第3話『普通って何?』
リリアは水色髪の青年の腕に抱きとめられていた。
水の推進力で二人は宙を駆け抜けてきたのだと、リリアは気づく。
「どうしてここに……」
リリアは唖然とした声を漏らした。
「有川さんが落ちてたんで、ここにいます」
「そうだけど、怪我大丈夫なの?」
「水で補強してるので……大丈夫ですよ」
笑うというより、空元気に近い返事。
「……ごめん」
「え?」
「迷惑かけて、英……くんが私を殺そうとして」
「わかってますよ」
青年の淡々とした声は、誰よりも真剣だった。
ビルの屋上に降り立ち、青年はリリアをそっと下ろす。
「階段で下へ。迎えが来ているはずです。僕は彼を迎え撃ちます」
「英くん……」
現実が受け止められず、リリアは足が動かなかった。
青年はリリアに近寄る。
「ひゃっ!!」
リリアは頭に冷水をかけられた。
「ちょ、なに!?」
「少しは、冷えました?」
リリアは青年の唐突の行動に戸惑う。
しかし、青年の真剣なまなざしに思わず吹き出した。
「フッ、冷えたわ。人に水をかけるって」
「まずかったですか?」
青年はきょとんとした目でリリアを見る。
リリアは青年に向かって微笑んだ。
「ありがと……。最低な私なんかを助けてくれて」
青年は微笑み、穏やかな瞳で告げる。
「有川さんがどんな人でも、僕は助けますよ」
リリアの心の奥にある空っぽのコップが、ほんの少し水で満たされた気がした。
「うん。でも、私にはもう普通の生活は無理だなー」
リリアは諦めたように笑う。
青年は静かに見つめ、まっすぐ言葉を投げた。
「有川さんの言う“普通”って、どういうものなんですか?」
「え……?そりゃ、みんなみたいに生活して、みんなみたいに幸せになることでしょ」
「それってただの同調じゃ……」
「じゃあ、何が普通なの??」
不思議そうにリリアが聞く。
「それを普通と呼ぶなら、大勢が求める価値観の理想郷だと思います」
「あんたには、それがないの?」
リリアが難しそうな顔をして、聞き返した。
「わかりません。僕には“普通”が何かなんて」
リリアは困ったような顔をする。
「この会話、詰んでない?」
青年は一瞬、微笑む。
「でも、有川さんが決めたことが、有川さんの普通になるんだと思いますよ」
ほんのり照れを含んだ笑顔と青年の言葉に、リリアは驚いた。
「彼が来ます!急いで!」
(私の普通……)
リリアは目をつむる。
すると、覚悟を決めたように再び目に光を宿した。
「逃げない、あんたと戦う!」
「え!?」
青年は驚いたように言う。
「ダメです!! 死ぬかもしれません!」
「私は過去から逃げてきたの。ここで逃げたら”今”からも逃げることになっちゃう。それに、けが人置いていけないもん」
二人の会話を断ち切るかのように、屋上の影の中から黒い輪郭が浮かび上がった。
「困るな、リリアを助けられると」
影男は仰々しい態度で二人を見る。
「英くん、なんでこんなこと!」
リリアは必死な声で説明を求めた。
「奪われる前に、奪うんだよ。これ以上、俺の人生を狂わせるな」
影男は何かを振り切るように、鋭い声を上げる。
さらに、影男は軽口をたたくように続けた。
「お前の基準に合わせる方が苦痛だった。思い出すだけで吐き気がする」
心臓を刺す言葉。リリアは苦しそうな顔をする。
青年はそっとリリアの手を握った。
温もりが指先から広がり、リリアは驚いて思わず青年を見つめる。
「大丈夫です。あんな奴の言うことなんて、聞かなくていいですから」
リリアは込み上げるものを抑えきれず、涙が溢れそうだった。
床から滲むように黒い影が近づき、影男の低い声が響く。
「部外者を傷つけるつもりはない。……立ち去ってくれ」
だが青年は、胸の奥の熱を抑えきれなかった。
「部外者だとしても、誰かが傷ついている時に、助けないのは絶対に嫌だ!!」
その瞬間、リリアを背にかばい、青年は両腕を大きく広げる。
水がうねり、手の甲から水が刃と化す。
幾重にも重なった水刃が、青白い光を帯びて一直線に走った。
シュバッ! シュバッ!
