84.夜の訪問者
それから、何度か魔物の襲撃を受けることになった。
しかし、カイムにとって強敵と呼べるほどの魔物は出現しない。
カイムは時に自分で対処し、時にレンカやティーに任せて戦わせ……特に危ない場面もなく魔物を倒すことができた。
最大の懸念は森で迷って遭難してしまうことだったが、中層に足を踏み入れてしばらく経つと『散歩する木』の花粉にも慣れてきて、目のかすみなども治ってきた。
森のあちこちに催眠作用のある胞子を出すキノコや、人間の声を真似して誘い出す猿などがいて迷わせようとしてきたが……ロータスの案内のおかげで回避することができている。
カイムらは順調に森を進んでいき、その日の夕暮れを迎えた。
「今日はここで野営か……」
「よ、夜はテントから出ないように気をつけてくだしゃいっ」
テントを張り、野営の準備をしているカイムらにロータスがおどおどと言う。
「魔物除けのお薬は撒いてておきましゅけど、絶対じゃないです。それに人を惑わせて誘い込むオバケとかも出ましゅし……くれぐれも、出歩いたりしないでくださいですっ」
「ああ、了解した……みんなもいいよな?」
「もちろんです。わざわざ危地に飛び込んだりはいたしません」
視線で問うと、ミリーシアが代表して答えた。
やめろと言われてあえて愚行に走るほど、カイムも仲間達もひねくれてはいない。
「いい加減にお腹も減ってきましたの……ペコペコですわ」
「む……私もだ。今日は歩きっぱなしだったからな」
テントを張り終えたティーとレンカが空腹を訴える。
腹が減っているのはカイムも同じだった。森の中層に入ってから何も食べていない。
「そうだな……何か食べたいところだが、火でも起こすか?」
「ひ、火を点けたらダメでしゅ……魔物が寄ってくるかもしれないでしゅし、魔力を吸った焚き火が暴発することもあるです……」
「暴発……そういうこともあるのか。恐るべし魔境だな」
カイムは呆れ混じりに肩を落とす。
自然界に存在する魔力……『魔素』とも『マナ』とも呼ばれているそれは動植物に影響をもたらし、魔物化させることがある。それだけではなく、炎や水のような自然物にも様々な影響を与えるのだ。
魔力を燃料とした火が勢いを増して燃え広がることがあるため、魔境では迂闊に焚き火を起こすこともできないのである。
「だ、だから今夜は保存食でしゅ……ごめんなしゃい」
「ロータスさんが悪いわけではありませんよ。気になさらないでください」
「そうですの、ティーは干し肉が大好きだから構いませんわ」
何故か責任を感じて落ち込んでいるロータスを、ミリーシアとティーが慰める。
レンカは率先して食事の準備をしており、荷物の中から保存食を取り出して配っていく。
「乾パンと干し肉。まあ、数日の辛抱となれば仕方がないな」
「ああ、騎士団でも遠征中はこういうことがあった。問題はないな」
俺とレンカが率先して保存食をかじり、他の面々も食事を始めていく。
魔境という危険地帯であるため、和気藹々とおしゃべりをしながら食事をするわけにはいかなかったが……それでも、カイムらは和やかな様子で食事をする。
丸一日を森で過ごしたおかげで、だいぶこの環境にも慣れて余裕が生まれていた。
「だ、だけど油断はしないでくだしゃいっ。ここは魔境ですですっ」
「わかっているとも。だからテントも一つなんだろう?」
「はいでしゅ」
防犯のため、一行は同じテントで眠ることになっていた。大きめのテントに身体を詰めて横になる。
順番で見張りをするようにレンカが申し出たのだが……その提案はロータスによって却下された。
「み、見張りのために一人になったら誘われていなくなっちゃかもかもでしゅ! かえって危ないでふっ!」
中途半端な警戒は、魔境において、かえって逆効果であるらしい。
起きていることでかえって気配を発してしまい、魔物を引き寄せる恐れもあるそうだ。
