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第35話『自由を求めて』



砂の上には、二人の足跡だけが細く続いていた。



「ねぇ、フリム」



バニーは潮風に髪を揺らしながら、ふと立ち止まる。



「この国って、いいところだと思う?」



フリムは首をかしげ、少し考えてから笑った。



「バニーさんがそう思うなら、きっといい国ですよ」



その答えに、バニーは目を細める。



「私はそんなにいい国じゃないと思う」



「じゃあ、だいぶクソですね」



「今を生きるのに必死な私には、ずっと生きづらかった。

 でも——それとも、おさらば」




月明かりだけを頼りに、彼女は前を見た。




やがて、二人は人の足跡もつかぬ入り江へ辿(たど)り着く。

海面に映る満月は、鏡のようにゆらめいていた。



「きれい」



フリムが呟き、彼女のスカートがふわりと舞う。

白い太ももがちらりと月光を反射し、その姿はまるで水面(みなも)に咲いた一輪の花のように見えた。



「その制服、よく似合ってる」



バニーが静かに言う。



「わかります? “私を見て”って感じ、ちゃんと出てるでしょ!

 この短いスカートに、リボンの色合わせ、完璧なんです」


その笑顔は子どものように無邪気で、けれどどこか(かな)しげでもあった。


「これだけが……私が私でいられるものだから」



寄せては返す波の音が、バニーの心の奥の空洞(くうどう)をやさしく叩く。

自分が自分でいられるもの——その言葉が胸の奥に刺さった。




答えはすぐに浮かぶ。




──ライド。

そして、フリムと過ごす時間。




それだけが今の自分の輪郭(りんかく)をつなぎとめていた。

けれど、彼がいない夜は、その輪郭が(にじ)んでいく。



「ライド、遅いね」



「男の人って、こういうとき来ませんからね」



フリムは笑顔のまま言い、バニーは焦燥(しょうそう)を押し殺すように(つぶ)いた。



「行かなきゃ」





高台



街の灯りが遠くで(まばた)き、夜の高台は月光に照らされていた。



「本当に二人には手出ししないんだろうな」



ライドは食い下がる。



「それは、お前次第だ。それにまだ自分が選べると思っているのか」


父の声は冷たい鉄のようだった。


「時間切れだ。十秒で答えろ」




カウントが始まる。




ライドの脳裏を、笑い声が流れた。



バニーが、変顔をしてこちらを見せる。



「ねぇ、ライド!見てこれ、変でしょ!」



その顔は本気でふざけているのに、どこまでも愛おしかった。



「バニーさん、何やってるんですか」



隣で笑うフリム。まだ(おさな)くて、まっすぐで。


そして、彼らと肩を並べて見上げた花火の光――あの一瞬だけが、今も心臓の奥で脈を打っていた。




「……わかった」


ライドは低く、息を吐くように言う。


「行くよ。あんたのところに」



父は口元を(ゆが)めた。



「自由は、強者の特権だ。お前の理想はただの遊びに過ぎない」



その言葉に、ライドは何も返さなかった。

ただ帽子を外し、指先で(ほこり)を払う。

そして、父と並んで歩き出す。



その時──

闇を裂くように、声が響いた。



「ライド――ッ!!!」



振り向くと、息を切らしたバニーと、その後ろで懸命(けんめい)に追うフリムの姿。



「お前ら……なんでここに……」



ライドの声は驚きと焦りに揺れていた。

バニーは胸に手を当て、乱れた呼吸の合間に言葉を吐き出す。



「もう……ライドに、会えない気がしたの……」




「バニー」


ライドの眉が(ゆが)み、声が震える。


「なんで、いつもそうなんだよ。後先考えずに突っ走って……!」



バニーは顔を上げ、その瞳には涙の粒がきらめいた。



「考えたって、どうにもならないことだってあるじゃない!!」



ライドが叫ぶ。