鋭い音を残しながら、空気を切るように影男に襲いかかる。
だが次の瞬間——。
影男の体は黒い床に沈み込むように消えた。
水刃はすべて空を切り、水は飛沫となり散る。
そして次の瞬間、青年の膝がコンクリートにつく。
肩で荒く息をし、額に汗が滲んでいた。
「立てる?」
リリアは慌てて駆け寄る。
「来るときに水を使いすぎました……もう残りが少ない」
青年の吐き出す言葉はかすれていた。
青年はリリアの腕を借り、ふらつく体を押さえつけるようにして再び立ち上がる。
その瞬間――。
青年の背後に、突如として影男が姿を現した。
振り返るよりも早く、二人の足元に影が迫る。
咄嗟に、青年はリリアを突き飛ばし、彼女を庇った。
黒い渦が青年の体を絡め取り、一瞬にしてその全身を呑み込んでいく。
「――ッ!!」
抵抗の暇もなく、青年は影に引きずり込まれた。
残っていたのは、リリアの目の前で閉じていく黒い波紋だけ。
リリアは足から力が抜ける。
そのまま膝が崩れ、硬い床に落ちた。
胸の奥がぎゅっと締め付けられ、呼吸が浅くなる。
「そんな……」
戦いは続いているのに、彼女の視線は床に落ちたまま動かない。
影男はゆっくりと近づき、冷たい瞳で見下ろしながら言葉を吐いた。
「リリア、おとなしく殺されてくれ」
リリアの瞳に涙がにじむ。
「あんたも私も最低だ……」
絞り出すようにだした声は、震えていた。
「なんだいきなり……」
影男が鼻で笑う。
リリアは唇を噛み、涙をこぼさぬように顔を上げた。
「最低な私を、彼は助けてくれた! どうしようもない私のことを」
リリアは震える膝を押さえつけるように立ち上がる。
「助けてもらった命を無駄にするようなことは、絶対にしたくない!」
「日常を奪われて、やけくそだな」
「そんなこと、どうでもいい……。私は自分の普通を見つけるんだ! だから、あんたのことは引きずらない!」
胸の奥から、叫ぶように――。
「彼を返して!」
リリアは自身の能力を使い、見えない糸のように影男の思考へと絡みついていく。
「くっ!! これが洗脳か! くそ!」
「ありがとう、話に付き合ってくれて。あなたの姿を5分見ないと使えなかったの……」
溢れそうになる涙を押さえ込み、リリアは深く息を吸った。
「こんな……ものっ! やめらぁあああーーー!!」
影男の絶叫が空気を震わせる。
その意志の強さは、リリアの額に冷や汗を走らせた。
(なんて……強い意志! このままじゃ、あいつが……! 早く、早く!)
