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第28話『ガブチュー箱』



夜空に花火が咲き、光が(またた)くたびに四人の姿を切り取っていた。

けれど、リリアとキールの瞳には、光は一片(いっぺん)も宿っていない。



リリアはバッグの持ち手を握りしめ、無言で立ち尽くす。

焦りに()られたキールが口を開いた。



「リリアさん、これはちが――」



言葉をつなぐ前に、空気を裂くような怒号が響く。



「黙って!!」



キールは諦めきれず、かすれた声で必死に(つむ)ぐ。



「僕、リリアさんに会いたくて。どうしても話したいことがあるんです」




リリアの脳裏には、あの日の背中がよぎる。

ケントと共に去り、振り返ることもなかったキール。

そのくせ、自分を置き去りにしておきながら、目の前では別の女に唇を重ねている。

怒りと同時に悲しみが込み上げ、もう涙がこぼれそうだった。



「話したいことって、なに?あなたって、いったい何なの?」



(にら)みつける視線に、キールは足をすくませた。



「よく“話したい”なんて言えるね。自分から、私の前から消えたくせに!」



突きつけられた真実に、キールの胸は(えぐ)られ、何も返せなかった。

リリアは吐き捨てるように続ける。



「それに……こんな場所で、キスまでして!」



キールは必死に訴えかける。




「誤解なんです」




「もう何も聞きたくない」




抑えてきた感情が一気に(あふ)れ出す。





「……もう、あんたなんか……消えちゃえばいいんだ」





最後の言葉がリリアの口からこぼれ落ちたとき、キールの手から力が抜け落ちる。

脱力した両手がだらりと揺れ、その顔には全てが終わった絶望が浮かんでいた。






リリアは、我に返った。

怒りに任せた言葉に、すぐ後悔が押し寄せる。


「ごめっ、言いすぎて……」

謝ろうとした、その瞬間。



「っ......!!」



キールは首に激痛が走り、首を押さえる。

リリアの目に映ったのは、信じがたい光景だった。



エミリーが、キールの首筋に噛みついていた。



「キール!!」



駆け寄ろうとしたリリアは、後ろから腕で体を絡(から)め取られた。

息が詰まるほどの力で()め上げられる。



「なに...するの」



リリアが必死に叫ぶが、返ってきたのは淡々とした声だった。



「……仕方ないんだ」



キールは(ひざ)をつき、(しび)れに身体を震わせる。

「エミリー、どういうこと?」



問いかけに答えるように、エミリーの姿は変わり始める。

輪郭(りんかく)が揺らぎ、(かすみ)(おお)われ、別人の姿が浮かび上がった。

ピンク色の髪をボブのハーフアップにまとめ、刺すような黒い瞳。

耳と舌には銀のピアスが光り、首元から(したた)る血を舐め取る仕草に、どこか罪悪の色が混ざっていた。



「エミリーなんか、生きてないよ」

女の声は、低く冷たい。

「ごめんなさい……でも、こうするしかないの」



その瞬間、キールの瞳から光が消えた。

絶望の色だけを残したまま、彼の意識は闇に沈んでいった。



「キール!!」


リリアの叫びは、地面に崩れた彼には届かない。



「あなたたち何者なの!?」



背後で抑えていた累の体もまた(ゆが)み、変貌(へんぼう)()げていく。

ツイストパーマがかかった紫の髪、鋭い眼光を持つ男の姿。



「おい、バニー。こっちも頼む」


男が吐き捨てるように言い、ピンク髪の女は躊躇(ためら)いがちに(うなず)いた。



「わかってる」

女はリリアの前に立ち、悲しげに瞳を伏せる。

「ごめんね。少し痛いだけだから」




言葉と同時に鋭い牙が首筋へと突き立った。

「いたっ!!」



燃えるような激痛が走り、視界がぐにゃりと(ゆが)む。

