第13話『運に弄ばれる始』
キールは意識を取り戻し、目を開く。
開けた瞬間、至近距離にリリアの顔があった。
鼻は指でしっかりつままれ、顎は上へ押し上げられ、呼吸が確保されている。
「.......えっ」
キールとリリアの視線がぴたりとぶつかる。
リリアの頬がみるみる赤く染まり、鼻をさらにぎゅっとつまみ、口を思いきり押さえる。
「忘れて...」
キールは、手を放してほしいと必死に手を振って訴える。
だがリリアは顔を真っ赤にして、今にも泣きそうな目で繰り返した。
「いいから!今のは絶対に忘れて!」
キールは心底困ったように眉をひそめ、大きくこくこくとうなずく。
ようやくそれを確認すると、リリアは手を放し、勢いよく顔を背けた。
「ぷはっ」
急に自由になったキールは咳き込みながら起き上がり、まだ耳まで赤くしているリリアを見た。
キールは状況が理解できず、目を瞬きをして辺りを見渡した。
地面には無数の糸の切れ端、そして疲労と傷に覆われたリリアの姿。
その光景でようやく、繭のUMHに捕らえられていたことを思い出す。
「リリアさん」
礼を言おうとした瞬間、リリアが勢いよく彼の胸に飛び込んできた。
「よかった...」
その声は震えていて、胸元に小さな拳がぎゅっと握られていた。
キールは戸惑いながらも腕を回そうとしたその時。
「お姉ちゃん!」
「ワン!」
元気いっぱいの声とともに、二つの影が駆け寄ってくる。
ニニィがリリアに抱きつき、ワイスは弾むようにキールへ飛びついた。
「ワイス、戻ったの!それに、お兄ちゃんも!」
ニニィのはしゃいだ声が響く。
リリアはその言葉にふっと微笑み、ニニィの頭を優しくなでた。
一方、キールの上に座り込んでいるのはワイスだった。
もふもふの尻尾を揺らしながら、動こうとしない。
「ワイス...重い。どいてくれ」
キールは必死に体を起こそうとするが、ふわふわの巨体はびくともしない。
その光景にニニィは笑いだす。
「あははっ!お兄ちゃん、ワイスの座布団だね!」
視線をニニィに向け、驚くように言う
「ロボットなのか……?」
すると、リリアがくすくす笑いながら答えた。
「そうよ。言いざまね、キール」
「ニニィだよ!お兄ちゃん、よろしくね!」
ニニィは無邪気に手を振る。
「う、うん...よろしく。人間みたい」
「私も気になっているのよね〜」
どこか楽しげに割り込んできたのはヘイスだった。
「ヘイスさんどうも」
キールが気恥ずかしそうに頭を下げると、ヘイスは軽やかに手を振った。
「キール君も起きたことだし、本来の目的は達成してるから早いところ脱出しましょうね~」
その声音は、普段の飄々とした調子に戻っている。
するとリリアが真剣な顔になる。
「そうだね。あいつを完全に倒してたら、キールたちはすぐに起きてたはず。
いつまた動き出すかわからない、急がなきゃ!」
明るさは一瞬で消え、空気は再び緊張を帯びていく。
ワイスは名残惜しそうにキールの胸から降り、ふさふさの尻尾を一度だけ振る。
キールはふらつきながらも立ち上がり、鋭い視線を奥の暗闇へ向けた。
「僕はここに残ります」
声は静かだったが、確固たる決意が込められていた。
リリアが声を荒げる。
「あんた、怪我人なんだよ!?戦っちゃダメ!」
キールは平然と返す。
「問題ないですよ」
「いいからいうこと聞いて!!」
ツッコむように言う。
「骨折もしてないし能力も温存してますし、一人で対処できますよ」
真顔で理屈を並べるキール。影男の一件とはわけが違った。
「でも...」
リリアは苦い顔をして言葉を詰まらせる。
キールは少し間を置き、真剣な眼差しで告げた。
「それに...確かめたいんです」
「なにを??」
「それは...言えません」
「なんでよ!」
リリアはしかめっ面で言う。
「言いたくないです...」
「言ってよ!そうじゃないと私、ここから動かないから!」
「ダメです。リリアさんもう限界じゃないですか... 心配になります」
リリアは黙り込み、じっと視線を落とした。
「リリアさん??」
しばしの沈黙のあと、肩が小さく震え、耳が赤くなっていた。
「......っるさい」
「はい?」
「うるさいっていってんの!!大体、いつも気になる言い方で話しを止めるキールが悪いんだからね!!」
