第12話『炎の中でみつけたもの』
現在
ワイスは全身を縮こませ、震えていた。
アナウンスが途切れた直後、白い糸が渦を巻き、やがて人の輪郭を形づくる。
「死ね!怪物」
「お前のせいで災いが起きるんだ!」
「生まれてくることが間違いだったんだ!」
ワイスの瞳からは涙が溢れ、 体は動かそうとしても動かず、身動きが取れない。
そんなワイスを見てキールは、自身の過去を思い出す。
赤い炎が研究所に広がっていく。
警報音が耳を打ち、鉄扉の奥では戦闘員たちの怒鳴り声が飛び交っていた。
火の手が上がる研究所 戦闘員があちこちにいる。
「もうここにいたら生きられない...」
ケントは振り返り、必死に息を整えながら言う。
「ここで待ってろ!俺が見てくるから!」
そう言って死角へ走り出した瞬間。
ババババッババ!!
乾いた銃声が聞こえた。
「化け物がまだいたのか!」
「生きてるだけで迷惑なんだよ!」
涙で前が見えないまま、キールは駆け出そうとする。
「ケント......いやだ、ケント!」
「待て! 今出たら俺たちまで殺される!」
ジェフの腕が必死に彼を引き戻す。
エミリーは蒼白な顔で震え、言葉を発することすらできなかった。
キールは目を背けるしかなく、仲間たちと反対の方向へ、生き延びるためだけに走った。
キールの胸は今、あの時と同じように締め付けられていた。
震えるワイスの姿と、かつての自分が重なって見える。
「ワイス...」
キールが名を呼んだ瞬間、糸で形作られた人影たちが一斉に銃を構えた。
乾いた銃声が洞窟に反響する。
キールは 水の盾をドーム状に展開して、弾丸をはじく。
だが、止まることを知らぬ銃撃は際限なく降り注いだ。
「ワイス、立てるか?」
必死に声をかけるも、ワイスは身を縮めたまま震え、怯えた瞳で何も返さない。
キールは即座に判断し、両手を広げる。
濃い水蒸気が一気に噴き上がり、霧の帳が視界を覆う。
銃声はなおも続くが、弾丸は虚空を裂き、方向を失った。
「今のうちに」
キールはワイスを抱きかかえ、銃撃の雨を抜けて駆け出す。
しかし、銃声が途絶えた時、ワイスはそっと目を開いた。
気づけば自分は、キールに抱えられていた。
その瞬間、ワイスの体が閃光のように変化する。
羽毛が生え、骨格が膨張し、巨大な鷹の姿へと変わる。
「うわっ!」
キールの腕から飛び立ち、鋭い眼光でキールを睨みつける。
翼は常識外れの大きさで、ひと振りするだけで暴風が巻き起こった。
「ぐっ......!」
風圧に視界を奪われ、キールは吹き飛ばされそうになる。
咄嗟に水を足元に集め、宙に浮かんで耐える。
「ワイス!落ち着け!僕はお前に敵意はない!」
必死の声は暴風にかき消された。ワイスは鋭い爪を振り下ろす。
キールは瞬時に水盾を展開して受けるが、衝撃は腕の骨にまで響き、体勢が揺らぐ。
(どうすれば……理解してくれるんだ!?)
火傷の痛みがワイスの全身に広がり、翼の力が抜けていく。
バランスを失い、鷹の姿のまま地面へと墜落しかけた。
「ワイス!」
キールは全身で駆け込み、落下してくる巨体を必死に受け止めようとする。
押し潰されるように地面は崩落し、二人は突き抜けた。
広がっていたのは、燃え盛る家の内部だった。
壁は崩れ、炎が生き物のようにうねりながら襲いかかる。
ワイスは床に叩きつけられ、すでにサモスキーの姿へと戻っていた。
毛並みは炎に照らされ赤く染まり、荒い呼吸とともに小さく「くぅぅ……」とうめく。
「ワイス、待ってろ!」
キールは焦燥を抑え、両腕を広げる。
轟音とともに大量の水が一気に放たれ、炎を覆うはずだった。
「なっ!?」
火はむしろ勢いを増し、爆ぜるように広がっていく。
水が触れた箇所から炎が逆に跳ね上がり、周囲は蒸気と熱風に包まれた。
「うわっ!!なんで!?どうすれば......」
炎は意思を持つ怪物のように燃え猛っている。
すると、炎の奥から影がぬっと現れた。
顔の原型をとどめていない、焼け爛れた老婆。
その手には古びた猟銃が握られていた。銃口は、倒れているワイスに向けられる。
「――死ね、怪物」
「危ない!」
引き金が引かれる瞬間、 キールが身を投げ出した。
ダァァン!!
