
「でも、お姉ちゃん。キールお兄ちゃんと喧嘩したって聞いたよ?」
心配そうなその声に、リリアは少し慌てる。
「も、もう大丈夫! ちゃんと仲直りしたから!」
すると、ニニィの顔がぱぁっと明るくなった。
「よかったぁ! リリアお姉ちゃん、お兄ちゃんのこと大好きだもんね!」
その無邪気な言葉に、リリアの顔がみるみる赤く染まる。
慌てて人差し指を唇に当てて言った。
「しーーっ! キールに聞こえたらどうするの!」
ニニィはいたずらっぽく笑う。
「否定はしないんだね!」
リリアは観念したように頬を赤くしたまま小さく頷いた。
リリアとニニィが笑い合っている後ろで、キールはワイスによって地面に押し倒されていた。
「うわっ!? ワイスっ!!」
「ワンッ! ワンッ!」
尻尾をブンブン振りながら、キールの顔をぺろぺろと舐めまわす。
「ちょっ……ワイス、やめてっ! くすぐったいってば!」
必死に笑いながら逃げようとするキール。
だが、ワイスは楽しそうに離れようとしない様子を見て、サイラスが腕を組んで感心するように言った。
「ワンコロも可愛いな。それにロボットが人間みたいですげーな」
すると、ニニィが勢いよく駆け寄ってきて、胸を張った。
「ふっふーん! 私たちすごいでしょ!
私、ニニィです!! ワイスは私の親友なんです!!」
サイラスは思わず笑みを浮かべる。
「よろしくな、ニニィ。俺はサイラスだ」
ニニィはじーっとサイラスの顔を見つめて聞いた。
「サイラスさんって、男なの?」
サイラスは口角を上げて、にかっと笑う。
「まぁ、一応な。そこんとこよろしく!」
ニニィはパッと笑顔になり、敬礼のポーズで答える。
「りょーかいです!!」
その隣でリリアも笑いながら言った。
「やっぱり、そうだったんですね! 私も了解です!」
二人のあっけらかんとした受け入れ方に、サイラスは目をぱちぱちと瞬かせた。
「最近の若者って、なんでそんなに受け入れ早いんだ?」
ワイスが「ワン!」と鳴いて尻尾を振る。
飛行機のタラップをゆっくり降りてきたヘイスは、真っ先にリリアのもとへ駆け寄った。
「リーちゃん……大丈夫~?」
キールと別れて以来、元気のなかったリリアを見ていたヘイスの瞳には、深い心配が宿っていた。
「へーちゃん、ありがとう……もう大丈夫だよ。すっかり元気」
リリアが柔らかく笑うと、ヘイスは安心したように彼女を抱きしめる。
「よかった……ほんとによかった。ちゃんと乗り越えたんだね~」
リリアは少し照れくさそうに笑いながら答えた。
「うん……というか、キールと仲直りしたの」
その言葉に、ヘイスはぱちりと瞬きをしてから、後ろを見る。
ワイスを抱えて近寄るキール。
ワイスをそっと地面に降ろし、真っ直ぐに三人の前に立った。
「ヘイスさん、ニニィ、それにワイス……」
キールは深く頭を下げる。
「――あの時は、本当にごめんなさい」
数秒の沈黙のあと、ワイスがキールの頭に大きな手をぽんと置いた。
キールが顔を上げると、ワイスは「ふん!」と鼻を鳴らし、笑うように見ている。
ニニィがそれを見て駆け寄り、明るく言った。
「ワイスは“許す”って言ってるよ! それに、あの時の私は壊れてたし、全然大丈夫!!」
ニニィはグッと親指を立て、片目をつむって笑ってみせる。
キールは胸が熱くなり、込み上げるものを堪えながら微笑んだ。
「ありがとう」
リリアもその光景を見つめながら、穏やかに笑う。
だが次の瞬間、ヘイスが真顔のままキールに歩み寄る。
パァン!!
