第16話『業を背負って』
ワイスは鷹の姿で大気を裂き、全速力でケントを追った。
振り返ったケントの目が鋭く光る。
「頼む、これ以上追ってくるな!」
叫ぶと同時に、ケントの片手から糸が飛び出す。
無数の線が絡まり合って巨大な網を形成し、ワイスたちを襲いかかった。
「ワイス、危ない!」
キールの声に、ワイスは即座に反応。翼を大きく打ち、急上昇する。
「このまま急降下だ!リリアさんを助ける!」
声と同時に、ワイスは翼を畳んで一気に急降下。
ケントは体を半身ずらし、空中で網を操作する。
糸の罠が軌道を読み、ワイスの体を絡め取った。
翼が締め付けられ、体勢を崩しながら落下していく。
だが次の瞬間、ワイスの体が鋭い爪を持つオオカミへ変化する。
四肢が糸を引き裂き、繊維がギリギリと音を立てる。
破片が舞い散り、落下寸前で再び鷹へ戻ると、大きな弧を描いて宙を舞う。
「何がしたいんだ」
ケントが糸を操る手に力を込めた瞬間、糸が軽くなる。
目を見開き、下を見下ろす。
「……なに?」
そこには、リリアを抱えたキールの姿。背後から水柱の推進を吹き上げ、空に浮いていた。
「いつの間に!」
ワイスが急降下した時点で、キールはすでに背から離れていた。
高速の動きで気づかせず、大きく迂回し、ケントの死角からリリアを奪い返していた。
「返せ!!」
ケントの怒声。糸が槍のように束ねられ、空を切り裂いてキールに襲いかかる。
しかし、ワイスが翼を広げ、羽ばたきと共に暴風が起こり、糸の槍が横に逸れた。
「ダメだ、ケント!一体、誰の命令なんだ!」
キールは水流を弱め高度を下げ、地面に着地する。
腕の中のリリアはまだ意識を失っているが、かすかに胸が上下していた。
「くっそ!」
ケントは地面に舞い降りる。
追随するようにワイスも翼を畳み、オオカミの姿へと戻る。
低い唸り声が喉を震わせる。
「ワイス、リリアさんを頼む」
「ワン!」
短い返事とともに、ワイスは気を失ったリリアの服をそっと咥え、後方へと退く。
だが、すでに遅かった。ケントの糸が四方に檻のように張り巡らされていた。
白銀の線が地面や壁に突き刺さり、出口を塞ぐ。
「彼女だけは逃がさないぞ」
キールが一歩前に出る。拳を握り、声を張る。
「ケント!君になにがあったか分からない。だけど、僕は君を助けたいんだ!」
その言葉に、ケントの肩がわずかに揺れた。
驚いたように目を見開き、次の瞬間、強く歯を噛み締める。
吐き出す声はキールには届かないほど小さい。
「やめてくれ」
ケントの瞳に浮かぶのは怒りではなく、深い苦悩と哀しみ。
光を拒むように暗く揺らぐその視線に、キールはただ立ち尽くした。
5年前(2025年)
あの時、研究所は炎に包まれていた。壁は崩れ、硝煙と血の匂いが充満していた。
戦闘員たちは人を殺すことを楽しむかのように銃を乱射している。
キールも、エミリーも、ジェフも表情には出さなかったけれど、本当は皆、怯えていた。もちろん俺もだ。
怖かった。
でも、立ち止まれば死ぬ。そう思って、先陣を切った。
死角を抜け出した途端、戦闘員がいて、俺は銃弾を何発も浴びた。
血が噴き出し、視界が暗転する——ああ、ここで終わるんだ、と。
だが、そこで発動してしまった。
無意識に“ゾーン”を使い、糸で自分の身体を縫い留め、修復してしまったんだ。
気づいたときには、実験台の上に縛り付けられていた。
暴れれば研究員が押さえつけ、頭に電流が流れる。
脳を焼かれるようなあの衝撃だけは忘れられない。
目覚めた時には、もう以前の記憶はなかった。俺はただの器にされていた。
そこから先は、能力の使い方を叩き込まれる日々。
血を抜かれ、肉体を弄ばれ、人体実験の繰り返し。
痛みや恐怖が当たり前になり、疑問を抱くことすらできなかった。
2030年3月
突然、頭の奥に声が響いた。
『君はこれから任務に出てもらう。これは大いなる計画の一部だ』
拒否する余地はなかった。
『君は欠陥品でありながら救われた命だ。逆らえば容赦はしない』
その言葉と共に、心が掌握された。
『君は運命を弄ぶ怪物だ。肝に銘じて働け』
そう支配された瞬間から、俺は操り人形だった。
UMHを、民間人を、目撃者を命じられるままに殺した。
彼らの運命を自分が決める錯覚に、胸の奥で熱が走る。
運命を操ることに、次第に楽しさを覚えた。
けれど、本当に縛られていたのは誰だ?
