91.兎との別れ
「よし……森を抜けるぞ」
「ああ、シャバの空気が美味しいですの!」
深層を抜けて二日。
特に問題も生じることはなく、誰一人欠けることもなく『リュカオンの森』を抜けることができた。
「ち、近くに村がありまひゅっ、そこに泊まって休んでから帝都に向かうと良いでしゅ!」
「ああ……ここまで案内ご苦労だったな。報酬は手渡しで良かったよな?」
「もちろんでしゅ……わっ、こんなにたくさんくれるでひゅのっ!?」
ここまで案内をしてくれたロータスに大量の金貨が詰まった袋を握らせる。
事前に提示されていた報酬額の三倍以上の金額だ。チップとしては多すぎるような気もするが、カイムは経済的には困ってないので問題ない。
「馬鹿な盗賊から奪い取ったあぶく銭だ。気にせず受け取っておけよ」
「ありがとう……でしゅ。たすかりまひゅ……」
ロータスが何度も頭を下げてくる。
彼女と一緒に旅をしたのは一週間ほどの短い期間であったが、これでお別れとなると物悲しいものがあった。
それはカイム以外も同じだったらしく、ティーとミリーシア悲しそうにロータスに別れを告げる。
「名残惜しいです……ここでお別れだなんて」
「そうですわ。この森ではすっかりお世話になってしまいましの」
「わ、私も寂しいでしゅ。ところで……その子はどうするんでしゅか?」
ロータスがカイムの傍らにいる幼女――リコスと名付けられた狼幼女に目を向ける。
出会った当初こそ足首まで伸び切ったボサボサの銀髪、体中が泥まみれだったリコスであったが……現在はそれなりに見れる外見になっていた。
女性陣によって髪は整えられ、服装もミリーシアが持っていた服のサイズを直したものを着ている。
泥を落として磨いた肌は白くて艶々。フワフワスカートのドレスを身に着けたリコスは、まるで貴族のお嬢様のような姿になっていた。
銀髪と緑の瞳からは高貴そうな雰囲気も漂っており、ひょっとしたら、どこかの貴族の落胤なのかもしれない。
「帝都まで、連れてくでしゅか? 危なくないでしゅか?」
ロータスには帝都に向かう目的について話していない。
だが……道中でのミリーシアやレンカの空気から、何か殺伐とした事情があって帝都に向かっているのだろうと察していた。
「そうだな……さすがに帝都まで連れていくのは問題があるか」
カイムも同意して頷いた。
カイムらが帝都に向かっているのは二人の皇子に会って、内乱の勃発を阻止するためである。
後継者争いによって内乱発生が目前となっている帝国において、後続のお膝元である帝都は必ずしも安全な場所ではない。
年端もいかない幼女を連れていくのは、危険に巻き込んでしまう可能性があった。
「ですが……置いていくにしても、どちらに預ければ良いのでしょう?」
ミリーシアが表情を曇らせる。
好きで連れ回しているわけではないが……いくら何でも、リコスを無責任に捨てていくわけにはいかなかった。
道中で置いていくにしても、信頼できる人や場所に預ける必要がある。
「孤児院であれば預かってくれるかもしれませんが……場所によっては劣悪な環境の所もあります。それに……この子は魔物に育てられ、人の言葉を話すこともままなりません。預かってくれる場所があるかどうか……」
帝国は諸国の中では裕福な国であったが、孤児に十分な支援を与えられる制度までは整っていなかった。
孤児院は領主や豪商など有力者の援助によって成り立っていることが多い。運良くパトロンに恵まれていれば良いが、そうでない孤児院の待遇はかなり悪い。
酷い場所なら、子供を奴隷として売り飛ばしたり、虐待をしたりしている場所もあるくらいだ。迂闊に預けるわけにはいかない。
「帝都に行けば、亡くなった母が設立した孤児院があります。そこの院長とは顔見知りですし、十分な支援を与えてくれるはずです」
「信頼できる人間に預けるとなれば、結局は帝都まで行かなくてはいけないわけか……目的地は変わらないな」
帝都に行ってすぐに孤児院に預ければ、危険に巻き込まれることもないだろう。
カイムは仕方がなしにリコスを帝都まで連れていくことを決定する。
「そ、そういうことなら安心でしゅ……それじゃあ、私はこれで失礼しまひゅ……」
「失礼するって……おいおい、まだ村にもついていないのに何処に行くんだよ。あちら側に戻るにせよ、村で一泊してから帰ったらどうだ?」
「大丈夫でひゅ。野宿なら慣れてますし、宿に泊まるよりもそっちの方が居心地が良いでしゅから」
「お前が良いのなら構わないが……世話になったな。元気でやってくれ」
「はひ、皆様もお気をちゅけて」
ロータスはロップイヤーの耳を揺らしながら森に戻っていく。
「それじゃあ、ありがとでした! みなしゃん、どうかお元気で!」
ロータスが舌足らずな声で別れの言葉を告げながら、リュカオンの森に戻っていった。
魔境の案内人である兎耳の獣人をミリーシアやティーが手を振って見送る。
「良い子でしたね。ロータスさん」
「がう、とても可愛らしい子でしたわ。このまま旅に連れていきたいくらいに」
「おいおい……ガキばっかり増やしてどうするんだよ。ここが孤児院になっちまうだろうが」
カイムが呆れた口調で言って、森のそばにある村に足を向ける。
「それじゃあ、村で休んだら帝都とやらに出発しようか。いよいよ、この旅も終わりに近づいてきたな……ザワザワするぜ」
ミリーシアと出会ったことで始まった帝都への旅もいよいよ大詰めである。
用心棒として雇われて同行したカイムであったが、遠くない未来にその仕事も終わることになるだろう。
(とはいえ……ミリーシアやレンカと離れるヴィジョンは浮かばないな)
「久しぶりに屋根のある家に泊まれますね」
「ええ、気を張り詰めていたからつかれてしまいました」
「今夜は久しぶりにハッスルしますの! 楽しみですわ!」
華やいだ声で言いあっている三人の女性陣に、カイムはブルリと背筋を震わせた。
その日、村で宿をとったカイムは予想通りに三人の獣に襲われることになる。
リコスが寝つくや豹変した彼女らに、カイムはリュカオンの長と戦った時以上の戦慄を感じさせられるのであった。




