第14話『ダブルス』
9年前(2021年) 研究室の庭
「なぁ、ダブルスは3人じゃできねーよ」
ケントがラケットを肩に担ぎ、あきれ顔でぼやく。
研究施設の片隅、小さな庭に張られた簡素なネット。
そこでケント、エミリー、ジェフの3人の8歳の子供は、いつものようにバドミントンをして時間をつぶしていた。
「ケント、誰か連れてこいよ!」
ジェフは腕を組み、偉そうに言い放つ。
「いつもみたいにシングルでいいじゃん」
ケントは眉をひそめる。
「私、あきちゃったかも」
エミリーがぽつりとつぶやいた。
その一言で、ケントの表情が変わる。
「じゃあ、誰か誘ってくる」
観念したように言い、ラケットを置いて施設の中へ探しに行った。
廊下は冷たく静まり返っていた。
ケントは適当な相手を探すつもりだったが、角を曲がったとき、壁際でうずくまる小さな背中を見つける。
(あの子でいいか)
「ねぇ、君......」
呼びかけた瞬間、ケントは息をのむ。
少年の頬を、大粒の涙が伝っていたのだ。
「だ、大丈夫?」
戸惑いの混じった声。
しかし、少年は答えなかった。ただうつむいたまま、震える肩を揺らしている。
通りすがる職員たちは、ちらりと視線を投げかけるだけで何事もなかったように歩き去っていった。
ケントは唇をかみしめる。
(見て見ぬふりなんて、できるかよ)
「おれ、ケント。お前は?」
無理にでも声をかけ、少年の手を取った。
小さな声が返ってくる。
「......キーレスト」
「キーレスト。よし、お前、今からバドミントンするぞ」
「なんで......」
「気分転換!」
にかっと笑って、強引に手を引く。
キールは一瞬ためらったが、袖で涙を拭い、ケントの手を握り返した。
庭に戻ると、ケントが声を張り上げる。
「エミリー!ジェフ!やるぞ!」
エミリーはキールを見て、少し驚いたように目をそらした。
小さな声で「うん」とだけ答える。
「早くやろーぜ!!」
ジェフは無邪気に叫び、ラケットを振り回す。
そして――4人は羽根を打ち合い始めた。
笑い声とシャトルの弾む音が、夕暮れの庭に広がっていく。
現在
キールは肩に突き刺さった槍をぐっと握り、歯を食いしばって引き抜く。
だが、それ以上に胸を締めつけていたのは、目の前に立つ男の姿だった。
(なんで?ケントはあの時……死んだはずじゃ)
幼き日の笑顔。
声をかけてくれた温もり。
そして、研究所の炎の中で見た背中。
混乱と動揺で、体が硬直する。
次の瞬間、ケントの両腕から鉄線のように太い糸が一斉に噴射された。
空気を裂く轟音とともに、刃のような線が前方に襲ってくる。
「っ!」
高速で迫る糸は、木々をなぎ倒し、地面を裂き、触れたものを次々と断ち切っていく。
一歩でも遅れれば、そのまま身体がバラバラにされるだろう。
キールは咄嗟に両手を広げ、力を込めた。
周囲の空気が唸りを上げ、水が一気に収束して半透明の壁となる。
水盾は波紋を走らせながら展開し、襲い来る糸を弾き飛ばす。
ジャキィィンッ!
