第42話『国家“父”正の調』
四年前
高台に、その中央で――ひとりの少年と、二人の少女が地に伏せられている。
手首には拘束具、顔には土埃がついていたが、瞳には怒りが宿っていた。
「なんでこうなるんだよ...」
少年の叫びに、兵士たちは表情一つ変えない。
冷たく銃を構え、指示を待つ機械のように静止していた。
彼らは“バニー・ライド・フリム”――。
若者たちの象徴であり、SNSやメディアを通じて瞬く間に国内に影響を広げた存在だった。
彼らは過激ではあったが、根底にあるのは“少しでも生きやすい世の中にする”という願い。
腐敗した議会、老害化した制度、停滞した未来。
それに抗おうとする小さな火種であったが政府はその火を“反逆”と呼んだ。
サイラスはその現場にいた。
機械のように整列した兵士たちの中で、ただ一人だけ迷いを抱える。
「全員拘束し、直ちに送還する」
無線から上官の声。
心の奥で何かが軋む。
(本当にこれは正しいことなんだろうか?)
少年の目が、サイラスを見る。
「この世界は腐ってる...」
その一言に、サイラスの手が止まった。
銃を握る指先に汗が滲む。
(確かに、彼らは違法活動をしていた。だが、それは政府に抑えつけられた末の反応じゃないのか?上層部の腐敗、報道の統制。
“国を守る”はずの軍が、いまや“権力を守る”ための道具になってる)
現場はすぐに封鎖される。
後日、ニュースには何も報じられず、『バニー・ライド・フリム』のことはこれ以来一切報道されることはなくなった。
サイラスは画面を見つめながら、無意識に拳を握り締めていた。
(違う……。これは、革命なんかじゃない。
ただ、生きたいと叫んだだけの子供たちだ。それを耳も傾けもせず、武力で制圧...。俺たちのやってることは正義だなんて言えるのか?)
その夜、サイラスは初めて軍服を脱ぎ、鏡の前に立って思う。
(俺は誰のために、何のために戦っている?)
日に日に募る違和感。
サイラスの胸の奥では、疑念が少しずつ形を成していた。
「真実を知らなければ、いつか俺たちも同じことを繰り返す」
そう呟きながら、サイラスは夜な夜な資料室へ足を運ぶ。
薄暗い蛍光灯の下、分厚いファイルをめくる指が震えた。
軍の機密保管書類及びデータ――許可なく見れる者はいない。
だが、サイラスは階級を利用して閲覧していた。
データの中には、存在しないはずの任務記録、そして「被験体リスト」と題された極秘ファイル。
(……実験?これは、研究所で見た子供たちの名前なのか?)
画面の文字を見つめた瞬間――。
「何をしている、サイラス」
振り返ると、そこには上官が立っていた。
銀髪に冷たい眼光。まるで心を覗くような視線。
「じょ、上官……。少し、調べものをしておりまして」
「調べもの?」
ゆっくりと足音が近づく。
「何を調べているのか、答えろ」
言葉が喉につかえるが、サイラスはわずかに笑みを作った。
「過去の作戦データから、今後に活かせる手法がないかと思いまして……。あくまで参考程度です。軍の利益になると思っただけです」
数秒の沈黙。
上官の目は、まるで心の奥をえぐるようだった。
「……そうか。ならいい」
上官はそう言いながらも、怪しんでいる目は変わらない。
その一週間後
サイラスは司令室に呼び出されていた。
「サイラス・アーヴァン中佐。貴殿を本日付で、元首直属の高官および特殊部隊隊長に任命する」
――突然の辞令。会議室に響く拍手。
だがサイラスの表情は凍ったまま。
「……俺が? どうして……?」
あまりにも唐突すぎる昇格。
功績を称えるようなことはしていない。
(まさか……監視のため、か?)