運命を握っていた俺ではない。
俺を縛り、操っていたのは……“運命”の方だった。
自由なんてなかった。 お前と並んで笑っていた、あの頃の俺はもういない。
炎の中で撃ち抜かれたあの日に、あの少年は死んだ。
今ここにいるのは、人の命を糸で操り、運命の檻に囚われたーーただの操り人形だ。
現在
(そんな俺を、キーレスト。お前は救うっていうのか。)
ケントは心中で呟き、口元を歪めて笑う。
そして、静かに言葉を吐き出した。
「キーレストお前は本当に、いいやつだな。
だが、俺はお前とはいられない」
次の瞬間、ケントの掌から糸が凝縮され、鋼のように硬質化して一本の剣を形作る。
銀白の刀身が月光を受けて輝いた。
「お前たちを殺し、彼女を渡してもらう」
キールは胸を締め付けられながらも、迷いを振り切るように両手を前へかざす。
水が迸り、腕に沿って形を変える。水が剣となり、滴る飛沫が光を散らした。
「だったら、全力で止めるよ!」
ケントは笑い、キールは真剣な眼差しで応える。
二人が踏み出す。
——刹那、剣と剣がぶつかり合った。
ギィンッ!
糸と水。相反するはずのものが衝突した瞬間、鋼鉄の火花のような光が散る。
衝撃で地面が震え、周囲の瓦礫が跳ねた。
ケントが横薙ぎに振るえば、糸の剣は空気を裂き、触れるものすべてを切断する鋭さ。
キールはそれを水流で受け止め、飛沫が弾けて閃光を放つ。
互角の応酬。剣戟の音が絶え間なく響いた。
一撃ごとに振動が骨に伝わり、耳鳴りの中で視線だけが交錯する。
ケントが縦に斬り下ろし、キールが受け止める。
足元が砕け、土煙が巻き上がる。
体温、呼吸、鼓動がぶつかり合い、斬撃と防御の連鎖は死闘の領域へ。
そして、一瞬の隙。
キールは水の剣をしならせ、形を変える。
剣先が裂け、隙間を作り、糸の剣を絡め取る。
「しまった!」
ケントの顔色が変わり、糸の剣は宙に浮いた。
次の一撃が、勝敗を決する。
剣を構えたキールは、刃先がケントの首元を狙うが、寸前で止まった。
次の瞬間、キールは剣を消し去り、突き動かされるようにケントへ駆け寄り、強く抱きしめる。
「気分転換しよ、ケント!」
不意の言葉に、ケントの瞳が揺れる。
「ケントが背負ってるもの、僕も背負う。これから何があっても離れないから。 何を犠牲にしてでも」
ケントの肩が震えた。
宙に浮かぶ糸の剣は、今なら容易にキールを貫ける距離。
手を伸ばせば命を奪える。
だが指先は力が抜け、腕はだらりと落ちた。
糸の剣はきらめきを失い、地面に音を立てて転がる。
その瞬間、堰を切ったようにケントの表情が崩れた。
半開きの口から嗚咽が漏れ、瞳が潤む。
感情が押し寄せ、言葉が途切れ途切れに溢れ出す。
「キーレスト……!俺、人を……殺しちゃったんだ!」
「うん」
キールは即座に応え、抱きしめる腕に力を込める。
「お前の……大切な人たちまで……俺は傷つけたんだ!」
「分かってる」
キールの声は震えず、ただ確信を帯びていた。
その響きがケントの胸を締め付ける。
「だから一緒にいよう」
その一言に、ケントの体から力が抜けた。
崩れるようにキールの胸へすがりつき、涙が溢れだした。
「うわぁぁぁぁ……!」
嗚咽は叫びに変わり、やがて子供のような泣き声となった。
戦場を震わせていた糸の力はもうなく、ただ一人の少年の涙がそこにある。
キールはその肩を強く抱きしめ続けた。
重い罪も、過去の業も、友の涙も、すべてを共に背負うように。




