第46話『静寂の果てに』
リリアとキールはなんとか和解し、三人はこれからの話をしていた。
「この人どうしますか?」
キールはサイラスに向かって尋ねる。
何度も金的を受け、もはや動くことすらできないフラーケンを見下ろしながら、サイラスは静かに言った。
「基地がなくなったことと、これだけの轟音だ。『何もなかった』では通らないだろう」
声には疲れと、どこか曇りが差している。
「肝心の政府が信用できないんだよな。奴はフルアで捕まり、レアマシーに送還されたはずなのに、“実験に志願した”と言っていた。フルアが一枚噛んでてもおかしくない」
サイラスの言葉に、キールはすぐ反応した。
「さっき、僕たちも襲撃を受けたんですが――その人たちが教えてくれました。この国には研究所はなくて、レアマシーにあるそうです。しかも、その研究所は“フルアのもの”で、何かしら企業との繋がりがあるって」
その言葉にサイラスは思わず笑みを浮かべる。
「でかした、キーレスト! そうか、それなら奴が捕まった後、そのままその実験施設に行ったってわけか。国がそんなことをしてるってことは、元首や高官どもが関わっているのは確実だな。こいつを政府に渡しても、揉み消されるのがオチだ」
サイラスの推測に、キールは眉を寄せた。
「でも……なぜですか?フルアの実験を受けた人間が、フルアを攻撃するなんて。サイラスさんに恨みがあったとしても、ここまでやる理由があるんでしょうか?」
サイラスは頷き、短く息を吐く。
「そうだな。こいつは“崇高な計画の一部”とか言ってた。何かしらの目的があって動いているはずだ」
その時、リリアがキールの袖を軽く引いた。
「私たちを捕らえたのにも関係があるってこと?」
キールは真剣な顔で彼女を見つめ、声を落とす。
「そう、ですね。リリアさん言わなきゃいけないことがあるんです。落ち着いて聞いてくださいね」
リリアは不思議そうに首を傾げた。
「え?」
「敵は、リリアさんの能力を使ってUMHを操る計画を立てています。恐らく、狙われています」
リリアの瞳が揺れ、驚きと恐怖が全身に一気に巡った。
「私が……?でも、そんな……。全員なんて操れないよ」
「僕たちを捕らえて何かをしようとしてた。それを動かしていたのが“モロス”です」
サイラスとリリアが同時に顔を上げる。
「モロス?」
キールは頷いた。
「僕の友達、ケントが教えてくれました。黒幕の名前です」
そして、キールは自分の知る限りの情報を、余計な部分を除いて二人に伝える。
しばらくの沈黙のあと、サイラスは頭を掻きながらため息をついた。
「あー……だいぶややこしいな。
人工UMH、クローン研究所、企業の影、アウローラ内のスパイ疑惑……。リリアの身の危険、UMHの兵器化に選別。そして――フルア政府までが関与か。で、全部の元凶が“モロス”ってわけだ」
リリアは不安げに言う。
「アウローラにスパイ……狙われてるし……」
キールは首を振り、優しく言葉を重ねた。
「リリアさん心配になると思いますが、ここが正念場です。一緒に乗り越えましょうね」
リリアは震える息を整え、微笑む。
「うん……一緒にね」
サイラスは、わざと軽い口調で空気を和らげた。
「なら、次に進むのはその研究所だな。正直なところ、フルア政府を今すぐにでもひっくり返したいところだが――情報も証拠も断片的すぎる。俺もそこに行ってこの国の闇を、この目で暴く」
頼もしい言葉に、キールはまっすぐ見つめて言う。
「ありがとうございます。サイラスさんがいてくれると本当に心強いです」
サイラスは苦笑して、キールの肩を軽く叩いた。
「任せろ!!お前らのことは俺が守るからな!」
それでも、キールとリリアはどこか不安げな表情をしている。
それを見てサイラスは思った。
(こんな顔、若い子たちにさせちゃ、大人がダメだよな...)