その疑念は、的を射ていた。
新たな部下たち、護衛、報告書、監視カメラ、どこへ行くにも視線を感じる。
自由は与えられたが、同時に“逃げ道”は消えた。
「クソッ……これじゃ、何も調べられねぇ」
デスクに拳を叩きつける。
机上の資料が散らばり、ティアーラの写真が滑り落ちた。
(……俺は、何のために強くなったんだ)
妻も、仲間も、巻き込むことはできない。
疑いをかけられれば、彼らの命さえ奪われる。
誰にも知られぬまま、闇の奥へと潜り続ける。
トニティ基地の建設を、無理やり推し進めるのもそのためだった。
表向きは国防強化の名目。だが、裏では極秘研究の痕跡を辿っていた。
膨れ上がる研究支援費。用途不明の「実験関連予算」。
報告書のページは何度も改ざんされ、真実に近づくたび、関係者は音もなく姿を消していた。
追えば追うほど、闇が深くなる。
サイラスは焦げた書類の束を握りしめ、ただひとり、その闇の底で立ち尽くす。
答えはどこにもなかった。それでも足を止めることだけはできない。
そうして、四年が過ぎる。
トニティ基地を離れて、サイラスは研究所跡に向かう。
フルア政府が「機密」として封印した区域。
だがサイラスは、元首たちの反対を押し切ってトニティ基地の権限を使い、再調査を進めていた。
もうそこには、何も残っていない。
すべてが終わった後のように静まり返った場所に二つの影があった。
サイラスは足を止め、慎重に銃を構える。
「お前たち、こんな辺鄙なところで何をしてんの?」
銃を構えて言うと、一人の男は影の中に消えて少年だけが残った。
月明かりに照らされ、淡い水色の髪がかすかに揺れる。
その瞳の奥には、年齢には似つかわしくない影があった。
(この目……どこかで……)
次の瞬間、脳裏にあの日の光景が蘇る。
――炎の中、振り返った水色の髪の少年。
あの日とまったく同じ目だった。
少年は一歩も退かず、まっすぐにサイラスを見返す。
恐怖でも、憎しみでもない。ただ、痛みを知る者の目。
彼の名はキーレスト。
わずか十七歳にして、あまりにも多くのものを背負い、そして失っていた。
サイラスはその姿に、かつての自分を見ていた。
誰にも頼らず、何も打ち明けられず、孤独を抱えたまま立ち尽くしていた若き日の自分を。
出会って三日、キーレストの中に少しずつ光が戻りはじめていた。
その顔は、普通の少年の顔だった。
――何かを失っても、それでも笑おうとする顔。
――何かを守りたいと思う気持ち。
それは理屈ではなく、ただ生きようとする意志の証。
(……こんなにも若い子が、こんなにも苦しみを知っている。それでも笑おうとしているんだ。俺はもう二度と曇らせたくない)
サイラスは呟く。
「一生に一度の青春は、誰であっても奪われちゃいけない。たとえ世界がどんな理由を並べたとしても」
祭り当日
キールが基地を出て、エミリーと祭りに行った日。
サイラスは別任務のため、一時的にトニティ基地を離れていた。
二十時を少し過ぎた頃、ようやく帰路につく。
夜風がやけに生ぬるく、街の方角では花火の音がかすかに響いていた。
ティアーラと連絡が取れずにいる。
「ティアーラ、今日は忙しくなるって言ってたけど……連絡できないほどなのかな」
歩きながら、携帯の通信履歴を何度も確かめた。
画面には、何の反応もない。
(本当なら今ごろ、フレッドたちと五人でテーブルを囲んでいたはずだったのにな)
酒を手にして笑い合い、くだらない冗談を飛ばし合いながら、あの時間がまた当たり前に戻ってくると思っていた。
その瞬間だった。
ピカッ。
視界が真っ白に染まる。
音が消える。風も、心臓の鼓動も止まったかのように。
ほんの一瞬、世界が息を潜めた。
次の瞬間――。
どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!
鼓膜が破れるほどの爆音。
地面が跳ね上がり、肺が押し潰される。
光も音も空気も、すべてがひっくり返った。
――暗転。
どれほど時間が経ったのか、サイラスが目を開けたとき。
そこに“世界”はなかった。
服は焼け焦げ、腕には灰がこびりついて体には傷一つついていない。
あの“無敵の体”が、皮肉のように自分だけを生かしていた。
視界に広がるのは、終わりのない更地。
風の音しかせず、基地の輪郭も、建物も、人の気配も、跡形もなく消えていた。
「……なんだよ、これ……」
立ち上がっても、どこまで行っても同じ光景だった。
半径一キロ、トニティ基地ごと、完全に消滅している。
ティアーラの声、フレッドの笑い声、メイのからかい、ライアンの低い冗談もサイラスの中で遠のいていった。
「はは……は……。何かの冗談だよな、これ……」
無理やり笑おうとするが喉から出たのは、掠れた嗚咽だけ。
頬に伝う涙が、止まらない。
「ティアーラ……みんな……なんで……っ」
崩れ落ち、掌で掴めるのは灰と砂だけ。
温度のない世界で、サイラスの心だけが焼けていた。
頭の奥で、ティアーラの笑顔が音もなく弾ける。
――そのまぶしい笑顔。
――「あなたはあなただから」って言ってくれた声。
フレッドの大声が重なった。
「馬鹿野郎、俺の親友がこんなヘタレなわけねぇだろ!」
ライアンの笑いが遠くで反響する。
メイの「ほんとお似合いだよ!」が、風にさらわれて消えていった。
全部、幻のようにサイラスは感じた。
「う、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
声が枯れるまで、サイラスはただ叫び続けた。
喉が裂け、息が途切れても、それでも止められなかった。
返ってくるのは、誰の声でもない。
ただ、自分の叫びが虚しく反響し、遠くの空へと吸い込まれていった。
やがて、ゆっくりと、灰の地面を踏む音が近づく。
サイラスは涙で霞んだ目を上げる。
そこに立っていたのはスーツ姿の男。
歳を重ねてもなお鋭い眼光、覚えのある輪郭。
胸の奥で、何かが凍りつく。
「おまえ……! なんでここにいるんだ!!」
男は冷笑を浮かべ、ゆっくりとサイラスを見下ろした。
「まさか本当に効かないとは。驚いたもんだ……。
久しぶりだな、サイラス。あの日――よくも私の人生を無茶苦茶にしてくれたな」
闇の中に立っていたのは、かつての父、フラーケン・ディラックだった。




