89.狼幼女
「えっと……女の子、ですよね?」
「どうして、こんな森の中に少女が……?」
突如として現れた少女……いや、幼女の姿を見て、ミリーシアとレンカが顔を合わせて首を傾げる。
彼女の年齢は十歳に満たないほどに見えた。足首に届くほどの長さのボサボサの銀髪。服装はボロボロになった白のローブの上に獣の皮をまとっている。
野生児とでも呼ぶしかないような格好だ。かつて、森の中で一人暮らしをしていた頃のカイムでさえ、もっとマシな格好をしていた気がする。
「ん……」
幼女は裸足でトツトツと歩いてきて、倒れている魔狼王の死体を見上げた。
胸から血を流した魔狼王はすでに絶命している。幼女は緑色の瞳を悲しげに揺らして、カイムの方に向き直った。
「ん……」
「…………おい」
幼女がカイムの傍らまで歩いてきて、右手を掴んでくる。
カイムの顔をぼんやりとした眼差しで見上げる幼女。何を考えているのか、まったくとしてわからなかった。
得体の知れない幼女。ここが町であれば孤児か何かかと思うのだろうが……ここは人外魔境。怪物の巣窟である。
目の前にいる幼女が本当に人間なのかもわからない。怪物が化けたものであると言われた方がまた信憑性があった。
「カイム様!」
「ム……!」
ティーが叫んだ。
同時に、カイムも気がつく。
巨大な木々が生い茂った深い森の中からミシミシと木の枝を踏む音が鳴り、虎のように大きな狼が現れる。
一匹ではない。数は十匹以上もいる。魔狼王よりもかなりサイズは小さいが……間違いない。リュカオンの仲間だろう。
「リュカオンの群れのようだが……敵意はないようだな」
リュカオンの群れはカイムらに構うことなく、倒れ伏した魔狼王に向かっていく。
そして……何を思ったか魔狼王の亡骸に喰らいつき、死肉を貪りはじめた。
「共食い、ですの……」
「何をしているのでしょう……」
ティーが眉をひそめ、ミリーシアも凄惨な光景に顔を青ざめさせている。
仲間の死体を食べているリュカオンの姿に一同は驚きを隠せないが、唯一、ロータスだけが訳知り顔で口を開く。
「……長の代替わりでしゅ。死んだ群れの長を食べて、力を取り込んでいるのでひゅ」
「力を取り込む……?」
「魔境の魔物は血も肉も強い力が宿ってるでしゅ……それを取り込むことで若い個体が力を蓄え、他の生き物に力を奪われることを防いでるのだと思いまひゅ……」
「なるほどな……」
老狼の亡骸を若い狼が喰らうことで、体内に蓄えている力を継承する。そうして、一族の力が弱体化しないようにしているのだ。
他の魔物に亡骸を奪われれば、彼らを強化させてしまうことになる。それを防止するうえでも仲間の死体を放置しておくわけにはいかないのだろう。
十匹のリュカオンは魔狼王の死体を骨も残さず食べ尽くし……カイムらの方へと視線を移す。
否、見られているのはカイムではなく銀髪の幼女だ。リュカオンの赤い瞳に小さな幼女が映し出される。
「クウッ」
「くうっ」
リュカオンの鳴き声に幼女が答える。
リュカオンは満足したように頷いて、森の中へと帰っていった。
「もしかして……この子のこと、任されたんじゃないですの?」
ティーが首を傾げながら、ふとした思いつきを口にする。
「知能の高い獣や魔物が、人の子供を拾って育てるという話を聞いたことがありますわ。もしかしたら……この子もそうやって、リュカオンに育てられたんじゃないですの?」
「そんな馬鹿な……魔物が人間を育てるだなんて……」
「私もおかしな話だとは思いますけど……獣人は人間と獣が心を通わせ、交わって生まれた存在だという伝承もありますわ。眉唾ですけれど」
「…………」
ティーの言葉は信じがたいものだったが……特に否定する材料はない。
どちらにしても、この幼女がリュカオンらと共存していたのは確か。それは先ほどのやり取りからも伺える。
ミリーシアも同じように考えているのか、難しい表情で頷いた。
「ひょっとして……狼の長が魔石を引き抜いて私達に渡してきたのは、対価なのではないでしょうか? 貴重な魔石を渡すことと引き換えに、世話をしていた人間の子供を引き取って欲しいと……そう言っていたのではないでしょうか?」
「そういえば……最後にそれらしいことを言っていたな。『共に生きろ』だったか」
『共に生きよ。人の子は人の子として』
それは魔狼王が最後に残した遺言であった。
意味の分からない発言であったが……あれはカイムらに対してではなく、この幼女に向けて放たれた言葉なのだ。
どういう経緯かはわからないが、狼に育てられた娘に『森を出て人として生きるように』と突き放したのである。
「…………」
幼女はカイムの手を握りしめたままである。
魔狼王の……母親の言いつけを守っているのか、カイムのそばから離れようとしなかった。
「置いていくわけには……いかないよな。いくらなんでも」
魔石をもらっていなかったとしても、魔物が跳梁跋扈している魔境に幼女を放置していくわけにはいかない。
カイムは諦めたように肩を落として、幼女の手を握り返した。
「……いいだろう。連れて行ってやる。どこまでの付き合いになるかは知らんがな」
「……ですね」
途方に暮れたような様子のカイムに、ミリーシアも困ったような微笑みを浮かべたのであった。
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