第2話『縮まる距離』
「ほんとにごめんなさい....」
リリアは椅子に座り、両手をぎゅっと握りしめ、静かに頭を下げる。
「いいですって。タイミングが悪かっただけなので」
病室のベッドに横たわる水色の青年は、まるで他人事のように言った。
両腕は白いギプスに覆われ、胸には包帯。
頭には八針縫われた跡が痛々しく残っている。
「そういう問題じゃ...ほんとごめんなさい」
「気にしないでください」
水色の青年はそう言って、不意に微笑んだ。
その初めて見た笑顔は、リリアの胸の奥で、角ばった氷が少しだけ溶けた気がした。
「リリアーー!!」
ドアが弾けるように開かれ、イオラの声が病室に響く。
イオラは赤髪をポニーテールにまとめ、白衣を羽織ったスーツ姿は太ももが際どく見え、黒タイツ越しに大人の色気を漂わせていた。
「あなた、護衛を車との衝突事故に巻き込むなんてどういうこと!?」
「......」
リリアは胸の奥にある罪悪感が重く沈んだのを感じる。
「まったく......これだから若者は心配になるのよ」
言葉は静かだったが、そこには怒りの熱が潜んでいた。
「とにかく、トラブルを起こさないこと。わかった??」
イオラは二人に釘を刺すように言う。
「わかりました」
「はい...」
イオラは肩を落とし、呆れと安堵の入り混じった声で続ける。
「それと、リリアを探していた犯人は捕まえたから」
「えっ!!ほんとうですか!?」
リリアは少し冷静さを失って、声が大きくなる。
しかし、青年は口を閉ざし、下を向いたまま動かない。
「......」
「ありがとうございます!イオラさんはやっぱり頼りになるー!」
さっきまでの罪悪感がどこかに行ったかのように、リリアの胸は一気に高鳴る。
イオラは小さく笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めた。
「ほめても今回の件は、許してないからね。今、任務に出られるのは彼ひとりだけなのに」
青年はイオラを見上げ、質問を投げかけた。
「え...?なんでですか?」
イオラの瞳が鋭くなり、空気が一瞬にして張り詰めた。
「この1か月、UMH狩りの調査を行っていた17人と連絡が取れていないの...」
青年は突然、顔を真っ青にした。
「このままだと...。イオラさん、今すぐ情報を」
焦りをにじませた青年の言葉を、イオラが鋭く遮った。
「だめよ。あなたは今、怪我を直すことに集中して!!」
リリアの感情はジェットコースターのように急変し、血の気が引いた。
だがイオラはリリアの顔を見て、ふっと笑みを取り戻した。
「安心してリリア。もうすぐ、尻尾がつかめそうだから」
「よかった...」
「それじゃ、私はもう行くわね。二人とも警戒は怠らず!」
「はい!」
イオラは病室を出て、二人きりになる。
「UMH狩り...」
青年はボソッと言った。
知らないところで何か大きなことが動いていることをリリアは漠然と感じた。
「怖いわね。でも、イオラさんが言うなら大丈夫でしょ」
青年はまだ不安を拭えぬまま口を開いた。
「だと、いいんですけどね。有川さんなら能力で相手を操れば、簡単に勝てそうです」
「そんなわけ...。相手の思考を操るには最低でも5分間その人を見ないといけないわ。目が乾いて痛いし、あまり使いたくないわ」
目を閉じたまま、力を抜いた声で言った。
「無機物を操るだけなら、楽なんだけど」
「だとしても、誰でも操れそうですね」
平然と落とされたその一言が、部屋の空気だけを冷やした。
「怖いこと言わないでよ...あんたはどういう能力なの?」
リリアが質問すると、青年は視線を落としていう。
「手を出してください」
「???」
リリアはゆっくりと慎重に手を出す。
すると、青年の手から水が出てきた。
「うわ、水!?」
リリアは驚いた声で彼を見る。
「べんりね! 喉、乾いたらいつでも飲めるし」
リリアは空気を軽くしようと笑った。
だが、青年の瞳は一瞬も揺れなかった。
「......ありがたがれる類の力じゃ、ないんです。」
青年の声は水のように冷たく落ち、空気をぴたりと凍らせた。
「え......」
リリアは笑顔を作ろうとしたが、唇が思うように動かない。
リリアはなんとか会話を続けようとした。
「任務以外の生活とか......やりたいことないの?」
「考えたこともありません。僕には“望む”権利なんてないですから」
遠くを見ているはずなのに、そこには何ひとつ映っていないように見えた。
「そんなこと...」
「それでいいんです。消えない罰なので...」
青年の言動は引っかかることが多かったがリリアは踏み込めなかった。
「もう帰って大丈夫ですよ。遅いので、気を付けてください」
急に話を断ち切るように、青年は言い放った。
誰にでも触れられたくないことがある。
そう理解したリリアは、何も言わずにうなずき、その場を後にした。
それからの五日間、リリアは欠かさず病院を訪れた。
ぎこちなかった会話も、少しずつ笑みを交わせるようになっていた。
気づけば二人の距離は、出会った日の硬さからは想像できないほど柔らかくなっていた。
4月20日
リリアは英とのデートの予定があり、青年のところへは早めにいった。
「やっほー!おととい言ってた、ドーナツ買ってきたよ!」
「ありがとうございます。ほんと、毎日来なくても....」
俯いたまま、どこか弱々しい声が漏れた。
「気にしないで!お見舞いくらいしかできないし...ほら、ドーナツ!」
「どうも...」
包みを開いて一口かじると、青年の目が少し丸くなる。
「おいしいです、これ。いくつでもいけそうです」
「でしょ!ほんとに、ここのドーナツ好きなんだー!
