第45話『自分という人間』
吹き飛ばされたフラーケンは、息を荒げながらも、立ち上がった。
「この程度で勝ったと思うなよ!」
フラーケンが両腕を振ると機関銃が生成され、銃口がキールを狙う。
銃口が光を放つその瞬間、キールが足裏の水の膜を張り、地を滑って一直線に距離を詰める。
その勢いのまま、フラーケンの腕を蹴り上げた。
「ぐっ!」
衝撃で機関銃が弾き飛ばされ、転がる。
「知らない女は引っ込んでろ!」
その一言に、キールの瞳が強く揺れた。
「僕は男です!!!」
叫びと同時にキールは拳を繰り出した。
だがフラーケンはそれを受け止め、素早く腕を取る。
体をひねり、キールの腕を背中に押し付けるようにねじ上げた。
「ここには女みたいな男もいるのか。不愉快きわまりないな!」
耳元で吐き捨てるように言い、フラーケンは再び武器を生成しようと手を掲げるが何も出ない。
「クッソ!! もう作れないのか!!」
――その瞬間。
背後からサイラスの蹴りがフラーケンの後頭部をとらえた。
視界が一瞬白く弾け、フラーケンはバランスを失い、崩れる。
その隙を逃さず、キールは掴まれていた腕を振り払った。
掌の中で水が唸りを上げるように圧縮する。
「これで終わりです!!」
叫びと同時に、キールは掌底を突き出し、圧縮された水流が弾丸のように一直線に走る。
フラーケンの胸に叩き込まれ、吹き飛ばされて宙に浮いた。
宙に浮いた刹那、サイラスがその影を追うように地を蹴る。
跳び上がると、空中で体を回転させた。
振り下ろされたかかとが、正確にフラーケンの体をとらえて地面に叩きつける。
「ぐわっ!!」
衝撃に地面が揺れ、フラーケンの体が砂を弾いて転がった。
フラーケンはすぐに立ち上がり、必死に距離を取ろうとする。
だが、その先にはもうキールが立っていた。
足に水を纏い、滑るように動き、低い姿勢のまま相手の足を払う。
フラーケンの膝が崩れ、地面に着いた。
キールの水を纏った拳が爆発のように弾け、衝撃が骨まで響く。
そこにサイラスの鋼の拳が重なり、二人の力が一点に集約された。
「ぐはっ!!」
フラーケンの体が弓なりに折れ、口から血と唾が飛び散る。
フラーケンは懐から小型拳銃を抜き放った。
「死ねぇぇぇぇ!!」
轟音と閃光。
「うっ!!」
キールの肩に弾丸がめり込み、血が飛び散る。
「キーレスト!!!」
キールが打たれた瞬間、怒りと悲しみが混ざり、サイラスはもう“考える”ことをやめていた。
次の瞬間、フラーケンに飛びかかり、そのまま馬乗りになる。
拳が、迷いなく振り下ろされた。
ドゴッ。
一撃。さらにもう一撃。
三撃目で血が霧のように散り、砂を赤く染める。
怒りに任せて、何度も、何度も、何度も殴った。
「お前は……お前は俺からどれだけ奪えば気が済むんだぁぁぁ!!!」
血がサイラスの頬に跳ね、唇に触れた。
息が乱れ、腕が痙攣している。
それでも――止まらなかった。
そのたびに、過去の痛みが拳を突き動かしている。
「てめぇは……っ! てめぇは……っ!!!」
ドゴッ、ドゴッ、ドゴッ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
サイラスは膝をついたまま、フラーケンを見下ろしていた。
その瞳は焦げるように黒く、底の見えない深淵をたたえている。
「ガフッ……ハハハ……お前に俺を殺すことはできない」
血を吐きながらも、フラーケンは薄笑いを浮かべた。
「あぁ?」
苛立ちを隠せないサイラス。
「男なら人を殺せる。女はひ弱で何もできん。殺せるなら銃で殺してみろ」
フラーケンの声はかすれ、しかし、どこまでも挑発的だった。
サイラスは無言で、吹き飛ばされた銃へと歩み寄る。
黒い影が歩くたび、地面が軋む。その顔に、もう人の温度はなかった。
「サイラスさん……あいつの罠です……!」
キールは必死に声を振り絞るが、サイラスには届かない。
銃を拾い上げる手に重みが掌にのしかかる。
照準が、ゆっくりとフラーケンの眉間に合っていく。
指が、引き金にかかった。
目の奥で、ティアーラの笑顔が一瞬だけ浮かぶ。
仲間たちの声が、どこか遠くで聞こえた。
「俺は……お前を殺せる」
怒りと悲しみ、すべてを混ぜた叫びが喉を突き破る。
「ティアーラとみんなの仇だぁぁぁぁぁ!!!!」
フラーケンは口元を歪め、血の泡を吐きながら笑った。
「なら証明してみせろ、男ならな」
指に力がこもる。
その瞬間。
背中から、柔らかな温もりが包み込んだ。
「サイラスさん……待って……」
リリアの声だった。
必死に抱きしめ、その腕は細くて弱々しいのに、不思議とどんな鎖よりも強く感じる。
「離せ、リリア!! こいつを殺させてくれ!!
