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第2話:事故報告書100ページ!?新人の初デスクワークは地獄です


 翌日、俺はデスクの前で固まっていた。


 パソコンのモニターの右下に、淡い青い文字が光っている。

「報告書作成システム Ver.3.2」


 そして、目の前の机には分厚い紙の束が三山。

 一山ですら辞書並みの厚みだ。それが三つ。

 いや、これもう物理的に人が処理できる量じゃないんだけど!?


「これ……まさか……昨日の事故報告書?」

 恐る恐る声に出すと、背後からすぐに返事が飛んできた。


「正解。あんたが全部やるんだよ、新人」


 振り向くと、早乙女セリナ先輩がマグカップを片手に立っていた。

 そのマグカップには**「NO LIFE, NO INSURANCE」**の文字がでかでかとプリントされている。

 保険会社ジョークか? いや全然笑えないんだけど!?


「いや、こんな量無理ですって! これ、何ページあるんですか!?」

 声が裏返る。


「ざっと百ページくらい」

 セリナ先輩はさらっと答えると、マグカップを傾けてコーヒーをすすった。

「細かい被害者情報も全部書くんだよ」


「百……ページ……?」

 その数字を聞いた瞬間、デスクの椅子に沈み込み、頭を抱えた。

 昨日の現場も地獄だったけど、これ、現場より辛いんだけど!?


 報告書の項目は延々と続く。

 事故の発生日時、場所、原因、被害状況、異能者の制御記録、そして保険金算出……。

 入力フォームはやけに古臭く、一度でも入力をミスると最初からやり直しだという。


「先輩、このソフト古くないですか!?」

 必死にキーボードを叩きながら訴える。


「異能保険会社のシステムだよ? 最新のわけないでしょ」


「そこは最新にしてくださいよ!!」

 あまりの絶望感に、デスクの上で書類を抱えて泣き伏したい衝動に駆られる。


 カタカタとキーを打ちながら、昨日の惨状がフラッシュバックする。

 天井から落ちてきたトカゲの巨大な爪。

 暴走した異能者の青年が壁を粉砕する姿。

 そして、セリナ先輩の鬼軍曹っぷり――


「……あれを全部文章にまとめるのか……俺泣きそうなんですけど」


 そのとき、隣の席から声が飛んできた。


「お、君が新人か?」


 振り向くと、スーツ姿の細身の男性が書類の山を抱えて立っていた。

 目の下のクマが深く刻まれていて、いかにも疲労困憊という顔だ。

 それでも人の良さそうな笑顔を浮かべている。


「俺、営業の中条。昨日の案件、現場にいたよ。……生きてて良かったな」


「え、俺そんなレベルでヤバかったんですか!?」

 思わず声が裏返った。


「そりゃあのトカゲの尻尾があと三十センチズレてたら……ねぇ?」


「やめてくださいよ!!」

 胃がキリキリ痛み出す。


 中条さんは苦笑しつつ、俺の机に書類をドサッと置いた。

 重さで机がきしむ音がした。


「これ、追加資料ね。目撃者の証言とか。あと被害者リストも更新されてるから」


「えっ、まだ増えるんですか書類!?」


 見る見るうちに山がさらに高くなっていく。

 まるで俺の心を折るために積み上がっているかのようだ。


「……俺、今日中に死ぬかもしれない」

 心の底から漏れた声に、中条さんは苦笑した。


「はは、慣れれば平気になるって」


「いや慣れたくないんですけど!?」


「新人、愚痴るのはあとにして、ほらこれ読んどけ」


 カタカタとキーボードを叩く俺の机の上に、薄っぺらい冊子が放り投げられた。

 パサリと乾いた音が響く。

 見ると、表紙には黒いゴシック体でこう書かれている。


『異能保険業務マニュアル(改訂前)』


「……改訂前ってなんですかこれ」

 嫌な予感しかしないタイトルだ。


「改訂版がまだ出来てないの。だから前のやつ使って」

 早乙女セリナ先輩は、何でもない顔でカップにスティックシュガーを落としながら言う。


「いや、マニュアルないのと同じでは!?」

 案の定、冊子をぱらぱらとめくってみても、活字ばかりの古臭い文章が並ぶばかりだ。

 図解ゼロ。手書きメモが挟まってる箇所すらある。

 もはや参考にならないレベル。


 午後になる頃には、俺は完全に報告書の海に沈んでいた。


 数字の羅列、見たこともない異能コード、計算式の嵐。

 モニターに並んだエクセルのセルがもう暗号にしか見えない。


「……先輩、もうダメです俺……書類って現場より辛いんですね……」

 机に額を打ち付けながら呻いた。


「そりゃそうよ」

 セリナ先輩は当然といった顔でカップラーメンにお湯を注いでいる。

「現場はまだ adrenaline 出るからね。デスクワークは純粋に精神を削るの」


 アドレナリン出ないと無理って言った!?


「……あ、ここ数字間違ってる」

 セリナ先輩が俺のモニターを覗き込み、無情な声を投げる。


「えっ!? また最初から!? もう心折れたんですけど!?」

 目の前が真っ暗になった。入力フォームは一度間違えれば最初からやり直しの地獄仕様。


「折ってる暇ないって」


 にやりと笑ったセリナ先輩は、湯気の立つカップラーメンをすすりながら、何気ない声でこう言った。


「保険会社の本当の地獄は、報告書作成と上司の決裁待ちよ」


 ――ゾッとした。

 その言葉が脳に突き刺さる。


 その後も、書類の嵐は終わらなかった。


 「ここハンコもらってきて」「数字が合わない」「再計算」……

 上司のデスクへ何度も差し戻され、修正してはまた誤差が出る。

 数字を直しても直しても合わない。もはや精神が削られきって、

 途中から自分が何を直しているのかすら分からなくなってきた。


 そんなとき、背後から声が落ちてきた。

「この仕事、辞めるなら今だよ」


 振り返ると、営業の中条さんが目の下のクマをさらに深くしながら、山のような書類を抱えて立っていた。

 顔は笑っているが、その目はまるで墓穴の底のように暗い。


「や、やめません……!」

 反射的に叫んでいた。

「辞めたらもう生きる術がないんで……!」


「……そうか」

 中条さんはどこか諦めたように頷くと、書類を俺の机の端に置いた。

「追加資料。目撃者証言と被害者リストの更新分」


「えっ、まだ増えるんですか!?」

 報告書の山がさらに高くなり、俺の心も一緒に折れかけた。


 夜、ようやくビルの外へ出ると、街灯の光がやけに眩しかった。

 終電が迫る駅前のざわめきが遠く聞こえる。


 俺は膝が笑いそうになるのを必死にこらえながら、

 心の底からつぶやいた。


「……現場よりデスクワークが地獄なんて、聞いてないんですけど……」


「ふっ」

 隣でセリナ先輩が、口元をゆがめて笑った。


「あんた、まだ現場と事務のダブル地獄を味わってないからね」

 夜風に髪を揺らしながら、ゆっくり振り向く。

「本番はこれからだよ、新人」


 その笑みが月明かりに照らされて悪魔のように見えたのは、俺の疲労のせいだけじゃないと思う。


 ――俺の異能保険会社ライフ、完全に終わった。

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