いきなりの八つ当たりに、キールはきょとんとする。
「あらあら~」
頬杖をついてニコニコするヘイス。
「やっぱりお姉ちゃん...」
ニニィはぽかんと口を開ける。
ワイスは尻尾をゆらりと振りながら、しかし無表情のままじっと見ている。
キールとリリアの応酬を、三人は横に並んでまじまじと眺めていた。
すると、ヘイスがキールに向かって言う。
「いいから行くわよ~」
ヘイスの視線の圧にキールは驚く。
「もし、ここで戦ってリーちゃんたちが殺されたら、キール君のせいね~」
キールは険しい顔をして、ため息をつく
「わかりました...いったん帰りますよ」
ヘイスは何も言わず、キールを見て笑う。
ヘイスは自身の武器を取り、歩き始めた。
「ワイス、みんな乗せて!」
ワイスは鷹の姿になり、全員を背中に乗せる。
そして飛び立ち、ジェット機のある方向へと向かう。
「すごーい!ワイスって鳥になれるのね」
驚くリリア。
ニニィは自慢げに胸を張る。
「オオカミと鷹、それにアザラシにもなれるよ!」
会話をしているうちにジェット機に着いた。
みんながワイスから降り、ジェット機に乗る。
最後にニニィが乗りかけた、その瞬間だった。
“ガンッ!”と金属を叩く乾いた衝撃音。
ニニィの胴体が、一瞬にして真っ二つに裂けた。
「え?なんでえぇぁ&E%#”」
声は意味を失い、ノイズのように途切れる。
ニニィの身体は力をなくし、鉛の塊のように地面へ崩れ落ちた。
ワイスが駆け寄り、前足で必死に起こそうとするが、ニニィは反応を返さない。
そこに立っていたのは、顔を糸で覆い隠した男。
肩にかからぬほどのさらさらとした髪が、無風の中でも静かに揺れる。
両手には、糸で作られた二本のサーベル。どこか古代の戦士を思わせる糸製の衣服。
キールとリリアは同時に動いた。
リリアが能力を発動させようとする。
だが――。
「えっ...使えない?」
その隙を突き、サーベルの刃が迫る。
キールが身体を滑り込ませ、両手を広げた。
水の奔流が轟き、男をジェット機の外へと押し流す。
しかしサーベルは交差し、水を切り裂きながら受け止める。
水の奥、男の姿は揺るがなかった。
「ヘイスさん! 飛ばして!」
ヘイスは操縦席に駆け込み、ジェットを急発進させようとする。だが、無数の糸が機体を絡め取り、機首が持ち上がらない。
キールは即座に判断し、後方へ飛び降りた。
「キール!」
リリアが叫ぶ。
「リーちゃん、まって!」
「ここはキール君に任せましょ。それにニニィちゃんが...」
視線の先では、動かぬニニィの隣に座るワイス。
キールは両足から水を噴き出し、一気に加速した。
“ゴッ”と地面を蹴り、一直線に敵へ迫る。掌を突き出す。
青白い水が一点に収束し、鉄槌のように叩き込まれる。
ガキィン! サーベルが受け止め、火花と水飛沫が弾けた。
男は二本のサーベルを空へ放り投げ、両手から白い槍を編み出す。
投げられたサーベルは槍の柄ではじき返され、弾丸のようにキールへ襲いかかる。
「っく!」
キールは足裏に水をまとわせ、路面を滑るように低姿勢で突っ走る。
ギリギリでサーベルをかわし、逆に槍を構えた男へと突進した。
ドドドドッ――!
キールは水弾が矢のように連射する。
だが男は槍を回転させ、盾のように受け流す。
水滴が弾かれ、雨のように辺りに降り注いだ。
次の瞬間、男が踏み込み、槍が稲妻のように肩口を貫いた。
「ぐっ......!」
痛みに顔を歪めながらも、キールは柄を掴み、逆に引き寄せる。
残った手を突き出す。
水が鋭い刃に変わり、閃光のごとく走る。
糸で覆われた仮面を真っ二つに切り裂かれた。
仮面が割れ、さらされた素顔。
その顔を見た瞬間、キールの動きが止まる。目が困惑に揺れ、心臓が跳ねた。
記憶が蘇る。
ここを早く出なきゃ、僕たちは殺されちゃう
キールは心の中でそう感じた。
ケントが振り返り、必死に息を整えながら言う。
「ここで待ってろ! 俺が見てくるから!」
そう言って死角へ走り出した瞬間、銃声が研究所で鳴り響いた。
その姿は、もう二度と会えないと思っていた。
「ケント......?」
震える声で名を呼ぶ。しかし返ってきたのは、氷のような言葉だった。
「ケントとは誰だ」




