第15話『過去との再会』
「……」
ケントの身体は痺れに支配され、そのまま地面へ崩れ落ちて動かなかった。
「ごめん.......ケント」
キールは荒い息を吐きながら、倒れた旧友を見つめる。
その瞳に宿るのは怒りではなく、深い哀しみだった。
「キール!!」
声が響き、リリアがワイスの背から飛び降りて駆け寄ってくる。
「怪我してる...すぐ手当てしなきゃ」
リリアはキールの肩に触れ、彼の全身に走る無数のすり傷と肩口の傷を見る。
しかしキールは首を振る。
「僕のことはあとでいいです。それより、ニニィは大丈夫なんですか?」
不安げに問うキールに、リリアは小さく笑って答えた。
「うん、大丈夫。ヘイスさんが見てくれてる。日本に帰ったら三日もあれば直せるって」
張り詰めていた空気が、わずかに和らいだ。
「よかった...。それじゃ、リリアさんたちは先に帰ってください。僕は彼と話をつけます」
そう言って、キールはケントを背に担ぎ上げようとする。
「待って」
短く鋭い声に、キールは肩越しに振り返る。リリアが真剣な表情で立っていた。
「先には帰らない。私もそいつに聞きたいことがあるの」
「ダメです」
キールは強く首を振った。
「僕が話をつけるので、帰ってください」
キールの声はいつもの穏やかさを失い、どこか必死だった。
「話って何?」
リリアは真剣に問いかける。
「捕まえて帰ればいいじゃない。なのに...ここに残る理由は何?」
キールは視線を落とし、小さな声で答えた。
「彼と話すのは僕だけで十分です。それにアウローラに連れて行ったら間違いなく逮捕される」
ほんの一瞬、言葉に迷いがにじむ。
「彼は何も悪くないんです」
その一言で、リリアの目が大きく見開かれた。
胸の奥にざらつくような違和感が広がり、血の気が引いていく。
「何、言ってんの?キールらしくない...」
リリアの心は揺れていた。かつて救ってくれた彼が、今は自分の知らない顔をしている。
その背中は遠く、触れられない場所に行こうとしているようで、恐ろしくもあり悲しかった。
キールは唇を噛みしめた。
リリアはじっと彼を見つめ、なおも問いただそうとしていた。
「キールを、へーちゃんを、ワイスを殺そうとした挙句、ニニィを真っ二つにしたんだよ?」
リリアの声は震えていた。
「それに、17人の隊員さんも他にも大勢の人が、その人に殺されたんだよ!?」
キールは顔を伏せ、沈む声で答えた。
「彼の意志じゃないんです。記憶もなかったし」
「……は?」
リリアは正気を疑うように呟く。
「ちょっと待って。本気で意味わかんない。記憶とか関係ないじゃん!」
キールは言葉を探し、唇を震わせた。
「リリアさんは関係ありません」
その一言に、リリアの胸が締め付けられる。
「話してよ。記憶って何?なんでそんな、かばうようなこと......」
だが、キールは沈黙を守る。
ワイスがケントに低く唸り声を上げると、キールは静かに首を振り、制す。
「ワイス」
リリアは唇を噛みしめ、震える声で言う。
「キール。そんなに私たちが信用できないの?」
「そういうわけでは......でも、これは僕の問題です」
キールの言葉は途中で途切れ、力なく落ちる。
繰り返される拒絶に、リリアはとうとう感情を抑えきれなくなった。
「その問題は、私たちの問題でもあるの!いろんな人が、その人に傷つけられてるんだから!」
リリアの瞳には涙が浮かび、必死に訴える。
「お願い......教えて。記憶って何?その人は何者なの?」
キールはそれでも何も言わず、リリアの横をすり抜けようとした。
だが、リリアはその動きを読んでいたかのように、両腕を大きく広げて前に立ちはだかる。
「ダメ......行かせない」