水と糸が激突する度に火花のように水の飛沫が弾け、周囲は白い霧に包まれた。
その瞬間、ケントの姿が、視界から消えていた。
霧に紛れ、濡れた糸を伝ってケントは背後へ跳躍していた。
糸は水を吸い、鋼の鞭のようにしなりながら勢いを増している。
「しまっ――!」
振り返る間もなく、背後から放たれた糸がキールの胴を絡め取られる。
ぎちぎちと食い込む圧力。息が詰まり、体が拘束されていく。
「ぐっ…!」
水盾は前方にのみ瞬時に展開していたので、背後は完全に死角だった。
水に濡れた糸は重みを増し、鎖のようにキールの体へと絡みついていく。
「君は、どうやって運命に勝ったんだ」
ケントの声は、繭を通して響いていた時とは違い、低く重かった。
張り詰めた空気が二人の間に落ちる。
キールは荒い息を整えながら、かすれた声で問い返す。
「本当に僕のことがわからないの?」
ケントの瞳は一瞬、揺れた。
だが、すぐにその揺らぎを断ち切るように吐き捨てる。
「君など......知らない。質問に答えろ」
ケントが言っているのは、精神世界でのことであると悟った。
「勝ったなんて思ってない」
「なに?」
「僕はただ、ワイスを助けたかっただけだ」
ケントの眉がぴくりと動く。
「あの犬のことか。だが、なぜ貴様が他人の精神世界に踏み込める。
自分の運命すら越えられない者がなぜ、帰ってこれるんだ!」
糸がさらに締めつけ、胸に鋭い痛みが走る。
それでもキールは目を逸らさず、悲しげにケントを見つめた。
「ケント...本当は気づいてるんじゃないの?」
静かな一言が、鋭い刃のように突き刺さる。
ケントの呼吸が浅くなる。
「ワイスの傷ついた心を助けるために。
僕を、ワイスの精神世界に送ったのは、君なんじゃないの...」
ケントは顔を背ける。
「そんなわけがあるか。君など知らない!!」
その声は怒号だったが、どこかに揺らぎが残っていた。
ケントは地面に突き刺してあったサーベルを引き抜いた。
そして、ゆっくりとキールに歩み寄る。
「どちらにせよ、これが君の“結果”の積み重ね。
そして、それが君に与えられた“運命”だ」
ケントがサーベルを振りかざし、刃先がキールへ迫った。
その瞬間、衝撃が走り、ケントの体は思い切り横へ弾き飛ばされた。
「ぐっ!」
土煙を巻き上げながら地面を転がり、必死に体勢を立て直す。
現れたのは、尋常ではない速度で駆け抜けてきた影。
その頭突きと同時に、瞬時にオオカミへと変貌したワイスだった。
巨大な牙を剥き出し、燃えるような瞳でケントを睨みつける。
「ワイス!」
キールの声に応えるように、ワイスは疾風のごとく動き出した。
鋭い爪が糸を切り裂くたび、 何重にも絡みついていた束縛は、紙切れのように粉々に散っていく。
「ありがとう」
息を整えながら、かすれた声でキールは言葉を返す。
そして、鋭い眼差しでワイスを見据えた。
「一つ頼みがある」
ワイスは短く吠えると、視線をジェット機の方へ向ける。
次の瞬間、風を切る音とともに颯爽と駆け出していった。
残されたキールの前には、再び立ち上がったケントが迫ってくる。
「君とは戦いたくない。頼む、ケント」
その声には、必死の思いと迷いが混じっていた。
だが、対峙するケントの表情は揺るがない。
「君たちを殺すのが、俺の運命だ」
キールは苦悶の表情で問い返す。
「誰かに命令されてるの?」
一瞬の沈黙。ケントの手に握られた糸のサーベルがわずかに唸り、緊張が走る。
彼は吐き捨てるように答えた。
「教える義理はない」
刹那、風が二人の間を切り裂き、戦いの続きを促すかのように荒れ狂った。
ケントは木々に糸を絡め、強烈な反動でロケットのように跳び出し、一直線にキールへ突っ込む。
「――ッ!」
咄嗟に受け止めるも、その速度は凄まじく、二人は木々を粉砕しながら一直線に吹き飛んだ。幹が裂け、破片が飛び散り、森に轟音が響き渡る。
「はぁあっ!」
ケントはすぐさま身を翻す。
背中に糸で生み出した白銀の翼を広げ、空へ跳躍。
空中で腕を広げると、糸の弾丸を機関銃のごとく連射した。
「まずいっ!」
キールも水の弾を放つ。水の弾丸と糸の弾丸が空中で激突し、閃光のような衝撃が弾けた。
お互いの流れ弾が頬や肩をかすめ、赤い飛沫が散る。
「まだだ!」
キールは歯を食いしばり、足裏から水流を噴射して加速する。
強引に銃撃の雨を突っ切り、ケントとの距離を詰めた。
「なっ…!」
驚くケントに、キールは頭突きをみぞおちをするように叩き込む。。
その隙を逃さず、キールは水を操りケントを球体の中に閉じ込めた。
「これで――!」
ケントは顔を歪める。水中で必死にもがき、糸を走らせて脱出する。
しかし、次の瞬間。
バチィッ!!
水を伝って電撃が走る。青白い閃光が弾け、ケントの体が跳ね上がった。
「ぐあっ…!」
意識が飛びそうになったケントの視界に映るのは、ワイスの背に乗ったリリア。
彼女の手には、ヘイスから借りた電撃銃が握られていた。
ケントの身体は激しく痙攣し、森に焦げた匂いが立ち込める。
意識が遠のく瞬間、彼の脳裏にかつての光景が浮かぶ。
そこには、笑顔でラケットを振るエミリー、挑発するジェフ、そして困ったような顔をするキール。
幼き日の三人が鮮明に蘇る。
ケントの瞳がわずかに揺れた。




