第30話『〇〇しないと出れない部屋』
二人はしばらくの間、抱き合っていた。
リリアの胸の中で、鼻をすする音だけが部屋に響いていた。
やがて、少しずつ呼吸が整っていく。
リリアは彼の背を撫でながら、安堵したように息をついた。
「もう、大丈夫?」
キールは顔を伏せたまま、小さく頷く。
リリアがそっと身体を離そうとしたその瞬間――
キールの腕が、ぎゅっと彼女を抱きしめ直した。
「キール?」
胸元で、震える声がこぼれた。
「もう少し……このままで、いいですか」
彼の髪を優しく撫でながら、リリアは穏やかに答える。
「いいよ。いくらでも」
体温が伝わる。
リリアは抱き枕のように抱きしめられながら、そっと頬を寄せた。
(キールって、意外と甘えん坊さんなのかな)
その小さな思いが、かすかな笑みとともに胸に灯る。
――その時だった。
ブッ――――――!
突如、金属的な警告音が鳴り響いた。
二人は反射的に身を離し、顔を見合わせる。
「な、なに!?」
「アラーム……?」
音は壁でも天井でもなく、足元から響いていた。
リリアは耳を澄ませ、ベッドの下を指さす。
「ここだ」
二人でマットレスを持ち上げると、その下には黒い金属板と小さな装置が埋め込まれていた。
電子表示が浮かび上がり、五つのランプが並んでいる。
「なにこれ?」
リリアが眉をひそめた。
キールは慎重に覗き込み、表示を読む。
そこには、赤い文字が浮かび上がっていた。
【第1関門クリア】
続いて、第2関門――「初恋語り」
涙の余韻がまだ頬に残るのに、心の奥がざわつく。
「初恋語り?」
「なんですかこれ?」
涙で赤くなった目を細めながら、キールが呟く。
リリアは腕を組み、しばらく考え込んだあと――ぽつりと口を開いた。
「これ、ここに書かれてることをクリアしないと、進めないんじゃない?」
「なんでそんなことわかるんですか?」
キールが首を傾げると、リリアは画面を指して言った。
「だって、“第1関門クリア”って出てるし、ランプも五つあるでしょ?
それにこれってよくあるエッ...」
急に言葉を飲み込み、視線をそらす。
「エッって?なんですか?」
キールが真顔で問い返すと、リリアは顔を真っ赤にして慌てて手を振った。
「なんでもない...」
あからさまに挙動不審なリリアを前に、キールは目をぱちくりさせる。
やがて、リリアが真面目な顔に戻り、装置の文字を指さした。
「初恋話せば、2個目はクリアみたいね。命がけの恋バナなんて初めて...」
「はつこい」
キールは何かを考えるように呟いた。
リリアはのぞき込むようにキールと目を合わせる。
「わたしから、いい?」
そして、四条累との初恋を語り始めた。
「それで、私の初恋はあっけなく終わっちゃったの。あの時はつらかったなー」
声は明るく見えたが、その奥に微かな寂しさがにじんでいた。
キールは黙って聞きながら、どこか困惑した表情を浮かべる。
「リリアさん、もしかしてさっき一緒にいた人って...」
リリアは一瞬目を伏せ、静かに頷いた。
「そう。あの人、四条君に化けてたの。ほんと...私って男運ないよね」
無理に笑ってみせたその声が、ほんの少し震えていた。
キールはしゅんと肩を落とし、小さくつぶやく。
「ごめんなさい」
その言葉にリリアは慌てて首を振る。
「ちがう!キールは違うよ!」
顔を赤くしながら、もじもじと続けた。
「キールは……特別だもん」
その一言が、空気をやわらかく包んだ。
リリアの視線が少し泳ぐ。
それ以上の言葉は、恥ずかしくてどうしても口にできなかった。
「じゃあ……次はキールの番だね」
キールは目を伏せ、指先をいじりながら言葉を探すように口を開いた。
「初恋なんですかね。エミリーとは仲が良かったんです。
彼女といると、不思議と……明るくなれました」
リリアは笑顔を浮かべ、少し身を乗り出す。
「それはきっと初恋だよ! エミリーって、さっきの?」
「はい。彼女は……もうこの世にはいません」
キールの声は静かだった。
「でも、僕にとっては、今でもずっと大切な人です」
リリアは小さく息をのむ。
「そうなんだ」
そして、ほんの少し笑う。
「彼女がキールと同い年だったら……きっと、あれくらいきれいな人だったんだろうね」
「でもエミリーといる時も、リリアさんといる時も、同じ気持ちになるんです」
「えっ……?」
リリアの心臓が跳ね上がる。
「これって初恋なんでしょうか?
なんか……大切な人に感じる感情な気がして」
その言葉に、リリアの頬が一気に熱を帯びた。
俯いたまま、耳まで赤く染まっていく。
(キールの中で、私……“大切”なんだ……)
そう思った瞬間、傷ついていた心がじんわりと癒えるようだった。
緩む口元を隠すように、リリアは両手で頬を覆う。
「……もう、そういうのズルい」
キールはきょとんとして首を傾げる。
「え、僕、なにか変なこと言いました?」
「ううん……」
リリアは俯いたまま、小さく笑った。
すると再び、甲高いブザーが部屋を揺らす。
「リリアさん、また鳴りましたよ」
リリアは目を丸くし、それからぱっと笑顔を咲かせた。
「ほんとだ!2個目のランプがついてる!」
青い光がチカチカと点滅し、壁に反射して二人の頬を淡く照らす。
「じゃあ、次は?」
リリアが身を乗り出す。
キールはパネルに刻まれた文字を読んだ。
二人の視線が同時に止まり、そして――
「……え?」
「……え?」
【第2関門クリア】
続いて、第3関門――「キス」
しばし、時間が止まったようだった。
視線がゆっくりと重なり、互いに顔を見る。
「するの?」
リリアの声は小さく、けれど確かに震えていた。
キールは頬を赤らめ、視線を泳がせながら言う。
「で、出るためには……しょうがない、です……」
沈黙。
空気がほんのり熱を帯び、二人の距離が一瞬だけ縮まる。
その瞬間――
――ブッ!
