第18話『シングル』
夜空を切り裂くように水が流線を描き、キールはケントを背に負ったまま飛んでいた。
肩越しに伝わる重さと体温が、胸の奥を締めつける。
「キーレスト」
ケントがぽつりと呟く。
「ごめん。俺のために」
キールは振り返らず、淡々と答える。
「いいよ。僕が決めたことだから」
声は静かだったが、その響きには影が落ちていた。
ケントはその暗さに気づきながらも、申し訳なさを押し隠すように、少し明るい調子で話を振る。
「でさ、これからどうするんだ?」
キールは短く息をつき、冷静に言葉を選んだ。
「とりあえず、近くの街で治療しよう。
お互いもうボロボロだからね」
「そうだな」
ケントは頷き、二人は静かに飛び進めた。
リリアとワイスは重い足取りでジェット機に戻り、静かに機体へ乗り込んだ。
「リーちゃん...どうしたの?キールくんは?」
ヘイスの声には、いつもの軽さはなかった。心配が色濃く滲んでいる。
リリアの顔は涙で赤く腫れ、頬の肌が荒れていた。
ワイスもずっと視線を落とし、耳を垂らしたまま動かない。
リリアは虚ろな瞳で、無理に笑みを作った。
「さっき戦ってた人......キールの友達なんだって。だから、キールは...」
言葉が喉で詰まり、声が途切れる。
次の瞬間、涙が頬を伝い、ぽたりと床に落ちた。
ヘイスは何も言わず、察したようにリリアを強く抱きしめる。
「キールっ、もうこっちには戻らないって......」
リリアの嗚咽混じりの言葉が、震えながらこぼれる。
「そう...」
ヘイスは優しく、しかし胸を締めつけられるような声で答えた。
リリアはヘイスの胸に顔を埋め、泣き崩れる。ワイスはその横で静かに鼻を鳴らし、尻尾を丸めていた。
「帰ろう、リーちゃん」
薄暗い宿。窓の外では、まだ小雨がとぎれとぎれに降っている。
キールとケントは簡易ベッドに腰を下ろし、包帯の白がじわりと血を滲ませていた。
町の人々が置いていった薬やスープの湯気が、静かに部屋を満たしている。
「世の中、捨てたもんじゃないな」
ケントがわざと軽い調子で言う。けれど、その笑顔は長く続かない。
キールは目を伏せ、スープに視線を落としたまま口を開いた。
「……ケント。知ってること、全部話して」
「あぁ」
ケントはひと呼吸置いて、低く続けた。
「裏で糸を引いてるやつの名はモロス。目的は知らないが、人工的にUMHを作ろうとしてる。五年前までおれ達がいた研究所もおそらく、ヤツの研究所だ。守衛も戦闘員も、同じ装備だったよ」
「ケントの任務は?」
問いかけは静かだが、キールの声は硬い。
「最初の指示は単純だった。アウローラ所属の強いUMH隊員と、民間のUMHを殺すこと。お前もその対象だった」
キールの手が毛布をきゅっと握りしめる。
その仕草を見ても、ケントは視線を逸らさずに続けた。
「でも、あの子だけは違った」
「あの子って?」
「黄緑の髪の可愛い子だよ。あの子だけは殺すなって。
ゾーンが使えると分かった途端、連れて帰れと命令されたよ。」
「リリアさん...」
途端に、キールの顔に陰りが見える。
「心配か?」
ケントが探るように言う。
「うん。でも、もう会えないし、口もきいてもらえないよ...」
そう答えながらも、隠せない不安が瞳に浮かんでいた。
しばしの沈黙。やがてキールが口を開く。
「でも、不自然だね。UMHを作ろうとしているのに、どうしてUMHを殺すの?」
ケントがきっぱりと言った。
「選別をしている可能性が高いな。制御できる個体だけ残し、残りは排除。命令に従わない者、脅威になる者、計画の邪魔になる存在を消すのが狙いなのか」
「UMHの兵器化...」
キールが小さくつぶやく。
ケントは驚いたように目を見開き、すぐにうなずいた。
「そうか......それだと辻褄が合うな。命令で動く兵器。俺もその一部なのか」
「じゃあ、僕たちは……兵器化の研究段階に使われてた存在だったのかな」
言葉にした途端、二人の間に冷たい沈黙が落ちた。
お互いの背筋に、ぞくりと寒気が走る。
「だとしたら、研究所のあった場所に行けば、何か掴めるかも」
「……フルア国か」
キールが呟く。
「ここからそう遠くない。明日には出発しよう」
ケントはそう言って腰を上げ、窓を開ける。
窓の外、小雨はすっかり止み、湿った風が部屋に流れ込む。
振り返りざまに、にやりと笑った。
「なぁ、キーレスト。少し外に出ようぜ」