乾いた音が響いた。
「へ、へーちゃん!?」
リリアが驚いて止めようとするが、ヘイスはすぐにいつもの柔らかい笑顔になり、明るく言う。
「キール君。次、リーちゃんを泣かせたら……ただじゃすまないからね~?」
頬を押さえるキールは一瞬驚いたが、すぐに真剣な目で答えた。
「わかっています。もう二度としません」
そのまっすぐな言葉に、ヘイスは一瞬だけ息を飲み、ふっと表情を緩める。
「約束、だからね~」
一時間後
滑走路の端で、リリアがスマホを気にしながら小さく息を吐いた。
「おかしいな……やっぱりイオラさんと連絡つかない。
“先に飛行場に行ってて”とは言われたけど、さすがに遅すぎるよね……」
ヘイスは手を腰に当てて、苦笑いを浮かべる。
「私たちはキール君の捜索の手伝いに来たけど……来るのが遅かったみたいね〜」
その少し離れた場所では、ニニィとワイスが追いかけっこをしていて、飛行場の静けさの中に小さな笑い声が響いていた。
その光景を横に、キールは真剣な顔でサイラスに話しかける。
「サイラスさん、あのとき僕と一緒にいた“影に消えた男の人”を覚えてますか?」
サイラスは短く頷いた。
「あぁ、あの妙な奴か」
「その人、あのあと僕をつけてたみたいで、今日の朝、部屋の机の上にこれが置いてありました」
キールはポケットから一枚の紙を取り出す。
『明日、レアマシーに着いたらトシスト州アエリモのバーに来い』
サイラスは目を細めた。
「こいつ信用できるのか? お前とリリアを襲った奴だろ?」
キールは俯きかけたが、静かに顔を上げて答える。
「理由はどうあれ、命を助けられたんです。リリアさんを狙うなら戦いますけど、それでも彼からは敵意というかそういうのが感じられないんですよね...」
その言葉に、サイラスはしばらく沈黙したのち、ぽんとキールの肩を叩いた。
「お前の優しさは信用できるしな!! そいつと合流するか!」
キールは微笑んで頷く。
「はい!」
キールが今後のことを伝えるために、リリアの方へ歩み寄ろうとする。
その時、彼女の手にあるスマホが震えた。
「エイダさん?」
次の瞬間、リリアの顔がみるみるうちに青ざめていく。
「そんな!!!」
突き刺すような叫びが、飛行場に響いた。
風の音さえ止まったかのように、皆が一斉にリリアを振り向く。
「わかりました。急いで向かいます。それじゃ……」
短く言葉を残し、通話を切る。
彼女の手は小刻みに震えていた。
「リリアさん、どうしたんですか?」
キールが駆け寄り、リリアは深く息を吸い、皆の方を向く。
「エイダさんから……連絡があったんだけど」
声がかすれて、喉が詰まる。
「イオラさんが……イギリスにあるアウローラの施設を、UMHを使って跡形もなく消し飛ばしたって」
空気が凍りつき、誰もが言葉を失った。
「イオラさんが……そんなはず……」
キールの声が震えながら、拳を握る。
「イオラにかぎってそんなこと」
サイラスは冷や汗をかき、リリアは唇を噛みながらも、続けた。
「施設にいたUMHと一般社会に生活しているUMHを合わせて、計183人が死亡。それに多発死亡事件として世界中で報道されてるって」
いつもの優しい顔のヘイスが堪えきれず叫ぶ。
「嘘だよ! イオラさんがそんなことするわけない!」
その必死さに、リリアは一瞬だけ言葉を失った。
「本当に……何が起きてるの」
昨日まで笑って写真を撮ってくれたイオラ。
昨日まで自分たちに写真を撮ってくれたイオラがアウローラを裏切り、施設破壊にUMH虐殺まで行っていたことをその場にいた全員が信じられなかった。
全員の間に、重たい沈黙が流れる。
「何かの間違いのはずだ。確認を急ごう」
サイラスはすぐさま状況を整理し、前へ進もうとした。
しかし、その腕をリリアが掴んで止める
「待ってください、サイラスさん。……エイダさんから指示がありました」
リリアの声は落ち着いていたが、手の震えは止まらなかった。
サイラスは振り返り、鋭い眼差しで問い返す。
「指示?」
「キールさんとサイラスさんはここで待機を。