「生きてほしいんだよ……!! せめて自分の生き方くらい、守れよ!」



「守ってる!あんたを信じるって、それが――私の生き方なんなの!!」



ライドの拳が震えた。

力が入りすぎて、爪が(てのひら)に食い込む。




「全員、動くな――ッ!!!」





一瞬で、十数人の特殊部隊が高台を包囲した。

機関銃の照準がカチリと音を立て、四人を取り囲む。



「ふざけんなよ」



ライドが低く吐き捨てた。



「全員、手を上げろ!」



三人はゆっくりと両手を上げ、銃口の向こうで光る月を見上げる。

腕に、冷たい金属の輪がかかり、カチリ、と手錠が閉じる音が響いた。




「これって……本当に、正しいんですか?」


若い兵士が、小さな声で問いかけた。


「黙れ、サイラス! これは命令だ!」


若い兵士は言葉を失い、視線を落とす。




ヘリのローター音が空気を切り裂いた。

手錠(てじょう)をつけられた三人は、押し込まれるように車両へ乗せられる。



「バニーさん……ライドさん……」


フリムの小さな声。


「私たちって……どうなるんですか?」



バニーは彼女の方を向き、無理に笑った。

唇がかすかに震える。



「大丈夫。……なんとかなるよ」



しかしその言葉を(さえぎ)るように、ライドが冷たく言い放つ。



「大丈夫なわけ、ねぇだろ」



その声には怒りも悲しみも混ざっていた。

フリムは目を伏せ、バニーは言葉を失う。





翌朝、ニュースは何も伝えなかった。



それ以来「バニー・ライド・フリム」という名はどこからも消えた。

まるで最初から存在しなかったかのように。

だが、街の片隅(かたすみ)にはまだ煙の匂いが残っている。



その後も暴動は数日続いた。

しかし威嚇射撃(いかくしゃげき)と、いくつかの命の犠牲によって鎮圧(ちんあつ)され、人々は再び静かな日常へと戻っていく。

市民の暮らしだけが少し良くなり、汚職も不正も、陰の計画も闇へ沈んだ。



彼らがこの1年で燃やした火は、まるで花火のように、一瞬だけ夜空を照らして消えてしまった。





ある場所の研究室



鉄の扉が閉まった瞬間、世界は音を失う。

そこにあるのは、機械の低い(うな)りと、どこかで誰かが叫ぶ声。

それが、3人の目に映った最初の“光景”だった。



「ここに寝ろ」



冷たい金属に背を預けた瞬間、頭上から装置が降りる。



「一体、何が——」(おび)えるフリム。




次の刹那、白い稲妻(いなずま)が脳を裂いた。




「あぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「うあぁぁぁぁぁぁ!!!」

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」




光が(はじ)け、視界が反転し、意識は闇に飲み込まれ、三人は崩れ落ちた。



バニーが目を覚ますと、闇と油の臭いだけがあった。



「……ライド?」


隣に、かすかな息づかい。


「フリムは?」



焦る声に、ライドは頭を押さえながら答える。



「わからない。俺が起きたときにはもういなかった」


彼の手が震えていた。


「なんで、こうなったんだ。俺だけで済んだはずなのに……」



罪悪感に押し(つぶ)されるように、ライドは(うつむ)く。

バニーは唇を噛み、無理やり笑みを作った。



「でも、こうして今も一緒にいられる。それだけでも、ちょっとはマシじゃない?」



「そんなわけないだろ!俺たちがこれから何をされるか!」



その言葉に、二人の脳裏をよぎる。


――人体実験。



「何があっても私はライドといれば、へっちゃらだよ」



ライドは返事を返さなかった。

二人の間に沈黙の壁が生まれる。



しかし、二人は諦めていなかった。



(絶対ここを出て、自由になる。そのためなら、なんだってやってやる)

(生きなきゃ。じゃないと、すぐに消えちゃう)