男として……ティアーラのためにけじめをつけないと!!」
サイラスの叫びは、怒りよりも、悲鳴に近かった。
それでもリリアは、怯まずにその背に顔をうずめ、まっすぐに言葉を紡ぐ。
「サイラスさん……これは“前に進む”ことじゃないよ」
その言葉に、サイラスの呼吸が乱れた。
「サイラスさん、前に言ってたでしょ?
“前に進んだら、前から振り返るものが現れる”って」
リリアの一言一言が、真っ直ぐに彼の心に刺さっていく。
「でも、今のサイラスさんは後ろに戻ろうとしてるよ。
この人を憎む気持ちや、ティアーラさんを失った悲しみは、進んでも、何度でも現れる。でも、そのたびに後ろへ戻ったら……もう、前には進めなくなっちゃう」
サイラスの腕が、わずかに力を失う。
銃口が、ほんの少し下がった。
「リリア……」
目にわずかな光が戻りかけたそのとき、キールがふらつきながらも近づいてくる。
「サイラスさん……ティアーラさんの言葉、忘れたんですか?」
サイラスの瞳が揺れ、キールは続けた。
「“性別は関係ない。愛しているのは、あなただから”――そう言ってくれたんですよね?」
忘れていた記憶が再び息を吹き返す。
キールに自分たちの馴れ初めを話したあと、顔を赤らめていた彼女の姿が、鮮明に蘇った。
夜、テラス。
ティアーラは頬を手で押さえながら、涼しい風にあたっている。
「頬の熱は冷めましたか? お嬢様」
わざと芝居がかった声で囁くサイラス。
「ちょっとあなた、からかわないでよ!」
ティアーラは頬をふくらませていた。
月明かりが、彼女の横顔をやさしく照らす。
「ごめんごめん。でも……ティアーラが可愛くて、つい」
サイラスは少し目を細めて笑った。
「本当に天使だよ。俺を認めてくれる最高の奥さんだ」
その言葉に、ティアーラは呆れたようにため息をつき、腰に手を当てる。
「あなたね……何か勘違いしてるでしょ?」
「え?」
ティアーラは静かに笑って言った。
「あのね、みんなあなたのことを認めてる。それがあなたにとって大切なのも、わかります。でもね、一番大事なのは――あなたが“あなた自身”を認めること。男とか女とか、そんなの関係なくね?」
その言葉はまるで祈りのように、サイラスの胸に深く刻まれた。
「まぁ……その“認める”って過程が、一番大変なんですけどね」
ティアーラは照れくさそうに笑い、サイラスはゆっくりとティアーラの顎を少し上げる。
唇が触れた瞬間、互いの呼吸が熱を帯び、ため込んできた想いが溶け合うように深まっていった。
ティアーラの手がサイラスの胸にそっと触れる。
そのぬくもりが、言葉よりも強く愛を伝えていた。
現在
銃を持つ指が震えている。
脳裏に蘇るのは、ティアーラの笑顔、柔らかな声にまっすぐな眼差し。
心の奥で、何かが崩れ落ちた。
怒りでも、復讐でもないただ、深い後悔と、愛の記憶。
サイラスは膝をつき、銃を落とす。
「俺は……何をしてたんだ……」
キールはサイラスにまっすぐ伝える。
「ティアーラさんも、きっと喜びますよ。 “あなたがあなたのままでいてくれた”って」
サイラスの頬を涙が伝い、ようやく確かな光が戻っていた。
荒く息を吐きながら、リリアの頭をそっと撫でる。
「リリア……もう大丈夫だ。ありがとう」
その言葉に、リリアは微笑み、目元を拭った。
そこへ、血の滲む肩を押さえながらキールが歩み寄る。
「キールもありがとな」
短く、それでいて深い言葉。
キールがわずかに微笑み返したその瞬間、地面に横たわっていたフラーケンの喉から、濁った笑いが漏れた。
「ここには孕むことしかできない女しかいないのか」
サイラスの眉がぴくりと動き、銃を拾い、再びフラーケンに向ける。
キールとリリアが同時に動こうとした、その瞬間。
「あのな!」
サイラスの声が空気を裂いた。
「女だとか男だとか……お前の世界は、その二つでしか成り立ってねーのか?」
銃口を向けたまま、サイラスは顔を近づけ、冷たく言い放つ。
「さぞ寂しい世界なんだろうな。でもな、俺の世界は違う」
星空を見上げて言った。
「母さん、ティアーラ、フレッド、ライアン、メイ、イオラ、キーレスト、リリア――みんな、俺を作ってくれた。男でも女でもない、“俺”という人間を!