「私だったら、眠ったままでも警戒できますですっ、だから……皆さんは安心して眠ってくだしゃいですっ!」
「そ、そうか? それではお言葉に甘えるとしようか……」
両手を握りしめて「ムンッ!」と主張するロータスに、レンカも軽くたじろぎながら頷いた。
小さな少女に見張りを任せてしまうことに罪悪感があるようだが……この森の専門家であるロータスがそう主張するのであれば、否とは言えないようだ。
カイム達はテントで横に並んで眠ることになった。もちろん、状況をわきまえていつものような「お遊び」はしない。
欲求不満そうな女性陣にロータスが首を傾げていたが、説明できるわけがなかった。
カイム達はテントで就寝し、夜は更けていく。
昼間、歩き続けたからだろう。彼らは意外なほど深い眠りにつくことができた。ロータスが撒いた魔物除けが効いているらしく魔物の襲撃などもない。
その瞬間が訪れるまでは。
「ッ……!」
深夜、草木も寝静まるであろう時間になって、カイムがテントの中で飛び起きた。
突如として尋常ではない気配を感じたのだ。
「ひうっ……」
横を見れば、ミリーシアとレンカを挟んだ向こうに寝ていたロータスも起きている。両腕で自分の身体を抱きしめるようにしてブルブルと震えていた。
「……他の連中はおねむかよ。鈍いことだ」
「スー、スー……」
「ムニャムニャ……カイム様、そこはダメですの……」
カイムとロータスを除いた面々はまだ寝息を立てている。
「ううっ……尻にそんなものを入れたら……くっ、殺せえ……」
「どんな夢だよ。まったく……」
ミリーシアとレンカはともかくとして、気配に敏感な獣人のティーまで起きないのは妙である。
魔境の空気に完全に適応できておらず、感覚が鈍っているのだろうか?
「お、おきゃくしゃ……」
「そのまま寝てろ。起きなくていい」
起き上がろうとするロータスに短く命じて、カイムはそっとテントから出た。
テントから出ると周囲は暗闇に包まれていたが、地面から淡い燐光のようなものがうっすらと浮かんできている。
大地から噴き出した魔力が月と星の光を反射しているのだ。
「視界には困らないが、睡眠を邪魔されたのは少し不愉快だな……それで……やるのか?」
『…………』
カイムは生い茂る木々の向こうに向かって問いかける。
強烈な気配がテントの中まで届いたものの、気配の主は姿を見せることなく森の中に隠れていた。
しかし、こちらを窺っているのは間違いない。
皮膚に太い針を刺されるような強い眼光をカイムは感じ取っていた。
「威嚇のつもりか? これ以上、森に入ることは許さない……そう言いたいのか?」
『…………』
「……違うのか。だったら何の用事だよ」
カイムは伝わってくる気配だけで姿なき何者かの意図を探ろうとした。
しかし……さすがに出てくる様子のない何者かに苛立ちが募っていき、眠りを妨げられた怒りも湧いてくる。
「やる気がないのならとっとと消えろ。さもないと……!」
『…………!』
こちらから殺るぞ。
そんな意思を込めて毒性のある魔力を放つと……一瞬で森の中の気配が消失した。
カイムに勝てないと思ったのか、無駄な戦いはしないということか。
「どちらにせよ、賢いな。ただの獣じゃなさそうだ」
カイムの危険性を理解できる程度の知恵はあるようだ。
気配の強さからして、かなりの強者に違いないのだろうが……さらに知恵まで身に付けているとなれば脅威である。
「森を出るまで相まみえたくはないが……そうはいかないな」
敵として戦うことになるかはわからない。
だが、気配の主とはまた遭遇することになる……そんな予感がした。
「フンッ……」
カイムは鼻を鳴らして森の向こうを睨みつけ、テントの中に戻っていくのであった。
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