リリアの声にならない叫びと共に、力がさらに食い込む。
次第に視界がぼやける。耳鳴りがして、脳に血が巡らない。――痛い。
しかし、リリアは影男を見据えたまま、一歩も退かない。
そして、最後の力を振り絞りリリアは影男を追い込む。
「うわぁぁぁぁ――っ!!!」
影男は叫ぶ。
「――――――!」
拮抗していた意識のせめぎあいが崩れ、影男はリリアに思考を操られる。
「今、助けるから!」
リリアは影男を操り、青年を影から解き放った。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!!」
青年は必死に呼吸を取り戻そうとする。
「しっかり!!」
リリアが駆け寄り、腕を支えた。
「有川さん、怪我は?」
リリアはかすかに笑みを浮かべて首を振る。
「こっちのセリフなのに。私は大丈夫」
その言葉に、青年の顔に安堵の色が広がった。
しかし、二人は突然、影に包まれる。
青年の視線を追った先――。
影男はすでに二人の頭上へと跳躍していた。
闇そのもののような翼を広げ、両腕に収束するのは、黒い塊。
「こうなったらお前らごと飲み込んでやる! 夢も理想も、希望も何もかもな!!」
影男が咆哮し、黒い塊が天を覆うように膨れ上がっていく。
「理不尽があっちゃダメなんだ」
青年は立ち上がり、リリアを見る。
「有川さん……少しだけでいいから、動き止められますか?」
青年の声はかすれていたが、その眼差しだけは強かった。
「うん。でも、なんで?」
「あいつに攻撃を当てるための一瞬の隙。それさえ作れれば、勝機があります!」
「わかった!! 一緒にあいつの理不尽を止めよ!」
ボロボロの体でなお、2人は背を合わせる。
その瞬間、彼らの意志はひとつになった。
リリアは両手を広げ、歯を食いしばる。
目に見えない力が波のように影男に押し寄せた。
「っ……!」
影男の体が、見えない鎖に絡め取られたかのように動きが鈍る。
「くっ……! こいつ、またっ!」
頭を押さえ、苦悶に顔をゆがめる影男。なおも抗おうとした。
「ぐっ……ぬぅぅぅ……っ!」
リリアは、唇を嚙みしめながらも決して能力を緩めない。
(止まって……止まれぇぇぇぇっ!!)
心の叫びの瞬間、影男の動きが止まった。
場のすべてが張りつめた弦のように沈黙する。
すると、青年は震える指先に、残された最後の水の一滴までを凝縮させた。
血の気が引いた顔に、額の汗が流れ落ち、枯れた声を絞り出す。
「お前の理不尽に、二度と有川さんを巻き込むな!」
次の瞬間、空気が裂けた。
掌から放たれた水弾は、矢じりのように鋭く、音速を超えた衝撃波が大気を切り裂く。
影男の目が見開かれた瞬間、轟音と共に水弾が影男の腹を正確に撃ち抜いた。
「ガッ――!」
水弾だけが貫通し、影男の体の内部に衝撃が走る。
空中にいた影男は、地面にたたきつけられて身動きが取れなくなっていた。
だが同時に――。
「……っはぁ……っ……!」
青年は震える足を支えられず、膝から地面へと崩れる。
「おい、ガキ」
影男は不敵な笑みを浮かべている。
「なんですか……」
「お前らの力は、いつか必ず自分の手で大切なものを壊す。特に、リリアお前だ……」
影男がそう言い放つと、青年は迷わずに言い返した。
「そんな理不尽、僕が止める」
即答した青年に、影男の瞳が一瞬だけ揺れる。
次の瞬間、不敵な笑みを浮かべて影に溶けていく。
「次は敵じゃないといいな」
影男は影の中に消えていった。
そして、青年は気絶するように倒れる。
リリアは駆け寄り、青年の頭をそっと太ももに乗せ、か細い声で問う。
「勝ったのかな。大丈夫?」
「もう……動けません」
いつものように淡々と告げる青年に、リリアは目を細めて微笑んだ。
「あんたが来てくれて、うれしかった」
「え?」
驚く青年。リリアはすぐに顔をそらし、耳まで赤くする。
「ご、ごめん! 今の忘れて! 何言ってんだろ。あはは……」
彼女の動揺を受け止めるように、青年はしばし見つめ、それから口を開いた。
「キーレスト・ウォルターズ」
「え……?」
「 僕の名前です。名乗ってなかったなって」
リリアは一瞬呆気に取られた後、ぱっと笑みを見せる。
「もう! それ、私から聞こうと思ってたのに!」
青年は肩をすくめて笑った。
「子供じゃないんですから、どっちでもいいじゃないですか」
「ふふ、ほんとっ減らず口はどんな時でも変わらないのね」
青年は安心したように、すぐに気を失った。
彼女はその顔に触れて、そっと微笑み夜空を見上げる。
「きれい……」
夜風が静かに響く屋上で、二つのが灯火が確かにともる。
まだ、それは弱く脆い。
だが、一歩ずつ着実に消えない希望の光として強くなっていく。
第3話まで読んでいただきありがとうございます!
これから物語は拍車をかけて、スピードアップしていくので、お付き合いお願いいたします!
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