第39話『女として、男らしさ』
「……俺の体に、何が起こったんだ」
サイラスは鏡の前に立っていた。
掌を打ちつけるように壁を叩く。
ガンッ。
乾いた音が響き、痛みはない。
皮膚は柔らかく見えるのに、衝撃が加わる瞬間だけ、まるで鋼鉄のように弾いた。
「これって...夢じゃないよな」
ピンポーン――。
そのとき、インターホンが鳴った。
ドアを開けると、外には赤い髪の女性が立っている。
白いコートの裾が風に揺れ、淡い光が差し込んでいた。
彼女は穏やかな笑みを浮かべながら言う。
「初めまして。イオラ・ガイリシャといいます。あなたの“体”の件で来ました」
見知らぬ名前、見知らぬ目的。
しかし、彼女の声の奥にあったのは“命令”ではなく、“理解しようとする音”だった。
しばらく沈黙の後、サイラスは小さく頷く。
その後――
「俺が...UMH?てか、あれって都市伝説なんじゃ...」
サイラスは目を見開いた。
「いえ、実在するんです。現時点で150名ほど確認されています」
イオラの声は柔らかいが、響きは冷たく現実的だった。
「あなたの体は衝撃や攻撃、外的要因からなる刺激、攻撃を一切遮断する能力です。簡単に言えば体が無敵です」
サイラスはその一言に、微かに目を伏せた。
沈黙の中、外の風がカーテンを揺らす。
「まさか、捕らえに来たんじゃ」
「違います!私たちは、あなたを“守る”立場です。
あなたの暮らしをサポートするために来ました」
サイラスの目が細くなる。
その瞳の奥にあるのは、警戒でも怯えでもない。
ただ、“自分が何者なのか分からない”という戸惑いだけだった。
「イオラさん。正直、まだ信じられないけど、あんたの言葉は嘘じゃない気がする」
イオラは微笑んだ。
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで十分」
そこからはイオラのアドバイス、そしてアウローラへの連絡先を渡し、サイラスは自分で暮らすことを選ぶ。
「何かあったら連絡してね。私のことは、イオラでいいわ」
「ありがとう、イオラ」
その瞬間、初めて二人の間に柔らかな空気が流れる。
けれど、ドアが閉まったあと、残ったのは静けさだけだった。
「男になれない、か」
サイラスは窓の外を見る。
遠くに見える街灯、その下に貼られた一枚のポスター。
― 軍隊へ入ろう! ―
屈強な男たちの姿が並ぶポスターをサイラスは眺め続けた。
入隊後
「っく……!」
サイラスは芝生の上に倒れ込んだ。
息は荒く、掌には砂と汚れ、そして悔しさがこびりついている。
「はっは! こいつ、女のくせにまだやるか!」
屈強な男たちの笑い声が、訓練場に響いた。
彼らの肩と胸は岩のように盛り上がり、その視線は、サイラスの細い体をあざ笑っている。
だがサイラスは、すぐに立ち上がった。
拳は届く前に払われ、身体が宙を舞う。
「うわっ……!」
地面に叩きつけられる。
それでもサイラスは立ち上がろうとした。
だが、男たちはもう背を向けていた。
「懲りねぇな。女は家で家事でもしてろ。
男の戦場に出てくるなんざ、物好きだぜ」
サイラスは唇を切るほど噛みしめて、唾を地面に吐き捨てる。
「俺は、女じゃない」
一年後
かつて細かった腕には、確かな筋肉がついていた。
腹筋は刻まれ、動きには迷いがない。
サイラスは、誰よりも早く、正確に、そして強くなっていた。
その成長は、やがて周囲の嫉妬を呼ぶ。
とくに、過去に彼を見下してきた男たちには、受け入れがたい事実だった。
夜に訓練場の裏に呼び出される。
「なんの用だ……?」
次の瞬間、両腕をがっしりと掴まれる。
屈強な男たちが、無理やり体を押さえつけた。
「おい離せ! 何しやがる!」
その中の一人が、にやりと笑う。
「お前、女のくせに調子に乗りすぎなんだよ。
いい加減、思い出させてやるよ……“女”ってのが何かをな」
そして、男はズボンを下げ、そこには狂気的なものがあった。
「男ってのはな、自分で銃を持ってるものなんだよ。お前はそれがない。受け止める器なんだよ!」
そう言って、それをサイラスの顔へ近づけた瞬間、サイラスが激しい怒り、言い放つ。
「だとしたら」
サイラスの脚が、鋭く蹴りあがる。
「でかい割に、ずいぶんカス銃だな!!」
キィィンッッ!!