だからな、俺は俺のことが大好きだ。みんなが愛してくれたこの俺を、今は誇りに思うよ」
その目には、もう怒りも迷いもなかった。
「俺は俺とみんなが愛してくれたサイラス・アーヴァンだ!」
一人で抱えていた体の違和感、母に言えなかった後悔。
「男らしさ」という言葉に縋り、いつしかそれが鎖になっていた。
けれど――
仲間を知り、愛する人を知り、理解しようとすることが“強さ”だと気づいた。
愛情も友情も、どちらも人が人である証。
サイラスは静かに息を吸い、まっすぐ前を見る。
自分が歩んできた痛みも、選んできたすべての道も、否定するためじゃない。
肯定するために、ここまで来た。
その目に、もう迷いはなかった。
サイラスは銃口をフラーケンの口に突きつける。
冷たい金属が喉奥に押し込まれ、フラーケンが目を見開いた。
「てめぇは、自分の銃でもしゃぶってろ」
軽口を叩くように、サイラスはにやりと笑う。
「ティアーラたちの仇はこうして取らせてもらう」
次の瞬間、風を切る音が響いた。
キィィィィィィィィィィン!!
サイラスの足が閃光のように振り抜かれ、つま先がフラーケンの股を正確に撃ち抜く。
「ぐあああああぁぁぁっ!!!」
フラーケンは情けない悲鳴を上げ、砂の上でもがき転がる。
その後に続いた悲鳴は、乾いた砂漠の空気を震わせながら長く響いた。
しばらくして静寂が戻る。
サイラスはふぅ、と長く息を吐いて空を見上げる。
「お前らも蹴るか? 気持ちいいぞ」
「蹴りません! 下品です!」
リリアが真っ赤な顔で怒鳴った。
「キールはやるよな?」
サイラスのニヤついた顔に、キールは苦笑いを浮かべた。
「い、いや……僕は……」
すると、リリアが勢いよくキールの腕を抱き寄せる。
「サイラスさんやめてください! キールに変なこと吹き込まないで!」
その瞬間――むにっ。
空気が止まった。
キールの腕に、柔らかくてあたたかい感触。
リリアは必死にサイラスをにらみつけているが、キールは石のように動けなくなっていた。
サイラスは口の端を上げて、にやりと笑う。
「キール、それどころじゃないみたいだな」
「え?」
リリアが不思議そうにキールの顔を覗き込むと、キールの顔が真っ赤になっていた。
そこで、ようやく自分の体がキールにぴったりくっついていることに気づく。
「……っ!!」
顔が一瞬で真っ赤になり、思わず手が動いた。
パァン!!
「いったぁっ!? なんで!?」
キールが頬を押さえて目を丸くする。
リリアは真っ赤な顔で、慌てて胸の前に両腕を交差させた。
咄嗟のビンタに謝る。
「ごめん、怪我してるのに」
服の前をぎゅっと押さえ、キールから半歩下がった。
リリアは頬を染め、目を逸らしながら小さい声で言う。
「でも、そっちが悪いもん。それにキールって……意外と変態だよね」
「へ、変態じゃないですって!!」
キールは必死に手を振った。
「勝手に顔が!」
「顔が勝手に赤くなるわけないでしょ!!」
リリアはそっぽを向き、キールが困ったように説得している。
「ははははっ……いいねぇ、お前ら」
ふと空を仰ぐと、雲の切れ間から、一筋の光が差し込んでいた。
その光は、まるでティアーラの笑顔のようにやわらかく降り注いでいる。
サイラスは目を細め、静かに呟いた。
「ティアーラ、今の見てたら、絶対笑ってるよな」
頬にあたる風が穏やかでどこか優しさを感じる。
サイラスはゆっくりと目を閉じ、その胸の奥で、小さく、確かな声を漏らした。
「俺は、もう“俺”で生きてるよ」
風が吹き抜け、サイラスの心に残ったのは怒りや勝利ではなく、喪失、そして、かけがえないのない人達がくれた「自分」という人間が生きているという誇りだった。