花火が夜空に咲き誇るその下で、リリアの意識も闇に飲み込まれていった。








10分後



高台に吹きつける潮風。

月明かりに照らされ、黒い四角い空間が輝いていた。



ピンク色の髪をした女性バニーはベレー帽をかぶり、ポケットから二人分のタバコを取り出す。

紫のパーマがかかった男ライドはハットをかぶり、黙って火をつけた。



煙が二人の間に(ただよ)い、静かな夜に重苦しい匂いを混ぜ込んだ。


「ライド」


バニーは煙を吐きながら、視線を落とす。


「この二人を傷つけてまで、やらなきゃいけなかったの?」



後悔を(にじ)ませる声に、ライドはハットを深くかぶり直し、低く答えた。



「やらなければ、俺たちは自由になれない。

 完璧に(つぶ)さなければ任務は果たせないんだぞ」


ライドの声には、諦めと覚悟が入り混じっていた。

「それに一生、出てきやしないさ。

 俺の能力は、その人間が“今、最も困難だと感じる状況”を用意する。

それを超えない限り、二人は外に出られず……やがて死ぬ」



バニーの瞳が揺れる。



「でも、殺すなって言われてるでしょ。

 “計画が完了するまでは外に出すな”って……それが命令じゃないの?」



焦り混じりに言うバニーに、ライドは動じない。


「結局、あいつらも俺らと同じだ。来やしないさ」


その言葉に、バニーはしばらく黙り込む。


「それより岸に向かおう。明後日の日の出には迎えが来るはずだ」


バニーは深く息を吐き出し、しぶしぶと身体を動かした。

その背を、ライドが静かに見つめる。



次の瞬間、空気を揺るがすほどの轟音(ごうおん)が夜を切り裂いた。

巨大な光が遠方に咲き、空気を焼く爆発音が響き渡る。



バニーは目を細め、(つぶや)く。

「あっちも始めたみたいね」



ライドは煙を吐き出し、闇に向かって低く笑った。

「すべてを犠牲にすれば…この計画が終わった時、俺たちに明日は来るはずだ」





箱の中



あれからどれほどの時間が経ったのだろうか。

暗闇の中で、リリアはぼんやりとした意識を取り戻していた。

「……うっ」



徐々に輪郭(りんかく)がはっきりしてくると、そこには小さな空間が広がっていた。

窓もなく、出口もない。

あるのは、無機質な壁とベッドがひとつ――逃げ道を否定するための箱庭。

隣には、まだ目を覚まさないキールが横たわっている。



その姿を見た瞬間、胸の奥にいくつもの記憶が一気に押し寄せた。

キールの口からこぼれた言葉。

キールのキス。

四条くんの裏切り。

そして――自分の吐いた、最悪の一言。




全部が、頭の中で絡み合い、解けない糸のようにぐちゃぐちゃになっていた。



「なんで……なんで、こうなるの」



キールがこの国にいた理由は?

あの女性と四条くんは何者だったのか?

次から次へと疑問が生まれ、後悔と怒りが重なり、心の中で形を失っていく。

(いえ)えることのない傷に、リリアは胸を押さえ、ベッド脇(わき)にうずくまった。




気がつけば一時間が経っていた。

その時、不意に耳の奥で声が聞こえる。


『この先のことは君次第だ。とにかく、前に進め』

サイラスの言葉。



それは、胸の奥にくすぶる火をかき立てた。



「早く、ここから出ないと」



リリアは立ち上がる。

震える(ひざ)叱咤(しった)するように一歩を踏み出し、目の前のベッドを見る。



能力を使い、浮かせ、勢いよく壁に叩きつけた。

轟音とともに(くだ)け散ったが、同じベッドが無傷のまま現れる。



「そんな」


さらに壁そのものに力を込め、ひび割れさせようとするが微動(びどう)だにしない。


「どうすれば、ここから出られるの...」


それでもリリアは立ち尽くしたまま、拳を強く握りしめた。


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