第40話『5th フォーエバーチルドレン』
七年前
サイラスが23歳の時に転機が訪れる。
「本日からここの基地でお世話になることになります。
ティアーラ・アンネットです。皆さん、これからよろしくお願いしますね!」
その瞬間、ざわめいていた訓練場の空気がふっと止まった。
白衣の裾が風に揺れ、光が差し込む。
まるで本当に天使が降り立ったかのようだった。
長い茶髪を軽く束ね、笑うとえくぼができる。
目元は柔らかく、声は透きとおっていて、基地の中の男たちが息をのむのも無理はなかった。
ティアーラはサイラスとは二歳下の21歳の医大生。
研修でこの基地に配属されて来ていた。
「ティアーラちゃん! 今日も神がかってるね!」
「ほんと天使! 毎日笑顔でいてね!」
「え、えっと……あははは……」
ティアーラは引きつった笑みを浮かべていた。
「お前ら、いい加減そういうのやめろ」
その場の空気を切り裂くように、低く、鋭い声が落ちる。
サイラスは迷いのない足取りで前へ進み、ティアーラの前に立った。
「相手に理想やルールを押しつけたくなることは、誰にでもある。
でも、相手が嫌がった瞬間、それはもう傲慢だ」
サイラスはティアーラに視線を向け、ふっと笑う。
「だから、ティアーラに聞け。嫌じゃないかどうかを」
その場が一瞬で静まり返った。
皆の視線がティアーラへと集中した。
「ティ、ティアーラちゃんはどうなの!?」
「いや、オレたちはその、崇拝していい?」
ティアーラは少しだけ困ったように唇を噛んだが、意を決して、はっきりと答えた。
「少し、嫌なので控えてもらっていいですか?」
ドゴーン!!
心の中で雷が落ちたように、男たちは一斉に崩れ落ちる。
「ティアーラちゃんが言うなら……仕方ねぇ」
「神の啓示だ……」
サイラスは肩をすくめて、笑顔で言った。
「これで少しは平和かな?」
ティアーラは両手を胸の前で合わせて、ほっと息をつく。
「ありがとうございます、サイラスさん。 本当に、助かりました」
その笑顔は柔らかく、光の粒をまとっているようだった。
サイラスは不意に言葉を失い、心臓が妙に早く打つのを感じる。
その夜。
サイラスはベッドに横になり、天井を見つめていた。
ティアーラの笑顔が、脳裏に焼きついて離れない。
「寝れん...」
その日から毎晩、彼女の笑顔が夢に出てくるようになった。
それから数週間が経ち、いつの間にかサイラスとティアーラは、訓練場でも医務室でも、いつも一緒にいるのが当たり前になっていた。
「それにしてもサイラスさんって、よく戦場出てるのに怪我しないですよね」
ティアーラが首を傾げながら言う。
サイラスはびくりと肩を震わせた。
「ま、まぁなっ! 俺は怪我しないことで有名だからな!
それに俺は、強くなきゃいけないんだ」
一瞬、目を伏せる。
脳裏には、あの父フラーケンの冷たい声が蘇った。
『女は隷属されるのが世の常』
それ以来、“男であること”がサイラスの鎧になっていた。
弱さを見せること、男らしさを捨てることは、男であることを否定することだと信じ込んでしまっていた。
ティアーラはそんなサイラスをじっと見つめ、ふと微笑む。
「まぁ、私的には怪我されると困りますけど……」
少し照れたように笑いながら続けた。
「サイラスさんなら、いつでも怪我したら私が治してあげますから。――体も、心も」
サイラスは思わず振り向く。
ティアーラの頬がわずかに赤く染まっていた。
「ありがとな」
少し照れ隠しのように目を逸らす。
一瞬の沈黙のあと。
「なぁ、次の休み……二人でどっか行かないか?」
ティアーラの目が丸くなる。
「えっ? ど、どうして?」
「ほら、俺たち、基地でしか会わないだろ?その……仕事じゃなくて、二人だけで会いたいなって」
サイラスは照れ隠しに耳を掻いた。
ティアーラは嬉しそうに唇を噛み、目を細める。
「ふふ……それじゃ、どこに行くか二人で決めましょうね」
その日から、二人の距離はゆっくりと近づいていった。
海に映る綺麗な月が見える入江、高台、二人で通ったダイナー。
いつもティアーラは笑っていて、サイラスはその笑顔を見るだけで幸せな気持ちになれた。
だが、夜になると——。
灯りの落ちた部屋の中、サイラスはベッドの上で静かに目を閉じる。
(この体のことを、いつか言わなきゃならない……)
まぶたの裏に浮かぶのは、ティアーラの無垢な笑顔。
その笑顔がまぶしいほど、胸の奥で小さな痛みがじわりと滲む。
言えない秘密が、夜ごとに重みを増していった。
そんな中、基地では新しい仲間が増えていた。
金髪で口が悪いが腕の立つライアン。
モヒカン頭に黒いアイラインの美女・メイ。
そして、相変わらずうるさい親友フレッド。
五人は任務の合間に集まって飲むようになり、笑い声が絶えない夜が続いていた。
「なぁティアーラ!サイラスの昔の写真見たことあるか?