再び、甲高いブザーが鳴り響いた。
「えっ!? な、なんで!? まだしてないのに!」
リリアが慌てて振り向く。
キールは一瞬考え込み、ぽつりとつぶやいた。
「……もしかして、この前の」
ふたりの脳裏に、同じ記憶がよぎる。
アマゾンの戦場。
リリアが必死にキールに人工呼吸をした、あの瞬間――。
リリアの顔がみるみる赤くなる。
「ちょ、ちょっと待って!あれはキスじゃなくて、人工呼吸だから!!」
キールは戸惑いながらも、必死に弁明するように手を振った。
「わ、わかってます!でも、ここの判定、だいぶアバウトみたいですし……。僕の初恋が“そうなのかどうか”も、結構怪しかったので」
リリアは半目になり、頬をぷくっと膨らませて、キールを睨みつける。
「僕じゃないですよ...。この能力の持ち主に文句言ってください」
キールはその瞳をじっと見つめて、困ったように言った。
リリアはそっぽを向いたまま、小さく呟く。
「……アバウトじゃなくてよかったのに」
再び鳴り響くブザー。
第3ランプが点灯する。
次の瞬間、画面に浮かび上がった文字を見て、二人は凍りついた。
「これって、そのためのベッド...?」
リリアが顔を真っ赤に染める。
【第3関門クリア】
続いて、第4関門――「H」
二人にはその一文字が、どう見てもアルファベット三文字に見えてしまう。
「違う可能性も」
キールは冷静な声で言った。
「この流れでそれはなくない?」
「アバウトですし、違う方法もあるかも」
キールは眉間を押さえ、考え込む。
一方のリリアは、頭がショートしそうだった。
(ちょっとまって!?今からキールとそういうことしちゃうの!?)
視界の端が白く霞むほど動揺しながら、リリアは頭をぶんぶん振った。
(心の準備が...しかも恋人でもないのに...キールはいいのかな)
そのとき、不意にキールが言った。
「……やってみましょう」
「にゃ!?」
リリアは変な声を上げて飛び上がる。
キールはあくまで淡々としていた。
「それじゃ、ベッドに座ってください」
その余裕ぶりに、リリアは驚いた。
(キールって、初めてじゃないのかな……? 前に私の胸見ただけで真っ赤になってたのに……なんか、私だけ緊張して恥ずかしい……)
頬が熱くなる。胸の奥がくすぐったい。
彼女はおそるおそる上着のボタンに手をかけ、ゆっくり外していく。
肩にかかっていた布がするりと落ち、明るいランプの光が肌をやさしく照らす。
その下にのぞいた淡い水色のブラが、やわらかな体のラインをふんわりと包んでいた。
思ったよりも目立ってしまって、リリアは思わず胸の前で手をぎゅっと握る。
(よかった、ちゃんとかわいいやつで。)
リリアはうつむいたまま、頬をさらに赤く染めた。
その瞬間、キールが振り向き、目を見開く。
「リリアさん、なんで!?」
慌てて両手で顔を覆う。
リリアは頬を染めたまま、視線を泳がせながら言った。
「なんでって……するんでしょ、今から」
「話、聞いてましたか?」
「え……?」
リリアの頭上に大きな“?”が浮かんだ。
「おそらく僕たちの解釈の問題だと思うんです。
僕たち自身の思考や行動を違う解釈で置き換えましょう」
リリアはぽかんとしたままだった。
「それでさっき首を噛まれたことで思い出したんです。吸血にはそういう意味もありますから。だから、僕が作った水を“血”と捉えて、リリアさんが飲めば条件を満たせるかもしれない。いちかばちかやってみましょうって」
キールが淡々と説明する間、リリアの頭の中は完全に混乱していた。
「ごめん、聞いてなかった……」
小さくつぶやくと、顔を真っ赤にしてベッドにうずくまる。
「こっち見ないでよ!エッチ!」
「リリアさんが聞かないから……でも、」
キールは一瞬だけ目をそらし、赤らめてぽつりと続ける。
「きれいですよ」
リリアはその言葉に固まったまま動けなくなった。
「もう...」
静かな空気が流れ、しばらくしてようやく服を着直す。
キールが掌に水を生み出し、それをリリアがそっと受け取った。
「この水、なんか不思議な味する」
リリアが首をかしげると、キールも少し笑ってうなずいく。
次の瞬間、ブザー音が鳴り響いた。
「第4関門、クリア?」
リリアはぽかんとした顔でモニターを見る。
「これ、どれだけアバウトなのよ。こっちの解釈と気持ち次第って」
だが、次に表示された文字を見た瞬間、二人の表情が一変した。
【第4関門クリア】
続いて、最終関門――「本物の目を捧げよ」




