81.リュカオンの森
ギルドでのやり取りを終えて、カイムらは町を後にした。
この町で過ごしたのは三日に満たない短い期間だったが、ギルドでの決闘やらアンデッドの討伐やら、それなりに濃厚な日々だった気がする。
町を出たカイムは少し離れた場所にある『リュカオンの森』へと向かう。
この森を突っ切ることで、憲兵隊など追手の目を誤魔化すことができ、さらには帝都への道を大きくショートカットすることができるのだ。
「そ、それでは、これから『リュカオンの森』に入りまひゅっ!」
森の入口に立って、案内人である黒兎の獣人――ロータスが涙目で宣言した。
ギルドから紹介された案内役である彼女は恐縮しきった様子で、身体はガチガチ、言葉は噛み噛みになっている。
どうして案内役が一番緊張しているのだとツッコミたくなるような姿である。
「リュカオンの森が魔境と呼ばれている理由は、ここがマナが大量に噴き出てくるポイントの一つだからですっ。芳醇なマナを吸って成長した魔物が多数生息していまひゅっ」
「つまり、強力な魔物がいるから危険……ということだな?」
カイムの問いにロータスがコクコクと何度も頷く。
「はひっ。魔物も強力ですけど、それに加えてこの森には『マヨイダケ』キノコが自生しています。このキノコから放出される胞子は人間の方向感覚を狂わせて、おまけに磁石などにも不具合を生じさせる効果があります。そうやって旅人を迷わせて行き倒れにさせた死体に胞子を植え付けて、苗床にするというのがこのキノコの習性でしゅ」
「ひえっ……」
「惨いな……」
えげつないキノコの性質を聞き、ミリーシアとレンカが身震いをする。
何も知らず、案内人もつけずに森に入っていたら、カイムらもそんな哀れな旅人の仲間入りをしていたかもしれない。
(俺には胞子は効かないだろうが……深い森を迷うことなく進める自信はないからな。やはり案内人を頼んで正解だったかもしれん)
「森は浅層、中層、深層の三つに分かれてまひゅ。浅層までだったら危険もなく、魔物もほとんど出ないので地元の人間が薬草取りをしたりしてますけど、中層以降は案内役がいないと命にかかわりましゅ。くれぐれもはぐれないようにご注意してくださひ」
説明を終えるや、ロータスがクルリと回ってカイムらに背中を向ける。ロップイヤーの耳が横に揺れて弧を描く。
「それでは、森に入るましゅね。浅層では危険は少ないでしゅけど……遅れないようにしてくだしゃい」
「承知した」
大きな背嚢を背負ったロータスが落ち葉を踏みしめ、森の中に入っていった。
その後ろをカイムが続き、ミリーシアとレンカが横に並んで、最後尾をティーがついていく。事前に決めておいた隊列である。
リュカオンの森。
近隣の村や町の住民からは魔境と呼ばれて恐れられている場所であったが、入口に近い部分では特に妖しげなことは起こらなかった。
普通の森と変わらずに木々が生い茂っており、小鳥や小動物の姿も見られる。見覚えのあるキノコや薬草も生えていた。
「へえ……大したものだな」
ロータスの後ろを歩きながら、カイムは小声で感嘆する。
前方を歩くロータスであったが、彼女はほとんど足音を立てることなく歩いていた。足音だけではなく、衣擦れや荷物が揺れる音もほとんどしない。
気配も限りなく薄められているため、よほど勘の良い人間でもない限り、真後ろに立たれたとしても気がつくことはないだろう。
(これが熟練のスカウトというものなのか……戦闘ではまるで負ける気がしないが、コイツが本気で潜伏したら俺だって見つけられないだろうな。ギルドマスターが推薦するわけだぜ。この隠密術は見習う価値がある)
カイムは後方からロータスの足さばきや両腕の動きを観察する。
手足の動きを真似て、少しずつ彼女の動きに身体を近づけていく。
ぶれない体幹。静寂でありながらもしっかりとした足腰の動きは熟練の格闘家にも通じるものがある。『闘鬼神流』という武闘術をかじっているカイムだからこそ、それがよほどの訓練を積んだものであるとわかった。
(身体の動きだけではない……呼吸もだ)
重い荷物を背負いながらも少しも乱れることのない静かな呼吸音も、ロータスの熟達した腕前を保証している。
(この動きは格闘術に応用できる。完全にコピーすることができれば、俺は武人としてさらに高みに昇れるかもしれないな……)
カイムが動きを真似していると、ロータスが不思議そうに振り返ってきた。
「…………?」
ロータスはカイムの顔を一瞥すると、また前方に視線を戻す。
どうやら、カイムの気配がわずかに希薄になったのを感じ取って振り返ったらしい。気配察知も一流のようだ。
そのまま歩くこと一時間。
道中では特に会話もなく、順調に森を進んでいった。
しかし、唐突にロータスが立ち止まった。それまで迷いなく歩いていたはずなのに、どこか緊張した様子で。
「こ、ここからが中層になりましゅ。危険度も跳ね上がるので注意してくだしゃい」
「ここが……特に変わったようには見えないが?」
隊の中央を歩いていたレンカが怪訝な顔をしている。ミリーシアも不思議そうに周囲を見回し、ふと口を開く。
「そういえば……周囲の魔力が濃くなったような気がします。空気が重くなったような……少しだけ、アンデッドに支配されていた村と近いような……?」
そこは一見すると普通の森と変わらない。木々が生い茂っており、地面には枝葉が落ちていた。
だが……鋭敏な魔力感知を持つ者だけは理解することができる。
同じ森だというのに、まるで見えない壁が立ちふさがっているかのように魔力の濃度が一気に濃くなっていることが。
「なるほどな……ようやく魔境が本当の姿を見せたわけか」
同じく、雰囲気の変化に気がついたカイムが唇を舐める。
よくよく感覚を研ぎ澄ませてみれば、周囲から小動物の気配も消えていた。この先には野生動物も近寄らないのだろう。
魔境――『リュカオンの森』
ここからが本当の探索の始まりであった。
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