第6話 依頼人、その名はヨーコ
俺は寒さで目が覚めた。
身体は川の水で濡れている。
だいぶ流されたようだ。
あたりは暗くて現在位置がよくわからない。
遠くを見ると、明るく輝くガーファの城壁が見える。
あれから俺はどうなった。城壁から飛び降り、爆風に飛ばされ、お堀の川に飛び込んだ。それから流されてそれから……。
だめだ。記憶が曖昧だ。確かなのは、俺は無事逃げられた、ってことだ。
そうだ、アイオンは?
俺は身体中を点検した。中折れ帽を取り、レザージャケットを脱ぎ、サファリシャツを脱ぎ、カーキ色のズボンを……脱ぐまでもなかった。
アイオンはどこにもいない。
そうか、そうだった。俺がイケニエ女に襲われ、魔神や敵兵士に囲まれ、為すすべもなく殺られそうになったところを、アイオンは駆け付けてくれたんだ。
アイオンはその後どうなった?
……。
俺はアイオンを見捨てて逃げてきたんだ。
……ここは態勢を立て直さなければ。
俺のアジトがある「アルカナ」に戻って残りのスライムさんと合流し、また「ガーファ」に戻って来る。
待っていてくれ、アイオン。
カスリーンとルースは熱光線で殺された。
デラとジュディスは敵兵士もろとも熱光線で……。
キティとジェーンはガレキの下敷き。
みんなのことは忘れない。
懐かしのわが街が見えてきた。
疲労が身体中を食い尽くすようだ。「ガーファ」からわが街「アルカナ」まで断続的に敵兵士に襲われている。
やはりこちらの居場所が判るのか。
そうとしか思えない。
ただ不思議なのは、イケニエ女がその中にいないことだ。
俺のことを諦めたのか?
まさかね……。
イケニエ女が追ってくることに、俺は確信的な自信を持っていた。
辺りは薄暗くなり、間もなく本格的な夜の街となる。
俺は城壁の門が閉まるギリギリのタイミングで街中に滑り込んだ。
これで敵兵士も城壁の中には入れまい。
城壁を抜けるといきなり大通りに出る。
まっすぐ進めば神殿が。
右手には同じような家が連なる住宅街。
左手にはこれまた同じような家が連なる、でも年季の入った古い住宅街。
俺は左手に足を向け歩き出す。
街は錬金術師が作り出した魔光石によって、夜でも石畳の道路を明るく照らす。
やがて道は練金工場、そして飲み屋街へと繋がっていく。
飲み屋街などは明々(あかあか)と魔光石が光り輝き、まるで昼間かと思うばかりの明るさだ。
俺は光さす方ではなく、闇深き方へと疲れた身体を鞭打って歩いた。
町はずれにやってきた。
塀を巡らせた大豪邸。これぞわが家。
俺は塀の一角にある小さな扉のカギを開け中に入った。塀の中には大きさはそこそこだがボロ小屋が一軒。
訂正、このボロ小屋がわが家です。
この大豪邸がわが家ならなー。
いつもそう思う。
この豪邸の庭先を借りているのだ。
いくらボロ家とはいっても、そこは我が家。俺を待っていてくれる、ノーラ、オーラの顔を思い浮かべた。いや、スライムさんに顔は無いな。
まあいい。
会いたい、今すぐに会いたい。会ってプリンプリンとした体の中に埋もれたい。
いや、駄目だ。俺の居場所は奴らに筒抜けだ。俺が家の中に入れば、奴らが襲ってくる可能性もゼロではない。でもここは城壁の中。敵もここまでは追って来ないだろう。
でも、もしかしたら襲ってくるかも……。
ノーラたちを危険な目に合わせるわけにはいかないよな。
でも……。
俺はどうしようか必死になって考えた。そして出した結論は……。
「おお、ノーラ、オーラ、会いたかったよ」
俺はスライムさん飼育部屋、通称「スライムさんの部屋」に入ると、筒型水槽のフタを開け茶色のノーラを出す。そしてノーラに頬ずりをした。
「このプリンプリンとした肌触り、最高だ。そしてこのニオイ」
俺はノーラのニオイを思いっきり吸い込んだ。おひさまの匂いが鼻孔いっぱいに広がる。
オーラの水槽も開けなければ。
俺は桃色のオーラを水槽から出す。
「おお、オーラ。元気だったか」
さっそく電気信号を交換する。
ごめんな、長い間留守にして。
「おお、やだね。気持ち悪いったらありゃしない」
憩いの時間を邪魔する声。この声には聞き覚えがある。
女だ。見知った顔だ。俺に取って、女難とはこの女のことだろう。
こいつはヨーコ。
俺に色々な面倒ごと――いや、仕事を紹介してくれるエージェントだ。
