第27話『会いたい』
サイラスはこの前よりは控えめに酒を口にしていたが、それでも相変わらず騒がしく、だる絡み気味だった。
「つまり初恋のエミリーと、今カノのリリア。どっちを取るかって話か」
「いや、そういうわけじゃ……」
ティアーラとサイラスが同時に口を開く。
「だったら会いに行け」
「会いに行きな」
キールは顔を上げ、ティアーラがまっすぐに言葉を告げる。
「エミリーちゃんと一緒にいてもリリアちゃんのことがよぎるなら、もうそれは」
「よせ、ティアーラ」
サイラスが手を挙げて制したが、その瞳は真剣だった。
「人生ってのは立ち止まってくれない。進むしかないんだ。
だがな……その進んだ先に彼女がいるなら、なおさら会うんだな」
酒を置き、サイラスは低く続けた。
「あの時、ああしてればよかった、こうしてればよかったと必ず後悔する。
お前ら二人はお互いを理解しないまま別れちまった。
本当に分かり合った上での別れなら、もっと違ったはずだ」
ティアーラもまた、柔らかく言葉を紡いだ。
「キーレスト君、前に言ったこと覚えてる?今がまさにその“時”なんだと思うの」
微笑みやさしさで包まれる。
「会いに行くのは決して過去に戻ることじゃない。
進んだ先に、リリアちゃんがいたんだよ。
だからこれは後ろを向くことじゃなくて、前に進むことなの」
キールは二人の言葉を胸の中で反復し、深く考え込んでいた。
(世間話だけでもあんなに盛り上がったけど、僕はリリアさんのことを何も知らない。彼女の過去、性格、好きなタイプ、どんな景色が好きなのか……数え上げればきりがない)
「リリアさんに、会いたい」
サイラスとティアーラは顔を見合わせ、同時に笑みを浮かべた。
「でもお前、祭りはエミリーと行く約束してるんだろ?」
サイラスがにやにやと酒を煽る。
「はい」
「二股が」
軽口を叩いた瞬間、ティアーラのコップがサイラスの頭に落ちた。
サイラスはむくれ、キールは真剣な眼差しで続ける。
「エミリーには、ちゃんと話します。彼女も僕にとって大切な人ですから」
「エミリーはいいとしても……お前、なかなかリリアにひどいことしてるよな」
また余計なことを口走る酔っ払い。
「ちょっと! あなた、余計なこと言わない!」
今度はティアーラの平手がサイラスの頬を打つ。
キールは拳を握りしめ、しっかりと言葉を選んだ。
「分かっています。簡単に話を聞いてもらえるとは思っていません。
それでも、会って話がしたい。僕のわがままです」
「その年なら、それくらいのわがままでよろしい」
サイラスはあぐらをかき、ふてぶてしく笑った。
「こんな見ず知らずの僕を泊めてくれるだけでなく、助言まで本当にありがとうございます」
キールは二人を見て、深く頭を下げた。
「いいのよ、顔を上げて」
ティアーラは慌てて手を振る。
「私たちも、なんだか息子ができたみたいでこの数日、とても嬉しかったから」
「まぁ、いいってことよ!」
サイラスは胸を張って言う。
「悩める若者を救うのが、俺の仕事だからな!」
ティアーラは呆れたように肩をすくめる。
「あなたがずかずかキーレスト君に踏み込むから、こうなったのよ」
そのやり取りを眺めながら、キールの口元には自然な笑みが浮かんでいた。
「お二人って、どうやって出会ったんですか?」
キールが何気なく尋ねると、ティアーラの瞳がぱっと輝いた。
「聞きたい? あれはね! そう――私たちが軍隊にいた頃で……」
「あーーーーっ!!」
サイラスが突如、頭を抱えて絶叫する。
キールとティアーラは思わず椅子から浮き上がるほど驚いた。
「ど、どうしたの!? あなた!」
サイラスは深呼吸ひとつして、急に焦るように話し始めた。
「俺はな、女性からめちゃくちゃモテてたんだ。だが! それを全部蹴ってまで、相棒だったティアーラといい感じになった。そして付き合う前に、俺は勇気を出して“実は男なんだ”って打ち明けたんだよ! さて――その時ティアーラがなんて言ったと思う?」
キールは苦笑いを浮かべるしかなかったが、サイラスは答えを待つ気など毛頭なく、机に乗り出して絶叫する。
「『あなたが好きだから性別なんて関係ない! あなたはあなただから』
こんな天使のささやきを言える女性がこの世にいるか!?いや、ティアーラだけだね!」
ドン! と机を叩き、完全に一人で盛り上がっている。
ティアーラは顔を真っ赤にして、両手で覆い隠した。
「も、もうやめてってば……」