そして、悪夢のような日々が始まる。

注射。電撃。切開。

命令は無機質で、反応がなければ“廃棄”。

誰かが悲鳴をあげ、誰かが次の日にはいなくなった。


「能力が発現しなければ、戦士として使えなければ、殺す」

それが、この場所のルール。






「起きろ」



バニーは冷たい水が頭から浴びせられた。

体は裸のまま、金属台に(しば)られている。

床にこぼれた水が凍るほど冷たい。



「今日は反応実験だ。泣くなよ」



無機質な声とともに、注射器が腕に突き立てられる。

薬液が血管を走り、すぐに皮膚が焼けるように熱を帯びた。



「うっ……! やめて……熱いっ……やめてぇっ!」



反応を観察する白衣の目は、氷のように冷たい。



「痛覚は正常。情動反応、良好。記録」


「次、電圧を上げろ」


彼女の体が弓なりに()った。

息ができない。喉が裂けそうになる。



「女の個体は面白い。感情に比例して血圧が上がる」



「お願い、見ないで……!」



研究員たちは顔をしかめることもなく、ただ記録を続ける。

羞恥(しゅうち)も痛みも、もう区別がつかない。

ただ生きるために、耐えるしかなかった。






薄暗い部屋



床には水が張られ、鉄のくさりが足首を締めつけている。



「今日もデータを取る。抵抗するな」



――ザバァッ。



顔ごと水の中に沈められる。

呼吸が奪われ、心臓が破裂しそうになった。



「反応、良好。限界時間を計測」


「上げろ」



水から顔を引き上げられた瞬間、空気をむさぼるように吸い込む。



「はぁっ、はぁっ、ぐっ……っ!」



「もう一度沈めろ」



容赦なく再び水中に叩き込まれた。

電流が同時に流され、視界が白く弾け、意識が千切れる。

水が肺に入り、苦しみが(かすみ)のように遠ざかっていった。









それから、三年の時が過ぎた。



2029年、冷たい鉄の中で季節は変わり、二人は十九歳。

無数の訓練と痛みが皮膚の下に沈殿し、二人はいつしか“兵器”と呼ばれる存在へ。

バニーは血を媒介(ばいかい)に人を操り、ライドは“箱”で相手を拘束する。


研究員は言う。


「戦闘向きではないが、いずれ使えますね。

 それにこいつら困ったことに、いくら電流を流しても記憶が消えないんです」


報告に、男は薄く笑う。


「役に立つ日まで、壊れない程度に叩け」


そして、別の報告が続いた。


「彼らと同じ日に捕らえられた少女が一人……すでに“あの方”のお気に入りです」


男はわずかに目を細める。


「そうか」





言葉を交わすことも少なくなった二人。


「生きてたんだな」


ライドは壁にもたれてつぶやく。


「二人で、ここ出ようよ」


バニーは微笑んだ。


「三年もいるんだ、出られるさ」


ライドは軽口を叩くように言う。



捕まったあの日から、二人のあいだにあった(とげ)はもう抜けていた。

けれど、心の奥にはまだ、言葉にできない距離が残っている。






2030年。唐突に“任務”が告げられた。



「お前たち二人に任せる。この二人を捕らえ、計画が完了するまで生かしておけ」


差し出された写真には、リリアとキールの姿が映っている。


「成功すれば、お前たちを解放する」



二人はお互いに目を見つめて見開いた。



そして、部屋に出るとバニーは顔を(かがや)かせる。



「これで、自由になれるのね!」



ライドは眉をひそめた。



「……計画、って」




しかし、そんな疑問もすぐに消えてしまう。

“自由”という言葉だけが、二人の心を(つな)ぎとめていた。




その瞬間、頭の奥で声が響く。



『お前らには化けてもらう』


「誰だ!?」


『二人を一緒に捕まえろ。そして、感情を揺さぶれ。徹底的にな』



モロスの声。だが、二人にはその正体を知る(すべ)がなかった。




次の瞬間、意識が引き裂かれるように揺れ、身体は別人の姿へと変わっていく。

流れ込んでくるオレンジ髪の少女エミリー、水を操る少年キールの存在。

そして、リリアの“初恋”という言葉。


二人は理解した。

やるべきことはただ一つ、それを果たせば自由になれる。




しかし、出会った二人はあまりに“普通”だった。



怯え、悩み、それでも明日を信じようとする少年と少女。

その“普通さ”が、バニーの胸を強く()めつける。



「私、何してるの」



自由を求めたはずが、いつの間にか奪う側に立っていた。

この場所を離れれば、今度は自分が消されてしまう。

それがわかっていても、胸の痛みは増すばかりだった。



「これが、俺の望んだ自由なのか……?」



ライドもまた、静かに拳を握った。

自由を選んだはずなのに、気づけば誰かの命令に縛られている。

口に出せない問いが、胸の奥でゆっくりと溶けていった。




二人は今、キールとリリアの姿に、かつての自分たちを見ていた。




今を生きるのに必死で、ただ“今”という瞬間を(つか)もうとしていた少女。

未来を見据(みす)え、理不尽に(あらが)いながら、誰かのために戦おうとしていた少年。




二人は、違う道を歩みながらも、同じ言葉を心の奥で(つぶや)く。




「自由になりたい」




彼らの物語は、まだ終わらない。




かつて笑い合い、未来を語り、そして血にまみれながらも手を取り合っていた、“あの頃のバニーとライド”は、もうここにはいない。




その先に、明日(みらい)は来るのだろうか。

光でも闇でもない、“生きる”という痛みだけが、確かに二人を照らしていた。

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