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第41話『表裏幸運の命』



「ティアーラ!!」



サイラスは息を切らしながら自室のドアを開ける。

ティアーラは背を向け、窓辺に立っていた。


夜の月光と花火の光が彼女の髪を照らし、白銀(はくぎん)のような光が肩に落ちている。



「太陽は生の象徴、月は死の象徴。この表裏一体(ひょうりいったい)の関係って、不思議ですよね」



静かに言葉をこぼしながら、ティアーラは振り返った。



「生を求める人間ほど太陽を直視できず、死を遠ざけたい人間ほど月を美しいと感じる。――人間って矛盾(むじゅん)(かたまり)です。誰だって、言えない“裏”を(かか)えて生きてる。でも……」



彼女は胸の前でそっと手を握りしめる。



「私は、サイラスさんの“裏”も、“表”も全部知りたい。一緒に生きて、太陽も月もあなたと一緒に見ていたいんです」



その瞳には、涙が(にじ)んでいた。

けれどその光は、まっすぐで、優しかった。



サイラスの胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちる。




男と女、その二つに分けられた(おさな)い日々。

母に本当の自分を打ち明けられなかった後悔。

もう戻れない、鋼の体。

父の背中と、力こそが正義だと信じた屈強(くっきょう)な男たち。

そして――愛する人をまた失うかもしれない恐怖。




それらすべてを抱えたまま、サイラスは息を吸い、静かにティアーラを見つめる。

言葉が震える。だが、その目は決して揺らがなかった。



「ティアーラ、驚くかもしれないけど……聞いてくれ」



サイラスは息を整え、拳を握る。



「俺は……女じゃなくて、男なんだ」



沈黙。

秒針の音だけが、部屋を満たした。


サイラスはゆっくりと目を開ける。

ティアーラが泣いていた。



「……よかった」



「え?」



「病気か、もう誰かと結婚してるのかと思いました」



そう言って、ティアーラは笑いながらサイラスに抱きついた。



「これで、やっと堂々とお付き合いできますね」



「……は?」



サイラスの思考が一瞬止まる。



「いや、待て。今の聞いてたか? 俺は男なんだぞ?」



「はい、だからお付き合いできますね」



ティアーラはまるで当たり前のことのように笑った。



「おかしいと思わないのか?」



「なにがですか?」



首を(かし)げるその仕草が、あまりにも無垢(むく)だった。



「俺の体は女で……でも、心は――」



「関係ありません」



ティアーラはサイラスの言葉を(さえぎ)る。



「サイラスさんが男性でも女性でも、私には関係ないです。私が愛してるのは“あなた”だから」



その言葉に、サイラスは息をのんだ。



胸の奥が熱くなる。

今まで押し殺していた“自分”が、ようやく(ゆる)されたような気がした。



「そんな次元でサイラスさんを見られるほど、私、冷静じゃいられません。それくらい、あなたを好きで(いと)おしいんです」



ティアーラの笑顔は、夜の月を溶かすほどに(まぶ)しかった。

サイラスは気づく。



父の言葉でも、社会のルールでもない。



今、目の前の彼女が自分を“人間”として見てくれている。

――自分は、サイラス・アーヴァン。



男でも女でもない、一人の人間としてここにいる。



「ありがとう、ティアーラ」



サイラスは微笑む。



「おかげで、やっと世界から目が覚めた気がするよ」



「どういうことですか?」



「ごめん、なんでもない」



そう言って、サイラスは静かに彼女の肩に触れた。

互いの呼吸が重なり、時間が止まる。

言葉はいらなかった。


ただ、心臓の鼓動と花火の音が部屋に確かに響く。

その光の中で、二人の距離は――音もなく、ひとつになった。


その夜、彼らは屋上には戻らず、花火のフィナーレが夜空を()がす中、そっと心の深みに沈んでいった。





それから1年後、二人は晴れて結婚することになった。



結婚式



青空の下、風が優しく吹き抜けていた。


式典ホールの中庭に、純白(じゅんぱく)のヴェールがふわりと舞う。

ミニスカートのウエディングドレスをまとったティアーラは、()の光を浴びてきらめいていた。

その隣に立つタキシード姿のサイラス。


背筋を伸ばし、堂々とした笑みを浮かべている。



「サイラス、ティアーラ! 本当におめでとう!」



メイが感極(かんきわ)まって涙ぐんだ。



「……こりゃまいったな。似合いすぎて理屈のある言葉が出ねぇ」



ライアンが頬をかきながら照れ笑いする。



「俺を差し置いて結婚とはな……実にけしからん! だが、おめでたい!」



例のごとく髭をいじりながら、フレッドが場を(なご)ませた。



「ありがとう、みんな!」



イオラが涙目に笑って言う。



「サイラス、本当におめでと!!」



「ありがとう、あの時イオラが助けてくれなかったらと思うと今こうしていられない気がするよ」



サイラスは笑って言った。