この女はとにかくでかい。
態度がでかい。胸がでかい。お尻がでかい。
しかも俺より背もでかい。
年齢不明、住所不明、経歴不明……。ただ一つ言えることは、この女とはビジネスで繋がっているだけ、ということだ。
「なんだお前、どうやって入った」
「嫌だ、合鍵もらったでしょ」
隣の部屋から現れたヨーコは、意味ありげに笑った。
「それはお前が契約をたてに、無理やり作ったんだろ」
「でもこうやってアンタに仕事を回してやってるだろ。そうじゃなきゃね……」
ヨーコはスライムさんに近づいた。
「この可愛い子ちゃんたちも飼っていけないよ」
「仕事を回してくれるのは感謝しているが、今回の仕事はちょっとやばいぜ」
俺は中折れ帽をおさえた。
「その様子じゃあ、失敗したみたいだね」
「いや、お前の依頼……生贄の儀式は阻止した。だがイケニエの女に襲われて……このざまだ」
「魔神は? アンタまさか魔神と戦ってないでしょうね」
魔神との戦いはヨーコの依頼には含まれていない……。
どう報告したものか。
「魔神と戦った。生贄の儀式を阻止するには仕方がなかったんだ」
多少事実とは違うが、これくらいの誤差はあっていいだろう。
「魔神と戦ったのかい? アンタの透明なスライムを使えば、隠密理に生贄の儀式を阻止できたと思うけどね……」
ギクリ。やはり鋭い。
「それで? 魔神は倒せたのかい?」
「あと一歩のところで討ちもらした。惜しいな〜。あともうチョットだったのに」
正直に言えない、男のプライド。
これが男の弱さか……。
「そのまま魔神を倒してくれれば良かったのに。アンタのスライムたちには、その実力があるよ」
嬉しいことをおっしゃる。態度がデカイ割に、男のプライドを守ってくれる優しさがこのヨーコにはある。
「ああ、分かっているさ。悪いがすぐにでもガーファに向かいたい。金がいる」
「そうなのかい? しょうがないね。ほれ」
ヨーコから小切手を手渡された。俺は小切手の金額を確認する。
10万ピアか……。
「もう少し貰いたいところだな。敵兵士の数が多いとは聞いていたが、あの魔神は厄介だ」
「そんなこと言って良いのかい? 渡したお金はアンタの借金になるんだよ」
「なにっ、経費で落ちないのか?」
「当然でしょ。さっきの10万ピアもアンタの借金だからね」
「そんな……こっちはスライムさんを……」
失った、と言いかけて俺は口をつぐんだ。
危ない危ない。
コイツに弱みを見せてはいけない。弱みを見せた途端に報酬を下げられる。
それにしても、これ以上借金を増やすわけには……。でもアイオンを救う必要がある。
俺は中折れ帽を取り、髪をかきあげた。
そうだ、ここは必要経費を精算して借金をわずかでも減らそう。
「ヨーコさん、ちょっとこれを見てくださいよ」
俺は着ているレザージャケットを指さした。
「今回の戦いでボロボロになっちゃいました。さらに、イケニエ女に逆恨みされて付きまとわれているんです。ガーファからアルカナまで毎日のように襲われています。これも経費で請求したいんですけど」
俺はわざとらしく丁寧な口調で言った。
イケニエ女に毎日襲われてはいないが、少しばかり話をおおげさにしてもよいだろう。
「で、いくらだい?」
ヨーコが呆れながらも聞いてくる。
待ってましたとばかりに、
「俺の装備一式、10万」「イケニエ女に襲われた肉体的苦痛と精神的苦痛に、100万」「ガードマン付き豪華VIP用ホテル代、一泊30万」「そのホテル代を七日分」「まあそんなところでしょうかね」
俺は一気にまくし立てた。
「アンタ、敵に襲われた割には豪華旅行を満喫しているじゃないか」
ヨーコがツッコミを入れてくる。
「違うぞ! これは必要経費だ。夜くらいグッスリ寝かせてくれないと、満足に戦えないだろ?」
「はいはい、まあ大変だったね。それじゃあ計算して、と。今回でアンタの借金は20万ルピ増えたね」
おかしい、借金が増えている。
「なんで借金が増えるんだ」
「アンタ、私にスライムを世話させたでしょ。私の時給は高いんだよ」
くっ、スライムさんを失った上に、借金を増やしてしまうとは……。
俺は中折れ帽をおさえた。
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