轟音とともにワイスは目を覚ます。
「がふっ...!」
はらわたをえぐられるような衝撃。鮮血が噴き出し、キールはその場に崩れ落ちた。
ワイスの目が大きく見開かれる。
老婆の口元が、歪んだ笑みに裂ける。
「見たか?お前が関わる人間はみんなこうなるんだよ。お前のせいで死んだんだ。ドリエルも、マーサも...そして、こいつも!」
言葉が刃となって胸を突き刺す。
ワイスの脳裏にあの光景が蘇る。
血に染まったマーサの姿、泣き叫ぶドリエル、もう二度と触れられないぬくもり。
『ワイス...あなたのおかげで、私、幸せだった』
ドリエルの笑顔と声がフラッシュバックする。
「くぅぅ...あぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
ワイスは胸の奥から絞り出すような悲鳴をあげた。
その瞬間――
「ワイスのせいじゃ...ない」
倒れていたはずのキールが、苦しげに顔を上げる。
両手を突き出し、水の膜が奔流のように広がって老婆を包み、拘束した。
キールはよろめきながら、必死に立ち上がろうとした。
膝は震え、傷口からは血が滴り続けている。
「ワイス......お前がいてくれたから、幸せだった人は......必ずいる。どんなことがあっても」
かすれた声に、確かな力がこもる。
老婆は狂気じみた笑みを浮かべ、よだれを垂らしながら叫ぶ。
「ふんっ!この怪物はねぇ、あたしらの村を破壊したんだよ!」
キールはこの精神世界に足を踏み入れて以来の断片を思い起こす。
無垢に笑う金髪の少女、怯えるワイス、銃を突きつける村人たち、燃えさかる家。
そして、ニュースで語られていた“怪物”。
「詳しいことは知らない。でも、この場所はワイスの心の奥底に刻まれたものだ。」
老婆の声が、憎悪に濁って響く。
「そんな怪物、かばってもいいことなんてないよォ!」
キールの瞳が怒りに揺らめく。
「あんたの方が怪物だよ」
「なんだってぇぇぇ!!よそ者が、ちゃちゃ入れるな!」
老婆が咆哮する。
だが、キールの心は揺るがなかった。
「関係ないよ.....でも僕は、ワイスを助ける」
「なんでそこまでして、その怪物をかばうんだい?」
血に濡れた唇で、キールは笑みを浮かべる。
「僕のわがまま。あんなに怯えてるんだ、放っておけないよ」
老婆の姿は煙のように掻き消える。
ワイスは、前に立つキールの背中を見つめていた。
震える足を、ようやく一歩を踏み出そうとしたその瞬間――
轟音と共に火の手が一気に広がり、二人の間に燃え盛る壁が立ちはだかる。
「うわっ...!」
「キャンッ!」
炎は容赦なく迫り、二人を断絶させた。
熱気で空気が歪み、互いの姿すら霞んでいく。
ワイスは恐怖に囚われ、再びその場で硬直する。
キールは息を荒げ、えぐられた脇腹を水で包み込みながら歯を食いしばった。
「水を使ったら、余計に火が広がるよな」
選べる道はひとつしかない。
覚悟を決めて、炎の中へ踏み込む。
「うああああああああああッ!!」
肌が焼ける音。鼻を突く焦げ臭さ。
全身が爛れるように痛む。
それでも、キールはワイスのもとへ歩みを進める。
ワイスはその叫び声を聞き、炎の帳の向こうでこちらへと歩み寄るキールの姿を見つける。
「なんで......なんで距離が縮まらないんだ!?」
キールが進むほど、ワイスとの距離は遠のいていく。
その光景は、火の海に呑まれ視界から遠ざかっていったドリエルの最期を呼び起こした。
ワイスの心臓が潰れそうに締め付けられる。
「ワイス.......」
背後から、柔らかい声。耳に馴染んだ、忘れられない声。
ワイスはびくりと体を震わせて振り返ると、炎に照らされるドリエルが微笑んで立っていた。
「ワン!」
ワイスは嬉しそうに吠え、尻尾を振って駆け寄ろうとする。
ドリエルは笑顔で首は横に振った。
「来ちゃダメ...」
その言葉に、ワイスは立ち止まり、耳をしょんぼりと垂らす。
「ここはワイスの心の中なの。こっちに来たら、ワイスは死んじゃう...」
ワイスは悲しげに鼻を鳴らし、それでも必死に行こうと前足をじたばたさせる。
「クゥゥゥゥン」
ドリエルは微笑もうとするが、堪えきれず涙が出る。
「ワイス...ひどい目にあったね。辛かったね」
キールは遠くから、その光景を見つめていた。
(あそこにいるのは……村にいた少女?)