「大げさよ、あなたが前に進んで勝ち取ったものよ...」



サイラスは晴れやかに笑い、ティアーラと手を取り合う。



会場には、軍の仲間たちがずらりと並んでいた。

サイラスが自分のすべてを打ち明けたとき、多くの仲間は素直に受け入れた。

一部には偏見(へんけん)もあったが、やがて誰も口にしなくなる。

この二人の()り方が、誰よりも“まっすぐ”だったからだ。



神父の声が響く。



「それでは、新郎サイラス・アーヴァン、新婦ティアーラ・アンネット。

 互いに永遠の愛を誓いますか?」



ティアーラは涙をこらえながら(うなず)く。



「はい……私、あなたに会えて本当によかった。愛してる」



サイラスも微笑みを返した。



「この先、何があっても――ずっと一緒だ」



二人の唇が重なる。



静寂(せいじゃく)が、祝福のざわめきに変わった。

拍手、歓声、そしてライアンの小声のつぶやき。



「……おいおい。あいつら、人前でよくもあんなに」



「もっとやっちゃえ、やっちゃえ!」



メイが頬を押さえながら笑う。



「ふっ、これぞ“情熱のサイラス夫妻”の名にふさわしいな」



フレッドが胸を張って言い放つ。

笑いと祝福の中、ティアーラが頬を赤らめながら小声でサイラスに(ささや)いた。



「ねぇ、みんな見てますよ……もうちょっと(ひか)えめに」



「無理」


サイラスが悪戯(いたずら)っぽく笑い、彼女の手をぎゅっと握る。


「だって、俺は今、世界で一番幸せだから」



その手を離さなかった。



笑顔と祝福の拍手に包まれながら、結婚式は幸福のうちに幕を閉じる。

新しい夫婦を照らす夕陽が、窓からやわらかく差し込み、白いベールを金色に染めていった。

友人たちの笑い声、グラスの触れ合う音、そして静かに流れる音楽。

そのすべてが、これまでの苦難と別れを癒すように、穏やかで温かかった。






2人は結婚して同棲(どうせい)を始めて間もない頃。



「ねぇ、見てあれ。女の子同士が手を(つな)いでるわよ」


「子供ならまだしも、大人であれはちょっとねぇ」



通りすがりの女たちの声が、背中に突き刺さる。

ティアーラは握っていた手が一瞬動いたが、すぐにサイラスがその手を包み直した。



「気にすんな」



「……でもあの人たちに言わないと私」



「俺たちは、俺たちだろ」



その言葉にティアーラは小さく(うなず)く。

サイラスの手のひらは、あの頃よりも厚く、温かかった。


それでも、周囲の視線は冷たい。


愛を(つらぬ)くことが、時に戦場よりも苦しい。

だが、二人の愛はそんなものをすぐに吹き飛ばせるほど強かった。






結婚して約八ヶ月がたったころ、突然の招集がかかる。



「違法実験をしている研究所が砂漠にある?」



司令官の声が響くブリーフィングルーム。

壁に映された衛星写真の一点を()し示しながら、上官は淡々(たんたん)と任務を告げた。



「目的は抹消(まっしょう)。研究対象、研究員、設備、すべてだ。

 痕跡(こんせき)を残すな。以上だ」



その言葉に、サイラスの眉がぴくりと動く。

“抹消せよ”――あまりにも無機質(むきしつ)な命令だった。


サイラスは戦闘部隊の一員として派遣(はけん)される。

彼の胸の奥には、得体の知れないざらついた感覚が残った。



砂漠の夜。

冷たい風が吹き荒ぶ中、彼らは目的地に到着する。



「おい、なんだあれ……」



兵士の一人が指差す先、地平の向こうで火の手が上がっていた。

爆音。銃声。悲鳴。


燃え落ちる施設から、白衣の人々が逃げ(まど)う。

中には、幼い子供の姿もあった。



「……子供?」



サイラスの声が(かす)れる。

通信機から再び命令が入った。



『研究所にいるものすべてを抹消せよ。繰り返す――すべてだ』



その言葉が終わるより早く、銃声が周囲を包む。

次々と倒れる研究員たち。


そこには、フルアの兵士ではない者たちも武装していた。

サイラスの中で何かが(はじ)ける。



「ふざけるな……!」



照準を変えた。

狙うのは、逃げる子供を追っていた謎の武装をした兵士。




バババババババッ!




硝煙(しょうえん)が夜を裂き、兵士たちが倒れた。


砂埃の向こう、三人の子供の姿――

坊主頭の少年、オレンジ髪の少女、そして、水色の髪を持つ少年。

その少年が一瞬だけ振り返る。



「いいから行け!」



少年は息を呑み、もう一度だけサイラスを見た。

その一瞬が永遠のように長く感じられたが、少年は闇へと走り去っていく。



戦闘が終わった後、砂漠には何も残っていなかった。

焦げた鉄と、焼けた肉の匂いだけが残る。



この日、研究所と遺体は跡形(あとかた)もなく消え去った。



(この国はいったい裏で何をしている?俺たちは何を守ってる?)



風が吹き、砂が空を(おお)う。

サイラスはその場に立ち尽くした。



胸の奥に、確かな違和感が生まれる。それは“国家”という巨大な影に対する、初めての疑念だった。


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