私とへーちゃん、ニニィとワイスは日本へ戻って、今後の対応を考えるよにって」
隣でキールは思わず声を上げた。
「そんな!! 大勢が亡くなっているのに待機だなんて。イオラさんのことだってあるのに」
サイラスも続くように言葉を叩きつける。
「そうだ。今こそ動くべきだ。後手に回れば、取り返しがつかなくなる」
空気が張り詰める。
沈黙ののち、サイラスは低く、しかし決意のこもった声で言った。
「二手に分かれるか」
全員の視線が一斉にサイラスに向く。
「恐らく、刺客のUMHはレアマシーにある研究所から送りこまれていると思う。 イギリスはもぬけの殻の可能性が高い。俺とキーレストは、このままレアマシーに向かい、真相を突き止める。
リリアたちは日本に帰ってイオラのことと今後の対応を練ってくれ」
「ちょっと待ってください」
キールが一歩踏み出した。
「僕はリリアさんといます。彼女は狙われていて、危険です。 僕が守らないと」
その言葉に、リリアは微笑みながらキールの手をそっと握る。
「サイラスさんと行って、キール」
その声は優しく、けれど確かな強さを持っていた。
「サイラスさんを助けてあげて。……私は大丈夫だから」
キールはまだ不安そうな表情のまま、リリアを見つめている。
「でも…」
「心配しすぎだよ。それに、へーちゃんとニニィ、ワイスもいてくれるし。
いざとなったら、私もちゃんと戦うから」
彼女の瞳は揺らがず、さらに強く手を握って言う。
「だから――私を信じて」
その手は、驚くほど強く、温かかった。
キールはうつむいたまま震える声で返す。
「……わかりました。本当に無茶だけはしないでくださいね」
リリアの手を、キールも同じ力で握り返す。
すると、横からヘイスのいつもの柔らかな笑顔は消え、真剣な瞳で言う。
「キール君、心配しないで。リーちゃんとイオラさんのことは、私に任せて」
続いて、後ろから元気いっぱいの声が響いた。
「お兄ちゃん! リリアお姉ちゃんは私が守るから、任せて!!」
ニニィが笑顔で小さな拳を掲げ、その隣でキールをまっすぐ見るワイス。
「ワン!!」
「お願いします。リリアさんのこと……そして、イオラさんのことも。きっと何かの間違いです」
ヘイスは目を伏せ、短く息を吐いてから静かに頷く。
「わかってる。信じたいもの」
その空気を断ち切るように、サイラスが一歩前に出た。
「キーレスト、急ぐぞ。何かが始まっているのは、間違いない」
「分かってます」
二人が歩き出そうとしたその時リリアが駆け寄り、キールの背に腕を回した。
「エイダさんへの報告は……私が伝えるね。指示とは違くなっちゃうけど」
彼女の声は震え、さらに強く抱きしめる。
キールは動けないまま、静かにその温もりを受け止めた。
「気をつけてね、キール」
リリアの声が耳元でかすかに震え、キールはゆっくりと答える。
「リリアさんも。どうか、ご無事で」
リリアは離れ、互いの手がわずかに触れ合い、そしてほどけた。
リリアは笑顔を作って手を振る。
キールも、胸の奥の不安を押し殺して手を振り返した。
ジェットのタラップを上るキールの背中を、リリアはまっすぐに見送る。
その瞳に迷いはもうなかった。
機体のエンジンが唸りを上げ、風が吹き抜ける。
砂が舞い上がる中、ジェットは空へと滑り出した。
残されたリリアは、胸の前でこぶしを握りしめる。
その表情には、強い決意が宿っていた。
「みんな、行こう!」
ヘイスが頷き、ニニィが元気よく手を挙げ、ワイスが吠える。
こうして一行は、ふたつの道へと分かれて進む。
この分かれ道が世界の均衡を狂わせる始まりになることを彼らはまだ知らない。
その狂いは喜劇なのか、それとも悲劇であるのか。
"When we are born, we cry that we are come to this great stage of fools."
人が生まれた時、泣きながら気づくのだ、この愚か者どもの大舞台に連れて来られたのだと。
― 『リア王』 第4幕第6場