さらに、ワイスとキールの距離が遠ざかっていく。
ドリエルは震えるワイスに語りかける。
「それでも、ニニィちゃんと旅をして……楽しかったでしょ?」
ワイスは一瞬、きゅっと口を閉じる。
ドリエルの言葉に、確かに思い当たる記憶がよみがえった。
「それに……お兄ちゃんに水、もらったでしょ?」
その言葉に、ワイスの瞳が揺れる。
ドリエルは涙をぬぐい、飛び切りの笑顔を浮かべた。
「ワイス。この世界はあなたにとってたしかに生きづらい。変えられない現実もある。でも、これだけは忘れないで。あなたにやさしくしてくれる人間は、一人もいないなんてことはないから」
ワイスの目から大粒の涙があふれ落ちた。
「後ろを見て……」
ドリエルの声に従い、ワイスは振り返る。
そこには、血を流しながらも必死に立ち続けるキールの姿があった。
ドリエルは、ひとしずく涙をこぼし、微笑んだ。
「私を助けようとしたとき……ワイスも同じことをしてくれた。
ワイスは、世界一やさしい友達だよ」
振り返ると、もう彼女の姿はなかった。
ワイスの瞳から、大粒の涙が次々とこぼれ落ちる。
震える視線の先にいるのは、全身を爛れさせそれでも必死に一歩一歩こちらへ歩みを進めるキールの姿だった。
「……ワイ、ス」
掠れきった呼び声は痛ましい。
けれどワイスには分かった。
自分がドリエルのために飛び込んだあの夜と、まったく同じことを、キールも自分のためにやってくれているのだと。
ワイスの胸に込み上げるものは恐怖ではなく、熱い衝動だった。
ワイスの体は白と黒の毛並みに光をまとい、再び大きなオオカミの姿へと変わった。
炎が爆ぜ、屋根が軋み、床が崩れる。
ワイスは火の海を蹴り、煙を裂き、一直線にキールのもとへ駆け出した。
足元が崩れ、キールの体が前のめりに倒れ込む。
その瞬間、ワイスは顔を差し出し、力強くその体を支えた。
焼け焦げた息を吐きながらも、キールは微笑む。
「来てくれたんだ......助けに」
ワイスは一瞬だけ照れくさそうに耳を伏せ、そっぽを向く。
だが次の瞬間、大きな背中を差し出し、振り返りもせずに小さく身を沈める。
キールは力を振り絞り、その背に体を預けた。
ずっと孤独だった背中に、託された重み。
ワイスはそれを誇らしげに感じ、喉の奥から低く唸りを漏らす。
次の瞬間、轟音と共にワイスは地を蹴った。
火柱を裂き、崩れ落ちる梁を飛び越え、炎の渦を背負いながら一直線に駆け抜ける。
熱が毛皮を焼こうと、煙が視界を奪おうと、迷いはなかった。
そして、炎に包まれた壁を突き破り、二人はまばゆい光の中へと飛び出していった。
燃えさかる家の暗闇から抜け出したその瞬間、炎の轟きも罵声も遠ざかり、ただ冷たい風と眩しい光だけが二人を包み込んだ。
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