鉄の棒をへし折るような音が響いた。
男はその場で崩れ落ち、呻き声を上げる。
「ぐ、ぐあああ……!」
その隙を逃さず、サイラスは反撃した。
そして、しなやかな体術と持ち前の力で次々と男を叩きのめしていく。
「何が銃だ...。そんなもの振りかざしたところで弱点なのには変わりねぇだろ」
最後の一人が逃げようと背を向けた瞬間、サイラスは彼の襟首を掴んで、耳元で低く言った。
「銃を持ってるだけで男になるなら、この世界の半分は英雄だな」
──その夜の出来事は、翌朝には軍全体に広まった。
女性兵士への性的搾取が明るみに出た。
加害者たちは即座に除隊、軍は規律を見直し、女性兵士の待遇は改善される。
それ以来、サイラスは女性兵士の注目の的になり、サイラスの周りには常に女性がいるようになった。
22歳になったサイラスは女性からの告白が止まらない。
「ありがとうみんな! またね!」
サイラスが軽く手を振ると、基地の門前に集まっていた女性隊員たちが一斉に歓声を上げた。
白い制服の袖を揺らしながら、サイラスは苦笑する。
「こりゃまいったな……」
(多分、“女性である俺”が“男らしい”のがウケてるんだろうな。
まぁ、でもちやほやされるのは悪い気分はしねーな)
そんなサイラスの背後から、どこかむすっとした声が飛んできた。
「ふん! サイラスよりはるかに俺の方がモテるはずなんだがな。この理不尽な冷遇の差は何だ」
髭をいじりながらぼやくのは、親友のフレッド。
同じ部隊で訓練を共にし、唯一、サイラスが自分の“秘密”を打ち明けた男でもある。
「お前がモテた試しねぇだろ。俺の方がかっこいいんだよ」
「おかしいだろ!? 俺の方が賢くて、スマートで……そして、クレバーだ! 完璧じゃねぇか!」
自信満々に胸を張るフレッドと呆れたように言うサイラス。
「全部賢いとしか言ってないぞ。バカだろ、お前」
「うるさい!頼むサイラス、モテ半分わけてくれ」
わざとらしく泣き真似をしてサイラスに抱きつこうとするフレッド。
サイラスは半歩下がってかわす。
「やめろ、汗くせぇんだよ」
「汗じゃない!俺のフレイバーだ!」
フレッドは自分のことを男や女で見ることはなく、普通に接してくれる唯一の友であり、理解者だった。
ある日の午後、サイラスは任務の帰りに街を歩いていた。
晴れた空の下、軍服の袖をまくり上げ、気だるそうに歩いていると、前方から一人の男が足を止める。
「サイラス・アーヴァンだな」
振り向くと、そこには五十代ほどのスーツ姿の男が立っていた。
ただの通行人ではないと、直感でわかった。
「誰だ、あんた」
サイラスはわずかに構えを取る。
その警戒に、男は薄く笑った。
「いきなり失敬。私はフラーケン・ディラック。君の父親だ」
サイラスの心臓が跳ね上がり同時に、怒りが込み上げる。
(母さんを捨てた男!)