でも、食べ過ぎないようにしないと太っちゃう」
「似合わないですね」
「え、なにそれ!どういう意味!?」
2人は思わず笑い合って、部屋の空気がほんの少しやわらいだ。
そんなふうにその日も時間が過ぎていった。
「私そろそろ行くね...」
「ヘリでデートでしたっけ?」
青年は遠慮がちに尋ねた。
「そうっ!ロマンチックでしょ?
明日、また写真見せてあげるから。じゃあね」
青年は視線を落とし、押し殺すような低い声でつぶやいた。
「毎日来なくて大丈夫ですよ。
有川さんは自分の生活を大切にしてください...」
その言葉に足が止まり、リリアの顔に影が差す。
「そんな寂しいこと言わないで。
毎日来てるけど、私以外だれも来てないでしょ」
「......」
青年は視線をそらして、言葉を探していた。
「話し相手くらいにはなるからさ...。それとも、あたし邪魔だった?」
リリアは言葉の端を濁すように、上目遣いで青年の反応をうかがった。
「そんなわけないですよ!
うれしいです...。毎日来てくれて」
青年の言葉に、リリアは驚くと同時に、胸がじんわり温かくなり自然と笑みがこぼれる。
「でも、それと同時に有川さんに悪いことしてるなって思っちゃうしそれに...」
迷いなく話していたはずの青年が、急に言葉を飲み込んだ。
「それに??」
「やっぱり、何でもないです」
「気になるじゃん!あとで、さっきの続き聞くからね!」
リリアは時計を見て焦り、颯爽と青年のもとを去った。
「はい....」
(何だったんだろうもう......。
また、名前聞き忘れちゃった。あいつと話すとなぜか忘れるのよね)
2時間後 東京某所 ビル屋上
「英くん、お待たせ!」
「お待ちかねのヘリだよ。ほら、乗って!」
英は微笑みながら、リリアをエスコートした。
「うわ、すっごい!」
窓の下に広がる街は、宝石箱のようにきらめいていた。
「英くん 東京の景色ってこんなにきれいなんだね!」
リリアの胸の高揚は収まらず、声に出ていた。
「そうだね...。リリアに喜んでもらって、ほんとによかったよ」
「うん!すっごく嬉しい!」
しばらく夜の東京を旋回した。
リリアは幸せで胸がいっぱいのはずだった。
しかし、会話での英の声はどこか低く、響き方が冷たい。
光を反射する瞳の奥には、闇が滲んでいた。
リリアの胸の奥にざらついた違和感が広がっていく。
「英くん??何かあった??」
そういうと英の視線が泳ぎ、動揺を隠したように返事をする。
「大丈夫...。久しぶりに操縦するから、緊張しちゃってさ...」
「そっか。ありがとね...」
リリアは英のぎこちなさが気になるも、英を信じることにした。
20分後ーー
突然、リリアの頭の中に黒い感情が流れ込んだ。憎悪。殺意。
刃物みたいなそれは、リリアの心を切り裂く。
リリアはたまに人の感情が自分に流れてくることがある――そこに嘘はない。
「英...くん?」
日が沈んだ瞬間、彼の輪郭は闇に覆われ、光を飲み込むような人影へと変わっていた。
「悪いな、リリア」
その言葉を最後に、リリアは夜空へ突き落とされた。
(嘘...?どういうこと? でもさっき感じた殺気
英君が私を探していたUMH? わからない、なんで...)
宙を舞う体は容赦なく下へと引きずりおろされ、リリアは絶望の淵へ落とされていた。
叫ぶ気力も能力を使う余力も、リリアには残っていなかった。
リリアの脳裏は渦を巻くように乱れ、その隙間から走馬灯めいた記憶が次々と押し寄せる。
『あなたは他の子とは違うんだから、学校にはしばらく行かないで』
『周りに怖がられないように、まずはそれを隠さないとな...』
私は人と違うことは、生まれてすぐ理解した。
私の外に広がる世界には、自分とかけ離れた当たり前の壁が存在した。
『ねぇ。今日、新作のアイス食べに行かない?』
『いいね!いこいこ』
『今日、電話しようよ~』
『いいよ。でも、寝落ちするなよな』
私は全部がうらやましかった。
もし、自分が普通だったら...私は考えずにはいられなかった。
この壁を超えることはできない。
それでも、私は前に進んだ...。
記憶が蘇る。
『リリア、もしよかったら付き合ってくれないかな。一生大事にする』
『うんっ!!私も一生、英くんのそばにいる!』
そう誓ったのに...。
あんなに笑いあったのに...。
「!!!」
リリアは一気に現実に戻され、優しい声が聞こえる。
「大丈夫ですか?」
水の奔流が夜空を裂き、水色髪の青年の腕に抱きとめられていた。
息を荒げながらも、その声は不思議と静かで穏やかだった。