あいつ、昔は“貧相”って言葉が似合うくらい細かったんだぞ!」
「おいフレッド、それ言うな!」
サイラスがツッコむと、ティアーラはおかしそうに笑う。
「でも……今はすごく頼もしいですよ。――ね、サイラスさん」
その一言に、サイラスの頬がまた熱くなった。
「ま、まぁな」
フレッドとライアンはニヤニヤして、メイがグラスを掲げる。
「ほらほら、恋人同士に乾杯〜!」
「ち、違っ……!」
ティアーラは慌てて否定するも、その声の裏で、確かに嬉しそうな笑みを浮かべていた。
生者と死者を繋ぐ祭り 〈ホンテイシ〉当日
フルアのどこからでも見渡せる花火の絶景を後ろにサイラスの家の屋上に、5人の声が響き渡る。
「5th フォーエバーチルドレンの誕生だ!!」
サイラスがジョッキを掲げて叫んだ。
「俺たちの友情は絶対に切れない!永遠の絆だ!!」
「そうだ!この俺が認めた仲間だ!切れることはない!」
隣でちょび髭のフレッドがサイラスと腕を組みながら得意げにうなずく。
「どういう思考回路をしたらその結論に至るんだよ」
ライアンが呆れ顔でグラスをあおる。
「もういいから〜ティアーラとサイラスの話聞かせろってば!」
色恋好きのメイがしびれを切らしたように言った。
メイが身を乗り出し、にやにや笑う。
「ちょっ、メイやめてよ!」
ティアーラの顔が真っ赤になる。
サイラスと目が合い――二人とも同時にそっぽを向いた。
「で、ティアーラさんよ。サイラスさんとはどういうご関係で?」
メイが意地悪く言うと、ティアーラは慌てて手を振る。
「ただの友達!」
「ただの友達が毎週どっか行くわけないでしょ〜? なぁ、サイラス?」
「え、えぇ!? そ、それは…その…」
しどろもどろになるサイラス。
メイは畳みかけるように言う。
「お似合いなんだし、付き合っちゃいなよ〜!」
その瞬間。
ティアーラが小さく、けれどはっきりと口を開いた。
「……もう、私。告白したの」
「へ?」
メイの声が裏返る。場が静まり返る。
「はぁぁぁ〜……メイ、余計なことを」
ライアンがため息をついた。
ティアーラは立ち上がり、潤んだ瞳でサイラスを見つめる。
「サイラスさん……どうしてですか? 私とあなたは相思相愛のはずです。あなたも、そう言ってくれたじゃないですか……」
言葉を詰まらせたティアーラの頬を、涙が伝う。
サイラスは何も言えず、ただ拳を握りしめた。
「なのに、付き合えないって……それに、私に隠し事をしてますよね?」
声はかすかに震え、痛みに揺れていた。
そして、ティアーラは静かに背を向ける。
その足取りはためらいながらも確かで、やがて小さな影が廊下の向こうに消えていった。
その場にいた三人は呆れたようにサイラスに言う。
「お前、まだ言ってなかったのか?」
フレッドの低い声が落ちた。
サイラスは黙り、ジョッキを見つめる。
「言えねーよ。……自分が、男だなんて。それに彼女に拒絶されるのが怖いんだ...」
その言葉を聞いた瞬間、フレッドの拳が飛んだ。
バンッ!
「馬鹿野郎ッ!」
胸ぐらを掴んで怒鳴る。
「俺の親友がそんなヘタレなわけねぇだろ!!お前が男だとか女だとか、そんなもんで俺たちは一緒にいねぇんだよ!」
メイが真剣な目で続けた。
「ティアーラを見くびりすぎだよ。あの子、サイラスが思ってるよりずっと強い。ちゃんと向き合ってあげなきゃ、あの子が可哀想だよ」
ライアンが口元をゆがめて言う。
「お前たちのことを一番知ってる俺たちが保証する」
目つきの悪い顔で微笑むライアン。
そして――フレッドがサイラスの肩を叩いた。
「行けよ。俺らは“5th フォーエバーチルドレン”だろ?」
その言葉が静かに胸へ落ちた瞬間、サイラスの内側で何かがほどける。
熱がこみ上げる。涙ではなく、確かな温度だった。
男でも、女でもない。
ただ――「仲間」として、共に笑い、共に戦い、信じ合える人たちがいる。
それだけで、こんなにも心が軽くなるとは思わなかった。
父に会ってから男に縛られていたサイラスの鎖が徐々に崩れていった。
「お前ら、ありがとな」
サイラスは笑って立ち上がり、ティアーラを追って駆け出した。
静まった屋上に、三人だけが残る。
フレッドはワイングラスを傾けながら髭をいじった。
「さすが俺の親友だ。でなきゃ、このイケメンに釣り合わねぇ」
「うるさい」
「うるさい」
ライアンが即答。
メイは呆れたように言う。
「てかさ、5th フォーエバーチルドレンてなに?」
フレッドは固まったまま、髭をいじる手が止まらない。
「……意味は、まぁ……その……」
ライアンがじとっと睨んだ。
冷や汗を垂れながら、髭をいじる手が早くなる。
「意味ねぇんだな」
冷めたように言うライアン。
メイはグラスを掲げて笑った。
「男ってほんとわかんないんだけど」




