第21話『っざけんな』
日本 アウローラ・オペレーション本部
ジェット機を降りた瞬間、湿った風が頬を撫でた。
リリアの瞳は虚ろで、どこにも焦点を結ばない。
次の瞬間、駆け寄ってきたイオラがリリアを強く抱きしめた。
「無事でよかった」
リリアはかすれた声で言う。
「イオラさん。私、命令に背いて……キールも、助けられませんでした」
イオラは抱きしめた腕をそっと緩め、リリアの顔を覗き込む。
「キールには、私なんて必要ないみたいで……何ひとつしてあげられなかった」
泣き出しそうに唇を震わせるリリアを前に、イオラは静かに言葉を紡ぐ。
「そんなことないわ。あなたが生きて帰ってきてくれただけで、私は嬉しいのよ」
「……ありがとうございます。疲れたんで、休みますね」
小さく頭を下げて去っていく背中を、イオラはただ見送るしかなかった。
ワイスは、警戒を解ききれない様子で辺りを見回していた。
けれど、もう人間を完全には拒絶していない。
低く唸りながらも、尻尾を一度だけ振る。
「ずいぶんとまぁ、可愛らしいお客さんね」
イオラが膝をついて微笑むと、ワイスは照れるように顔を背けた。
「イオラさん、私はニニィちゃんを直してきますね~」
ヘイスはそう言うと、軽く手を振ってその場を離れようとする。
「えぇ。でも通信で聞いたキールの件、本当なのね?」
イオラの声は穏やかでいながら、刃のように鋭かった。
「そうですね~。このままだと機関の信頼にも関わります」
ヘイスは真面目な表情に戻り答える。
「キール…」
イオラはその名を噛みしめるように呟き、拳を握った。
「リーちゃん。相当参っているみたいで心配です」
「リリアはここに来て2年、キールは5年。2人ともなかなか心を開かなかったの」
そこで言葉を切り、イオラは少し顔を上げた。
「でもあの子たち、2週間足らずであんなに仲良くなって心を許してるみたいで、本当に楽しそうだった」
イオラの瞳に、母のような温かさと痛みが混ざる。
「リリアにとっては短くても大きな存在だったはず。こんなことになるなんて」
「私もリーちゃんと一緒にいますけど、あんなに気兼ねなく話しているのは初めて見ました」
二人の間に、重い沈黙が降りた。
やがて、イオラは息を整え、ゆっくりと顔を上げる。
「私がキールを見つけてくるわ。その友達にも話があるし」
「彼なら、もう見つけてある」
低い声が場の空気を断ち切った。
振り返ると、そこに立っていたのは黒髪と白髪が交じる髪で、仕立ての良い高いスーツを着た男。
世界三大企業のひとつ――エイダグループの代表、エイダ・コーリーであった。
「エイダさん、どうしてここに...」
「リリアが心配でな。大丈夫か?」
その声は厳格でありながら、どこか父のように優しい。
「今、少しまいってるみたいで...」
イオラは苦しげに答える。
「なら余計、キーレスト・ウォルターズを見つけないとな」
エイダは拳を握りしめるようにして、真剣な表情を浮かべた。
「リリアが不安定だと、私も不安なんだ」
「エイダさんは、本当にリリアのこと娘のように思っているんですね」
「これはリリアの問題でもある。あの子にも出向いてもらわねばならん」
エイダは静かに言い切ると、鋭い視線を遠くに向けた。
「私から話しておこう」
その頃、リリアはベッドに横たわり、虚ろな目で壁を見つめていた。
頭の中ではあの二週間、キールと過ごした時間が繰り返し流れていた。
――バルド(影男)との戦闘後、病室にて。――
彼の何気ない言葉が、リリアの心に小さな不安を残していた。
――「僕には、望む権利なんてないですから」
その棘が胸に刺さったまま、つい口を開いてしまう。
「キールって、初恋の人とかいるの?」
一瞬の沈黙。
「え……」
キールは困惑したように視線を逸らした。
(やっば……また聞かれたくないこと、聞いちゃったかな……)
しかし、やがてキールはゆっくりと答える。
「初恋なのかはわかりませんけど……とても大切な人たちがいました」
その声は穏やかで、けれど胸の奥から掘り出すような重さがあった。
リリアは思わず彼の顔をまじまじと見つめる。
「だれだれ?」
「友達です。三人いました」
短い答えに、それ以上は踏み込めなかった。
(きっと、その人たちはもう)
胸がきゅっと痛む。
「ごめんなさい。湿っぽい話して」
俯いたキールの声は、どこか申し訳なさそうだった。
