第22話『サイラスとティアーラ』
フルア国・トニティ基地
「君ってやつは、罪な男だなー!」
上機嫌な声が響き、キールは肩をがっしり組まれされていた。
豪快に笑っていたのは、つい先ほどまで銃口を向けてきた張本人サイラス・アーヴァン。
「過去の親友を取るか、未来のお嫁さんを取るか……そんな決断できるかってんだ!キーレスト、しょうがない!そういうときもある!」
酔った勢いで熱弁をふるい、最後にゲップをかけてくる。
キールは乾いた笑いで返すしかない。
「ちょっと、あなた!」
お盆でパシンとサイラスの頭をはたく女性が割って入る。
「いい加減にしなさい。キーレスト君が困ってるでしょ?」
「え?そうなのか?」
サイラスは目を丸くして、キールの顔を覗き込む。
キールは観念したように苦笑いで返す。
「まぁ……はい」
「きみ、はっきり言うな!」
むくれるサイラスに、キールは一歩下がって言う。
「サイラスさん、お酒臭いので離れてください」
ようやく腕をほどかれ、どこか拗ねたように口を尖らせる。
その仕草は、特殊部隊隊長という肩書きからはあまりにかけ離れていた。
サイラス・アーヴァン。
フルア国特殊部隊隊長にして、現政府元首直属の高官でもある。
そして今、彼の明るさは、暗い影を抱え込むキールの胸を強制的に照らしていた。
二時間前
「きみ、ここの人間じゃないな」
銃口がまっすぐキールに向けられる。
問いかける声は軽いが、目は鋭かった。
キールは無言のまま、じっとサイラスを見返す。
サイラスはしばし観察し、結論を出した。
「誰かを亡くしたのか?」
その一言で、キールの表情が揺れた。
するとサイラスは銃をゆっくり降ろし、歩み寄る。
「俺はサイラス・アーヴァン。きみは?」
ためらいなく右手を差し出した。
「キーレスト・ウォルターズです」
短い沈黙の後、キールもその手を取り、固い握手が交わされる。
掌の熱が、確かな握力で返ってくる。
「そっか。キーレスト、うちに来い」
「え……??」
サイラスは軽く肩を叩き、妙に優しい声色を混ぜた。
「誰かを亡くしたときは、弔いと一緒に思いの丈を吐き出すんだ。ひとりで抱えなくていい」
有無を言わせぬ勢いで腕を掴まれ、キールはそのまま連れて行かれた。
現在
「ったくよー、あいつらまだかよ?」
サイラスがテーブルに頭をコツンとぶつける。
「みんな仕事です」
きっぱりとした口調で返したのは、彼の妻、ティアーラ・アーヴァン。
とても愛嬌のある顔立ち。
柔らかなカールの茶髪に澄んだ青い瞳。
ふと、キールは二人を見比べる。
「あら、やっぱり気になるかしら?」
ティアーラはからかうように笑みを向ける。
その視線に気づいたサイラスは、寝ぼけたような顔をしてから、察したように言った。
「あー、俺、男。体は女だけどな」
「なるほど」
キールは素直に頷く。
「ちょ、おい。もう少しツッコめよ」
サイラスは椅子を蹴って立ち上がり、再び距離を詰めてくる。
「まぁ、いいじゃない。あなた」
ティアーラが笑いながら制し、その場の空気を和ませた。
その時――玄関のドアが勢いよく開き、冷たい夜気とともに三人の軍人が入ってくる。
「やっと来たか!お前ら!」
サイラスは立ち上がり、両手を高々と掲げて声を張り上げる。
「今日はキーレストの弔いだ!おまえら、席につけ!」
「僕、まだ死んでないです」
サイラスの突拍子もないテンションに、キールは引きつった笑みを浮かべる。
「よーし!まずはこいつらの紹介からだな!」
サイラスが勢いよくテーブルを叩き、にやりと笑う。
「こいつはフレッド。俺の親友で、ちょび髭ナルシスト」
「言い方に悪意があるな」
紹介されたフレッドは眉をひそめる。
「次はライアン。金髪で目つきが悪いんだ」
「目で分かる情報を言うな。非効率だ」
淡々と返すライアン。
「んで、メイ。モヒカン美人の色恋好きだ」
「よろしくねー!キーレスト君!」
メイは豪快に笑い、肩を叩いてきた。
次々と繰り出される紹介に、キールは戸惑いつつも、曖昧に頷くしかなかった。
サイラスの世界は、騒がしくて、どこか温かい。けれど、自分にはあまりに眩しすぎる。
やがて酒が回るにつれ、話題はキールのことへと雪崩れ込んでいく。
「リリアちゃん、かわいそう!」
メイがグラスを掲げ、酔った勢いで笑いながら断罪する。
「合理的な判断とは言えないが難しい選択だな」
ライアンは腕を組み、妙に真剣にうなずいている。
「そういうときは、その子にキスすりゃいいだろ」
フレッドは頬杖をつきながら、軽く言い放った。
「俺はお前の味方だからな!キーレスト!」
サイラスはキールに頬ずりし泣いていた。
四方を酒臭い大人たちに囲まれて、逃げ場なんてなかった。
反論したらさらに面倒になると悟ったキールは、結局すべてを吐き出してしまっていた。
「はい!そこまで!」
鋭い声が場を裂いた。ティアーラが仁王立ちになり、両手を腰に当てている。
「キーレスト君が困ってるでしょ。いい加減にしなさい、みんな。明日に響くわよ!」
「それもそうだな、帰るか」
ライアンが渋々立ち上がる。
「いや!まだだ!これからが――」
サイラスが言いかけた瞬間。
ゴンッ!