サイラスは一つ深呼吸をして、笑顔を作る。
「こいつのことはあとは俺に任せろ。今の話は俺からイオラに伝える。お前たちはイオラと合流して、休んで寝ろ。そしたら」
にかっと笑ってみせるその表情には、軍人の顔ではなく、大人としての優しさがあった。
「フルアの伝統!生者と死者を繋ぐ祭り――“ホンテイシ”を今日は目一杯楽しめ!」
リリアは戸惑いを隠せずに言う。
「でも……こんな状況で、祭りなんて」
「やるさ!」
サイラスは声を弾ませた。
「みんなこの日を楽しみにしてる。ティアーラはお前らが仲直りしてくれて、きっと喜んでるはずだ」
そして、静かに付け加える。
「ティアーラのためにも、今日はちゃんと笑ってこい。俺と一緒にあいつらを弔ってくれ」
サイラスの微笑みには、深い悲しみと、それを押し殺すような優しさが滲んでいた。
キールとリリアはお互いを見つめ、言葉を交わさずに頷く。
「……わかりました」
「わかりました」
サイラスは二人の表情にわずかな色が戻ったのを見て、ほっと息をついた。
「よし。夜には祭りの灯が上がる。ティアーラたちも、きっと見てるさ」
その言葉は、沈んだ空気の中で小さな灯のように、二人の胸に残る。
その後、サイラスは後処理のため現場に残った。
キールとリリアを見送り、静まり返った基地跡を見つめている。
その時だった。
「女にやられるくらいなら……くらいなら……」
掠れた声が耳に届く。
振り返った瞬間、フラーケンがサイラスが落とした銃へ手を伸ばしていた。
「やめろ!!」
サイラスが叫ぶ。
――ダァン。
乾いた銃声が夜気を裂いた。
血飛沫が砂を染め、フラーケンの体はゆっくりと地面に沈んでいく。
銃が手から滑り落ち、冷たい音を立つ。
サイラスはただ、その光景を見ていた。
怒りでも、哀れみでもなく、ただ深く沈むようなまなざしで。
「最後の最後まで、変わらないのか」
その声は風に溶け、静寂が戻る。
黒い夜空には雲が流れ、月だけが淡く照らしていた。
その光の下で、サイラスはひとり立ち尽くす。
夜風が頬を撫で、銃声の残響だけが、遠くでいつまでも鳴り続けていた。
その後、リリアとキールはイオラと合流し、夜の風を切ってイオラが駆け寄ってくる。
「リリア!キール!」
彼女は二人の姿を見た瞬間、声を詰まらせながら抱きしめた。
ぼろぼろの服と疲れ切った顔――それでも無事でいることが、何よりの救いだった。
「また危険な目に合わせて……ごめんなさい」
イオラの腕がぎゅっと二人を包む。
その温もりが、張り詰めていた神経を一気にほぐした。
キールが、うつむいたまま小さな声で言う。
「イオラさん……本当にごめんなさい。僕、アウローラを裏切るようなことを」
イオラは少しだけ息を吸って、柔らかく微笑んだ。
「こうして戻ってきてくれた。それが一番嬉しいの」
その言葉に、キールは顔を上げる。
イオラの目には叱責よりも、深い安心が宿っていた。
そして、キールの左目に巻かれた包帯を見てイオラは言った。
「キール、その左目どうしたの??」
「ちょっといろいろあって見えなくなっちゃいました」
笑って言うキールを見たイオラは信じてそれ以上は何も聞かなかった。
そして彼女は二人を見比べて、ふっと表情を和らげる。
「それにしても、なんだか前より仲良くなったんじゃない? 二人とも」
リリアはキールの肩に手を添え、彼を支えながら立っていた。
その言葉にリリアは頬を赤らめ、目を逸らす。
「前と変わんないですよ……」
俯いたままつぶやく声は、どこか甘く柔らかかった。
キールも耳を掻きながら、そっけなく答える。
「気のせいですよ」
二人のそのやり取りに、イオラは思わず笑い声を漏らした。
「ふふ……そうね。それじゃ、まずはキールの治療をしましょう。肩、まだ痛むでしょ?」
イオラの声は母のように優しく、部屋の中にはほのかな安心感が広がっていく。
応急処置が済む頃には、外の空は星空が見えなくなっていた。
「そういえば、明日にはヘイス、それにニニィとワイスもこちらに来るわ」
「ニニィ……直ったんだ。よかった」
リリアは顔を明るくなり、イオラは穏やかに頷く。
時計の針はは2時半を過ぎていた。
「あなたたち、夜通し戦ってたんでしょ? 今は何も考えず、ゆっくり眠りなさい。
サイラスからも連絡があったわ――『祭りを楽しめ』って」
リリアとキールは顔を見合わせ、同時に微笑む。
「……はい」
「はい」
二人は並んで立ち、部屋のドアの前で足を止めた。
互いに言葉はなかったが、沈黙の中にあたたかいものが流れる。
リリアが小さく手を振った。
「おやすみ。キール」
その声は、まるで子守唄みたいにやさしい。
キールは頬をかすかに赤らめて、同じように手を振り返す。
「おやすみなさい。リリアさん」
二人の手の間に、ほんの少しの距離。
でもその距離が、いまは心地よかった。
ドアが閉まり、部屋の中に静寂が戻る。
長い戦いの夜がようやく終わり、誰もが待ち望んだ“朝”が、静かに訪れようとしていた。