サイラスは肩で息をしながら、どや顔で言う。
「以上! 俺たちの馴れ初めでした!」
ドスンと座り込み、グラスをあおるとキールに苦笑交じりで言った。
「キーレスト、ティアーラに喋らせたら丸二日コースだ。俺が恥ずかしさで死ぬ」
赤らんだ頬のまま、ぼそぼそと呟くするティアーラの肩を、隣のサイラスの肩をぐいと抱き寄せ、にかっと笑う。
「ま、とにかく。俺の嫁さんは世界で一番最高ってことだ!」
その様子にキールは心の底から微笑ましく思った。
ティアーラは顔を赤くしたまま「ちょっと頭を冷やしてくる」と言い残し、外へ出ていった。
サイラスはさっきまでの陽気さを引っ込め、静かにジョッキを置く。
「どうだった、この国は?」
不意の問いに、キールは少し驚きながらも答える。
「とても、居心地のいい国でした」
サイラスの目が細め、見透かすような鋭さだった。
「俺が渡した紙、読んだろ。街でいろいろ聞き回ってたようじゃねぇか」
キールの背筋がわずかに強張る。
「……!」
「なにか調べていたのか?」
冗談の影は一切ない。
サイラスには何もかも見透かされている――そう思ったキールは、正直に口を開いた。
「この辺りで、違法な実験をしている研究所があるという噂を聞きまして。その手掛かりを探していたんです」
サイラスは椅子から身を乗り出し、慌てたように問う。
「で!? 何か掴んだのか!」
キールはその勢いに驚きつつも、冷静に首を振る。
「いえ、まだ何も」
サイラスは大きく息を吐き、椅子に深く腰を下ろす。そして真剣な眼差しのまま、低く告げた。
「……今から言うことは、誰にも口外するな」
張り詰めた空気に、キールは思わず息を呑む。
「20年前、この国が今の政権に変わって、4年前に俺は高官の一人になった。
だが上の連中の本当のやり方は、独裁国家と変わらねぇ。
異論を唱えた者は軒並み消されている。
表向きは民の暮らしを良くしたように見えるが、裏じゃ軍拡を進めているって話だ」
サイラスの声音は重くなる。
「元首の側近である俺にすら何も言わない。いったい何を企んでいるんだか。
この国には間違いなく“裏”がある。それもとてつもなく大きな何かが」
彼は目を閉じ、苦い息を吐いた。
「まぁ、俺一人で調べてるから進展はほとんどなくてな。妻や仲間は巻き込めない」
そして、視線をキールに向ける。
「キーレスト。お前がこの国の人間じゃないのは分かってる。事情があるのもな。
だがもし、何か分かったことがあったら……俺に教えてくれ」
これまで受けた恩を思い、はっきりと頷いた。
「もちろんです。サイラスさんのお力になれるなら」
サイラスはわずかに微笑んだ。
「ありがとう。少しは心が軽くなったよ」
その笑みに、先ほどまでの陽気な彼の面影が戻っていた。
祭りの夜
南国の高台には、色鮮やかな松明が並び、海からの湿った風がヤシの葉を揺らしていた。
遠くからは陽気なドラムと弦楽器の音色が響き、人々の歌声と笑い声が波音に混ざり合って聞こえる。
甘い果実酒や焼き魚の香りが漂い、夜空全体が熱気に包まれていた。
キールはエミリーに呼ばれ、人気の少ない高台へと足を運ぶ。
「エミリー……僕、話があるんだ」
「なに?」
「僕ね、会わなきゃいけない人がいるんだ。だから、少しの間留守にするね」
エミリーは口を開き、キールに駆け寄って手を握る。
「そんなことしなくていいよ」
「え?」
「それって過去の人でしょ。今は私を見て」
エミリーはキールの手を取り真剣に言う。
「あなたは背負いすぎてる。だから、私たちと一緒にここじゃないどこかに行こ!そうすれば、明日は来るから」
キールは無言のまま立ち尽くし、サイラス夫妻の言葉を思い出す。
「いや、なの?」
「そうじゃなくて。これは過去を振り返ることじゃなくて、前に進んだ先にいる彼女に会いたいと思ったんだ」
二つの影がこちらに来ることを確認したエミリー。
エミリーは寂しそうな顔をした後に、何かを決心した。
「もう、こうするしかないんだね」
エミリーは迷いなく一歩踏み出し、一歩引くキールの唇に自分の唇を重ねる。
「――っ!」
不意のキスに、キールは驚いてたじろぎ、声を失った。
そのとき。
「……キール?なんで、ここに……」
背後から聞こえた声に目を動かす。
そこにいたのは、花飾りを髪に差し、鮮やかな民族衣装に身を包んだリリアと、その隣に立つ累だった。
祭りの歌が、ふっと遠のく。
リリアの瞳は大きく見開かれ、表情は凍りついていた。




