第19話『終わらぬ命』
「ちょっとなにこれ!?いい加減、放してよ」
少女はじたばた動くが、黒い手は余計に絡める。
少女は男の顔を見て、はっと目を見開いた。
「あっ!あんた、モロス様のこと嗅ぎまわってるバルドとかいうやつでしょ!?」
男は舌打ちをした。
「ばれていたか」
バルドはそのまま影に少女を呑み込もうとした。
だが次の瞬間、少女の周囲で見えない何かが炸裂したように黒い手が弾け飛んだ。
音もなく、ただ衝撃だけが広がり、影の腕は力を失って霧散した。
少女は微動だにせず、その場に立っている。
「どうなってんだ」
バルドは困惑した顔になる。
少女の目は静かな怒りに燃え、どこまでも冷たい絶望を帯びていた。
「私のサービスタイムは終了。あなたたち三人とも全員、モロス様の邪魔!」
少女は制服の襟をつかむと、ためらいなく引き裂いた。
布が裂ける乾いた音が響き、ブレザーとシャツが肩から滑り落ちる。
次に彼女は指先でスカートのホックを外し、床に叩きつけるように脱ぎ捨てた。
闇に晒されたその下から現れたのは、全身を覆う漆黒の装束。
胸元は深く切り込まれ、わずかな布が線を強調していた。腰から太ももにかけては肌を際立たせ、妖しい色気と冷徹さが同居している。
その姿は装いであり、同時に凶器だった。
彼女は見下すような目つきで言う。
「全員、窒息して、死ね」
すると、バルドとキールの肺が一気に締め付けられるように苦しくなった。
空気が奪われ、喉の奥が焼けつき、視界がかすむ。
「……っ、ぐ……!」
キールは必死に呼吸をしようとしても、肺には空気が入らない。
ただ無言で立っているだけそれなのに、確かに彼女の力に押し潰されていた。
だが次の瞬間、身体を縛っていた見えない拘束がほどける。
自由を得た瞬間、キールは反射的に両手を掲げ、水を叩きつけるように放つ。
青い奔流が少女を飲み込むはずだった。
しかし、水は触れた瞬間に弾かれた。彼女の周囲を取り巻く、目には見えない円形の膜が防いでいた。波紋のように広がる衝撃に、キールの目が見開かれる。
(防御、か?)
その瞬間、息ができるようになっていた。
(呼吸を奪っていた時は拘束が消えた。そして今、防御に切り替えた瞬間に息ができるようになった……?)
キールはバルドに向かって叫んだ。
「あの人、一度にひとつの能力しか使えない!」
バルドは少女をにらみつけ、低く叫んだ。
「なら、一気に畳みかけるぞ!
長引けば友達がもたない。合図をしたら、友達と一緒に影に飛び込め!」
「わかった!」
次の瞬間、地面から黒い手が無数に伸び、少女へ襲いかかった。
影が荒れ狂い、獣の群れのようにその身体を絡め取ろうとする。
「分かったところで、対処をできると思ったわけ?」
少女が指先を軽く振るうと、見えない壁に叩きつけられたように黒い手が弾かれていく。だが数は減らない。押し寄せる無数の影の手に、少女の顔がわずかに歪む。
その一瞬の隙を突き、バルドが背後から現れ、拘束しようとした瞬間。
「ぐっ!?」
バルドの身体が見えない鎖に縛られるように空中で硬直する。四肢がねじり潰される感覚に、苦悶の声が漏れた。
「なんだ……これは!」
キールはケントの元へ駆けつける。
「ケント!」
「うるさいな...聞こえてるって」
ケントは血を吐きながらも、かすかに笑った。かろうじて意識はある。
キールは必死に彼を抱きかかえ、バルドに視線を向ける。
少女は笑いながら近づいてきた。
「あんた、モロス様の計画を知ってるんでしょ? 殺せば褒められる。ねぇ、いつか、あたしを抱いてくれるかもしれない」
頬を赤らめ、腰をくねらせる。狂気と欲望が混じった笑み。
だが、次の瞬間には表情が氷のように冷え切った。
「だから、死ね!」
指先を銃の形に変え、狙いを定める。
放たれるはずの一撃だった。
「がっ!!」
少女の背中に衝撃が走った。振り返ると、そこには手を銃の形にさせていたキールがいた。
息を切らしながらも、鋭い目で少女に水弾を撃ち抜いていた。
一瞬の隙を突き、バルドは言う。
「今だ!影に入れ!」
キールはケントを抱きしめるように抱え込み、黒い影の渦へと飛び込んだ。
その後をバルドが続けて飛び込む。
「まてぇぇぇぇぇっ!!!」
少女の絶叫が夜を裂いた。目は血走り、充血した瞳孔が狂気に膨らんでいた。
影が閉じる瞬間、その声がいつまでも耳にこびりついていた。
キールとケントは影の中から抜け出し、荒れ果てた施設の前に立った。
壁は崩れ、鉄骨が剥き出しになり、建物の名残は痛々しくもある。
「ここって、まさか」
キールの声は震えていた。
バルドが静かに答える。
「やはりお前も、ここの生き残りか」