握り締めた拳が震えた。
殴りかかろうとしたその瞬間、フラーケンの動きは早かった。
卓越した格闘術で腕をひねられ、サイラスは地面に押し付けられる。
「女性がそんな野蛮なことをしてはいけないよ。それに女が男に勝てるわけないだろ」
その言葉は、鉄よりも冷たく響く。
フラーケンの笑みには、愛情の欠片もない。
彼は当然のように言った。
「部屋に入れなさい。話がある」
「俺が……大統領と結婚!?」
フラーケンの言葉に、サイラスは耳を疑った。
「だから、そう言ってるだろ。これは私にとってもサイラスにとってもいい話だ!
あのレアマシーの大統領と結婚でき、子宝に恵まれるのだから!」
「なんだよ、急に現れたと思ったら結婚だの、産めだの!俺はあんたの昇格のための道具でも、子を産む器でもない!」
その怒声に、フラーケンの眉が吊り上がる。
「さっきから何なんだ。“俺”だの口調も荒い……。君の母は女性そのものだったぞ。それなのに、その反抗的な目つき――まるで男のようだ」
「母さんを語るな! 下劣が!」
サイラスの叫びに、フラーケンの手が動いた。
ドンッ! 頬に重い衝撃。
続けて二発目が飛んだ。
「女は隷属するのが世の常だ。産み、育てる以外に何ができる。それが分からぬなら――しつけが必要だな」
鈍い音が、何度も部屋に響く。
拳が頬を、腹を、胸を打つたび、空気が震えた。
フラーケンの息が荒くなる。
「なんだ、どうなってる?」
彼の手の甲から血が滲んでいた。
サイラスの頬は、かすり傷ひとつ付いていない。
サイラスはゆっくりと立ち上がり、冷ややかに笑った。
「あんたには、女の俺を傷つけられないほどの“柔い男”ってことだよ」
その言葉に、フラーケンの怒りは爆発する。
腰から銃を抜き放った。
「ははははは!男だけが持つことが許されるのが武器!その一つである銃を向けられても文句は言えまい」
汚い笑みを浮かべて言う。
「この銃弾を受けて、女であることを認めるんだな!」
銃声が轟き、煙が立ち上った。
だが次の瞬間、弾丸は弾かれ、跳ね返ったそれがフラーケンの肩を貫く。
「ぐっ……!!」
崩れ落ちた彼を、サイラスは冷たい瞳で見下ろす。
足音ひとつ立てずに、ゆっくりと前へ進み、吐き捨てるように言った。
「もう二度と来るな」
その声は低く、静かで、刃よりも鋭い。
フラーケンは怯えた目でサイラスを見上げる。
その視線には、恐怖と、敗北の色しか残っていなかった。
その後、フラーケンは不法入国、恐喝、銃の違法所持で拘束され、レアマシーへ送還された。
大統領との政略結婚は破談、そして地位は失墜。
自業自得という言葉が、これほど似合う男もいなかった。
その夜、サイラスは鏡の前に立ち、己の体を見つめていた。
鋼のように引き締まった筋肉、しなやかに動く腕、幾度もの戦場で培われた技。
「これだけの体と、格闘スキルと、軍人としての勲章。
無敵のボディに……女性からモテモテ。これで男じゃない理由、あるか?」
わずかに唇が上がる。
だが、それは笑みというより、自分への確認だった。
サイラスは鏡越しに目を細め、静かに呟く。
「やっと……男らしさを手に入れたよ、母さん」
だが次の瞬間、頭の奥で声が響く。
――女であることを強要した男たちの、あの嘲笑。
――「女は従うものだ」という、父の声。
サイラスの拳が震え、血がにじむほど握り締められた。
鏡の中の自分が、歪む。
(もっと……強く。もっと、男でいなきゃいけない)
吐息が震え、鏡の表面に曇りが広がった。
サイラスは目を閉じ、拳を静かに下ろす。