その声は震えていたが、瞳はまっすぐで強かった。
「どいてください」
「いやだ」
二人は睨み合い、譲らなかった。
張り詰めた空気が二人の間を支配する。
「そんなに止めたければ、前みたいに能力を使って止めればいいじゃないですか」
キールの声には苛立ちが滲んでいた。
リリアは目を見開き、小さく俯いて寂しげに呟く。
「なんでそんなこと言うの。それに今は能力、使えないし」
「どうして?」
その答えは、リリアの口からではなかった。
「ゾーン化していたからね」
低い声が割り込む。
キールが担いでいた男、ケントだった。
次の瞬間、轟音が走った。
キールの頬に鉄槌のような拳が叩き込まれる。
「ッ……!」
衝撃に頭が揺れ、キールの体は大きく揺らぐ。
「キール!」
リリアの叫びが、静寂を切り裂いた。
ケントはキールの腕から抜け出し、土煙の中で尻もちをつく。
やがて、呆れたように言った。
「ゾーンを知らないのか」
「なんのこと?」
驚愕するリリアに、ケントは感情を排した声で淡々と告げる。
「ゾーンとは、UMHが一時的に能力の制限を超え、本来以上の力を発揮できる状態だ。
だが、使用した時間の1000倍分は一切能力が使えなくなる。
君の場合、僕を倒すのに90秒。つまり、25時間は使用不可だ」
「そんな...わたし、いつのまに」
その刹那、ケントの糸が鋭く走る。
白い線が生き物のように首へ絡みつき、リリアの喉を締め上げた。
「っ……く、はぁ……!」
リリアの細い首が赤く食い込む。
両手で必死に引きはがそうとするが、糸は容赦なく食い込んでいく。
「リリアさん!」
キールの声が張り裂ける。
「キーレスト」
「......ケント?本当にケントなのか」
「全部思い出したよ。お前のことも!そして、なんで俺がこうなったのかも」
ケントの声は冷たかった。
「なら、リリアさんを放してくれ!ケントはこんなことしない!」
「ハハハ、相変わらずまっすぐな奴だな...。
でも、もうお前の知ってる俺じゃない...」
キールが一歩踏み出すと、糸がさらに締まり、リリアの喉から苦しげな声が漏れる。
「が……っ……!」
「動くな」
ケントの目が鋭く光り、殺気が張りつめる。
「やめろケント!どうしてこんなことを!」
「お前に話す義理はない。……彼女はもらっていく」
ケントはそう言い捨て、リリアを締め上げたまま立ち上がる。
「キール……たす……けて……」
リリアの声は細く、必死に絞り出される。
ケントは容赦なく糸の翼を広げ、空へと舞い上がった。
「待てっ!」
キールは叫んで地を蹴る。
だが次の瞬間、無数の糸が蛇のように走り、進路を塞いだ。
「っくそ!」
糸は壁のように立ちはだかり、追跡を阻む。
ケントは加速し、距離がみるみる広がっていく。
リリアは糸に絡め取られたまま意識を失い、頭がぐったりと垂れた。
「リリアさん!!」
焦燥で声を張り上げたそのとき、背後からワイスが駆け寄る。
巨大な鷹の姿へと変わり、翼をはためかせ、キールの目の前で旋回する。
キールは迷わずワイスの背に飛び乗る。
「頼む、追ってくれ!」
ワイスは猛然と空を駆け上がり、ケントを追撃した。
その頃、ケントの意識の奥底に低く声が響く。
『リリアは無事なんだろうな』
『はい、モロス様』
『他の者の始末はあとで構わない』
『ですが、彼らは厄介です。特にキーレストは……』
『記憶が蘇ったか……』
モロスの声は、深い闇を纏うように響いた。
『問題ない。リリアがゾーンを使いこなせれば、UMHなど敵ではない』
ケントは一瞬、表情を曇らせる。
『しかし』
『少し早いがもう我慢の限界だ』
モロスの声が鋭さを増す。
『何のことですか?』
『計画を実行に移す......』
モロスの声にケントは背筋がぞっとした。