リリアは慌てて首を振る。
「ううん!なんかキールからそういう話聞けて、嬉しい!」
キールは不思議そうに彼女を見つめた。
リリアは照れ隠しのように肩をすくめる。
「キールって、あんまり自分のこと話したがらないでしょ。
だから……心、開いてくれてるのかなーって」
その言葉に、キールはふっと微笑む。
「不思議と、リリアさんと話していると昔の自分みたいになれる気がするんです」
「今は違うの?」
「自分でもわかりません。でも、そうですね。リリアさんになら話してもいいかなって思うときがあるんです」
その一言に、リリアの胸が跳ね上がった。
呼吸が苦しいほどの高鳴りを抑えきれず、思わず立ち上がる。
「ちょっと、水もらってくる!」
早口でそう言って部屋を飛び出した。
廊下に出ると、頬は真っ赤に染まり、唇を噛んでも笑みが止められなかった。
にやけを隠そうと必死に顔を両手で押さえる。
(嬉しい……キールが、私に……)
彼女の鼓動は、まだ収まりそうになかった。
現実
(キールは“大切な友達”を選んだ。私を選んでほしかったと思うのは、傲慢だよね。私でも、そうすると思う。でも、でも……)
リリアは枕に顔を押しつけ、握った拳でシーツをきつくつかむ。
「……っざけんな」
その瞬間、静かに扉が開く音。
入ってきたのはエイダだった。
「リリア、少しいいか」
リリアは慌てて身を起こし、ベッドの端に座り込む。
「大丈夫ではなさそうだな」
低い声は、見透かすようでいてどこか優しい。
リリアは膝に視線を落とし、か細く呟いた。
「エイダさん。私、これからどうしたらいいの?」
エイダはゆっくりと歩み寄り、彼女の隣に腰を下ろす。
「君は繊細だ。だからこそ、キーレスト・ウォルターズを探してきなさい」
リリアは顔を上げ、驚きに目を丸くした。
「よくわからない。もう、会いたくないんです」
「傷つきたくない気持ちは、わかる」
エイダの声は静かに沈む。
「だが、彼といることで君は強くなる。それは――リリア、君にとって何より大切なことだ」
リリアは小さく首を振る。
「エイダさん。私、強くなくたっていいです。もう、どうでもいいんですよ」
エイダの瞳が一段と鋭さを増す。
「強くなければ、この世界は渡り歩けない。君は“特別”なのだから」
その言葉に、リリアは大きく目を見開いた。
エイダは立ち上がり、最後に一瞥を投げる。
「まずは、イオラさんと気分転換に出かけなさい。そこで何かを見つけるといい」
それだけを言い残し、無言で扉を閉じた。
残されたリリアは、天井を仰ぎながら呟く。
「特別って、何?」
エイダは静かにイオラの執務室を訪れた。
「リリアには、捜索の件は伏せた。あなたと同行するよう伝えてある」
イオラは驚き、口を開く。
「そんな……リリアが知ったら」
エイダはそれにかぶせるように、低く力強く言った。
「今の彼女は何を言っても聞かない。だからこそ、行かせる」
イオラは言葉を失い、不安げに目を伏せる。
胸の奥では、リリアを傷つけたくない思いと、彼女を守るためには前に進むしかない現実とがぶつかり合っていた。
エイダは視線を鋭くさせ、続ける。
「昨日フルア国近辺で、謎の戦闘があったと報告されている」
その言葉にイオラは顔を上げる。
「制服姿の少女と、水色の髪の少年。黒髪の男も確認されている」
「間違いないですね」
「ただ、問題なのがフルア国は入国規制が厳しいことで有名だ」
イオラは、ふっと口元に笑みを浮かべる。
「昔の知り合いに、フルア国の高官がいます。彼に頼んでみます」
「そうか。それならよかった」
翌日
深く帽子をかぶったリリアは、ジェット機のタラップをゆっくりと上がる。
黒いスタジャンに、英語のロゴが入った白いTシャツ。破れの入ったショートパンツに黒タイツ――気取った装いのようでいて、どこか「隠れるための鎧」にも見えた。
そんな彼女の姿を横目に、イオラが柔らかく声をかける。
「帽子なんて珍しいわね」
リリアは顔を深く隠したまま、小さく答えた。
「前髪、風で上がるので。
今から、どこに行くんですか?」
イオラはあえて明るい笑みを浮かべ、軽やかに言う。
「南国のリゾートよ!」
窓の外に広がる青空。
リリアは一瞬だけそちらに目をやったが、すぐにまた帽子のつばを深く下げ、表情を隠した。
何を思っているのか、誰にも見せまいとするように。