「うん。いいけど......なんで?」
首をかしげるキールに、ケントは黙って笑顔で返す。
「おりゃっ!」
掛け声とともに、糸で編んだシャトルが地面に叩きつけられる。
「これで十二対二。相変わらず下手くそだな」
ケントが勝ち誇ったように笑う。
「ラケットが悪いんだよ。お手製だから、使いにくい」
キールは悔しげに言い返す。
「おい、そんなの関係ないだろ!前にやったときも同じだったろ」
「えっ...そうなの?」
研究所で四人――キール、ケント、エミリー、ジェフが遊んでいたラケットも、すべてケントの手作りだった。
「人の作ったものにいちゃもんつけやがって、言い訳になってないぞ。
下手なだけだ、下手くそ」
ケントが茶化すように言うと、キールはむきになって睨む。
「僕が勝つまで、やめないからね」
「そんな日、来ねぇよ」
互いに笑い合いながら、夢中でシャトルを追った。
あの頃のように、もう二度と揃うことのない四人の時間を、ほんの少しだけ取り戻すように。
今だけは、運命に縛られず、ただの少年として。
けれど、それが永遠に続くことはない。
明日にはまた、それぞれの背負う運命に立ち向かわなければならないのだから。
翌日
二人は街を経由しながら能力で飛び続け、すでに十時間。
まもなく目的地――フルア国。
最後の休憩を終え、店を出た瞬間だった。
「バァァァン!」
甘ったるい声が響き、ケントの右胸に弾丸のような衝撃が突き刺さった。
「ケント!」
血を吐きながら崩れ落ちる友を支えようと、キールは駆け寄る。
しかし、見えないなにか体を絡め取られ、足が動かない。
「もー、動いちゃダメじゃーん。
せっかく“頭”狙ったのに、ちょっとずれちゃった♡」
耳を刺すような甘ったるい声。
「モロス様に逆らったゴミを駆除しにきましたー。駆除したら、また褒めてもらえるの♡」
振り向いた先にいたのは、女子高生の制服に身を包んだ長身の少女。
艶やかな黒髪は後ろでまとめられ、前髪の中央から顎にかかる一束の髪が白い顔を切り裂くように垂れていた。
切れ長の猫目は氷のように澄んでいるのに、口元だけが無邪気に笑っている。
短すぎるスカートと強調された胸元が、異様な圧力と倒錯した色気を放っていた。
「今日の髪型、結構気に入ってるんだけどさ~」
少女はわざと腰をくねらせ、笑顔で近づく。
「どぉ?少年。感想くらい言ってよ」
キールは動けないまま、血を流すケントを見つめる。
――パァン!
少女はキールをビンタする。
「へいっ、聞いてんの?」
キールの目に怒りが燃え上がった瞬間、濁流のような水が頭上から落ち、少女を地面に叩きつけた。
しかし、少女はもろともしない。
「うっげぇ!最悪!メイク、落ちちゃうじゃん」
拘束が解け、キールはケントを抱き上げて走り出す。
だが、次の瞬間、顔面に鈍い衝撃。
吹き飛ばされ、地面を転がった。
少女は立ち上がり、濡れた髪を振り払う。
表情は笑みを消し、声色が冷たく沈んだ。
「あんたを殺す気はなかったけど……やっぱムカついた。もう殺す」
キールは立ち上がろうとするが、再び見えない拘束に囚われた。
鼻から血が垂れる。
少女はゆっくりと歩み寄り、ゆっくりと腰を落ろした。
そして、キールの顔目掛けてお尻を擦り付ける。
「ほらぁ、人生最後なんだからじっくり味わいなさい。
私のお尻を顔で堪能できるなんて、滅多にないんだから」
柔らかい圧迫に、呼吸が奪われる。
「動かないでよぉ? ……敏感なんだから、私」
その時だった。
少女の足元から影が広がり、無数の黒い手が伸びて彼女を絡め取った。
「ちょっ、なにこれ!?触手!?私そんな趣味ないんだけど!」
少女が甲高く叫ぶ。
「この女、頭イカれてんのか?」
低い声が影の奥から響く。
その姿に、キールは息を呑んだ。
「お前、どうしてここに」
現れたのは、 褐色の肌に、金と黒が入り混じった髪を編み込んだ長身の男。
三つ編みを巻き込み、一束にまとめている。
右目には深い傷跡が走り、閉ざされたままの片目。
芸術作品のように整った輪郭に、獣のような迫力が同居していた。
彼は、かつてリリアを襲った張本人。
あの時の名は英。
だが、今はまるで別人のように研ぎ澄まされている。
「んなことは後でいい」
影を操りながら、男は鋭く言う。
「友達が死にかけてんだ。今はここを抜けるぞ」
死と狂気の匂いが漂う中、再び運命の再会が燃え上がろうとしていた。