ティアーラが手にしたワイン瓶で、思い切り夫の頭を小突いた。
場の全員が目を丸くし、サイラスは情けない声を上げて椅子に沈む。
そのまま宴はお開きとなった。
宴の残り香が漂うリビング。ソファではサイラスは寝息を立てている。
キールは散らかったグラスを片づけ、流しに運ぶ。
「ありがとうね。お客さんなのに」
ティアーラが微笑みながら受け取る。
「いえ。……おかげで気持ちが楽になりました」
キールも小さく笑った。
ティアーラは皿を洗いながら、ふと優しい声を落とす。
「あの人、距離感おかしいでしょ。でも、人のこと放っておけないの。」
そこには夫を思う妻としての優しさがあった。
「あの人なりにキーレスト君を励まそうとしてたんだと思う」
キールは寝顔を見やり、頷く。
「はい。サイラスさん、不器用ですけど一緒にいると明るくなれます」
「ふふ。あの人のいいところに、すぐ気づけるなんて。キーレスト君、見る目あるわね」
からかうような声色に、キールは慌てて首を振る。
「い、いえ。そんなつもりじゃ」
ティアーラはくすっと笑ってから、真剣な眼差しを向けた。
「それなら、リリアちゃんのことも大丈夫」
「え……?」
「もしこの先、会えなくても、きっと彼女は強くなる。
だから、あなたは“悔やむ”じゃなくて前に足を進めなくちゃ。ケント君の二の舞にならないように」
言葉が胸に刺さり、ティアーラは手を止め、彼の両手をそっと包んだ。
「もしまた出会えたら、その時に考えればいい。
今は無理をしないで、ちゃんと人生を楽しむこと。まだ十七歳でしょう? いっぱい恋だって、しなきゃ」
満面の笑みとともに告げられた言葉に、キールの心の奥で何かが崩れ落ちた。
堪えきれず、静かに涙がこぼれる。
「ど、どうしたの?私、何かまずいこと言っちゃった?」
ティアーラが慌てて身を乗り出す。
キールは涙を拭い、かすかな笑みを浮かべた。
「いえ、ありがとうございます」
その声には、重く凍りついていた心が、ほんの少しだけ解けていく響きがあった。
翌日
「キーレスト、いつでもいていいからな」
サイラスは肩を叩き、笑うように言った。
「ありがとうございます。あの、この国のことを少し知りたいんですけど」
クローン研究所の手がかりを探るため、キールは問う。
サイラスはメモに一気に書き殴り、紙を渡した。
「それを読んだら、気分転換にでも街へ出てみな。……お前には休息が必要だ」
「はい。そうします」
「俺はこれから客人を迎えに行く。じゃあな」
残されたキールは紙を開き、ぎっしり詰め込まれた文字を目で追った。
フルア国の現状と歴史
1985年。ここでしか採掘できない特殊鉱物「オリチーム」が発見される。
その資源はエネルギー・軍事・医療、あらゆる分野に応用できる夢の物質の可能性を秘めていた。
しかし1990年、隣国ベルターが侵攻し、資源を奪おうとする。
絶望的な状況を救ったのは大国レアマシーだった。援軍によって侵攻は退けられ、両国は条約締結。
内容は――フルア国の資源の大半をレアマシーへ提供すること。
その代償として、レアマシーが軍事基地を設け、外敵から守るというものだった。
だが、基地建設と同時に大量のレアマシー人が流入。
そこからが地獄の始まりだった。
レアマシー兵による暴行、強姦、売春の強要、殺人事件。
加害者が誰であろうと、レアマシー人であればすべて無罪。
「逆らえば何をされるかわからない」――フルアの人々は沈黙を強いられ、不満を募らせていった。
15年の歳月を経て、2005年。ついに民衆の怒りが爆発し、革命が起こる。
2010年、現政府が樹立。レアマシー大統領は謝罪を表明し、軍基地も撤退した。
表向きには平穏が戻ったかに見えた。
しかし、条約は残った。
資源提供は今もほぼ無償。国家としての独立は形だけ。
さらに現政府は軍拡を進め、言論を統制し、情報を遮断している。
「前より暮らしにくくなった」と嘆く人々の声は、次第に闇にかき消されていった。
現在、2030年になっても改善はされていない。
「……」
紙を閉じ、キールは言葉を失った。
胸の奥に重苦しいものを抱えたまま、外の街へと歩み出した。