キールは目を見開くが、言葉を続ける前に、袖口を強く引かれた。
振り返ると、ケントが力ない手で服を握りしめている。
「ケント……」
苦しげな壱岐の合間に、ケントはかすかに笑みを浮かべた。
その笑顔は、痛みにも絶望にも染まらず、ただ穏やかにキールを見つめている。
6年前(2024年)
キールとケントはベッドに横になり、並んで天井を見上げていた。
「なぁ、キーレスト」
ケントが不意に口を開く。
「なに?」
キールは視線を動かさずに答える。
「もしさエミリー、ジェフ、俺。誰かひとりしか助けられなかったら、誰を助ける?」
唐突な問いに、キールは眉をひそめた。
「なにその質問」
「いいから、答えろって」
ケントは半ば強引に迫る。
キールは一瞬の迷いも見せずに答えた。
「みんな」
「話聞いてたか?一人しか助けられないって言ってんだろ」
それでも、キールは同じ答えを繰り返す。
「だから、みんな」
ケントは大きくため息をつき、苦笑した。
「はぁ……質問した俺が馬鹿だったな」
少し間を置いて、声を落とす。
「じゃあさ俺が死にそうになったら、どうする?」
「メンヘラなの?」
即答するキールに、ケントは思わず身を起こした。
「ちっげーよ!ただ、お前が俺のことどう思ってるか、気になってよ」
照れ隠ししながら言う。
キールは淡々と呟いた。
「だったら、最初からそう聞けばいいじゃん」
「お前みたいに直球じゃねーんだよ!」
ケントは頭を掻き、再び寝転ぶ。
しばしの沈黙。
やがて、キールは横目でケントを見つめ、静かに言った。
「……死なないよ」
「は?なんで?」
キールは真っ直ぐな瞳を向けた。
「だって僕たち、一緒だから」
言葉の意味を測りかねて、ケントは口を尖らせる。
「んだよそれ。意味わかんねーよ」
そして、二人は顔を背け合いながら、同時に吹き出して笑った。
現在
ケントは体を震わせながらも、真っ直ぐにキールを見つめた。
「キーレストこうやってお前に会えたのは奇跡だよ」
かすれた声でそう告げ、唇に薄く笑みを浮かべる。
「お前との思い出は、俺の一生の宝物だ」
キールの目頭に熱がこみ上げ、視界が滲み始める。
その涙を見て、ケントは苦痛に顔を歪めながらも、口角を上げた。
「……泣くなよ。せっかくのいい顔が……台無しだろ」
「だって……僕のせいで……あっ……!」
声が震え、嗚咽が混じる。
ケントは短く息を切らしながらも、それでも笑顔を見せた。
「ほんの少しの時間だけど……お前とこうして話せて……楽しかった。
俺の運命は……変わらなかったけど……最後に、縛られずに自由でいられた」
その目尻から、ぽたりと涙が零れ落ちる。
「みんなでやったバドミントン楽しかったな……」
ケントは遠い記憶を辿るように、弱々しく笑った。
「おまえだけ全然、上達しなかったけど」
キールは歯を食いしばり、次の瞬間、涙声のまま笑顔を作った。
「あれは……ラケットが悪いんだよ」
「エミリーのこと、からかうのも……面白かった」
「ほんっと……あれはしつこかったよ」
キールは目を閉じ、懐かしむように返す。
ケントの瞼は重くなり、意識が遠のいていく。
それでも、最後の力を振り絞り、親友を見据えて言葉を紡ぐ。
「あぁ……このまま、話していたいな……。
キーレスト……お前と出会えてよかった。
親友になってくれて……ありがとう」
その言葉に、キールの心は張り裂けるように揺れた。
声にならない嗚咽の中で、必死に笑顔を作り返す。
「僕も、ケントと出会えてよかった。
君は意地悪だけど……誰よりも友達思いの、親友だよ。」
ケントの瞳は潤みながらも、ふっと柔らかく緩んだ。
「キーレスト……俺は死ぬわけじゃないからな」
「え?」
「俺たちは、一緒だ。だから......俺、死なないよ」
その言葉を聞いた瞬間、キールの脳裏に蘇るのは、幼き日の会話だった。
――「だって、僕たち一緒だから」
その約束が、今もなお息づいている。
「うん……死なない。僕たち、一緒だから」
キールは涙を浮かべながらも、笑って返した。
ケントの表情は、微笑みを残したまま、静かに安らぎへと変わった。
キールはこらえていたものがあふれる。
大粒の涙は洪水のように止まらなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
(ありがとう、キーレスト。
俺は安心して、エミリーとジェフのところへ行ける。
でも、早くこっちに来すぎたら許さないからな)
野原が広がる眩しい光の中で、二つの影が手を振っている。
「エミリー!ジェフ!」
ケントは子供の頃のように駆け出し、二人のもとへ走っていった。
その笑顔は、今までで一番、無邪気で自由だった。




