幕間 蟲毒の王
side 帝都
アーサー・ガーネット。御年三十二歳。
帝国第一皇子であるその男は、かつて戦場でその生を受けた。
アーサーの母親は皇帝の妻にして皇妃だった。
皇帝の名代としてとある小国へと慰問に訪れていた彼女であったが、突如として勃発した内乱に巻き込まれてしまう。
戦乱の最中に巻き込まれた皇妃は帝国に帰ることもままならなくなり、一年以上も戦場と化した小国に滞在することになってしまった。
そして、皇妃は孕んでいた子を戦火の中で産み落とした。それがアーサーである。
戦場で生まれたアーサーはその出生に違うことなく、卓越した武人として育った。
武人としては帝国随一。軍学や帝王学にも深く理解を示しており、次代の皇帝としての才覚を幼い頃から示している。
そんなアーサーであったが……いまだに皇太子には任じられていなかった。
正妻である皇妃の息子。それも第一皇子。王としての才覚もあるとなれば皇太子への任命を妨げるものはないように思えたが……アーサーには大きな欠点があったのだ。
巨大すぎる支配欲。圧倒的な闘争本能。
アーサーは帝国の次期皇帝という地位には満足していなかった。それよりもさらに上……大陸の覇者を志していたのである。
戦場で生を受けたことが原因か。
それとも戦乱の覇者である初代皇帝の血を色濃く受け継ぎ過ぎたのか。
アーサー・ガーネットは戦を好む戦闘狂となって育ち、皇帝となって他国に侵略戦争を仕掛けることを目論むようになったのである。
「そうか……ランスが帝都を出たか」
ガーネット帝国。帝都にある皇城にて。
執務室の椅子に座って、アーサー・ガーネットは溜息をついた。
本来、この部屋は皇帝が政務を行うための部屋だったが、数ヵ月前に部屋の主が病に倒れてからはアーサーが執務を代行していた。
「いかがいたしましょう? 追撃いたしますか?」
尋ねたのは部屋の入口にたった黒鎧の騎士。
白いヒゲを生やした六十代ほどの男で、年齢に違わぬ貫禄と経験を匂わせている。
「ランス殿下はいずれ、必ずやアーサー殿下の前に立ちふさがるでしょう。御命令いただければ、すぐにでもこのガウェインめが後顧の憂いを断って御覧に入れましょう」
男の名前はガウェイン・ヴァーミリアン。
アーサーに仕える臣下の中でも最古株の一人にして『双翼』の右。
『鉄血の騎士』という異名で恐れられ、武勇のみならず政治や外交にまで精通した優秀な騎士である。
もしもアーサーが許しを出せば、すぐにでもガウェインは兵士を率いてランスの首を獲ってくることだろう。それができるだけの実力と忠義を有していた。
「やめろ、予に愛しい弟を殺める命令を出せというのか? 兄が弟に兵を向けるなど馬鹿げている」
しかし、アーサーは首を振って忠臣の命令を却下する。
「たとえ志は違えっていれど、ランスは我が弟。そして、長兄は弟や妹を守るものであろう。兄が弟を殺めることを許す道理が何処にあるというのだ?」
「しかし……ランス殿下はアーサー殿下が皇帝となることを認めてはいません。領地に帰って力を蓄え、必ずや刃を向けてくるでしょう。なれば、ここで討っておくのが最善の手ではないでしょうか?」
「最善である必要などはない。ランスが予に立ち向かってきたのであれば、その時に討ち取れば済むだけのことだ」
アーサーは椅子に座って優雅に脚を組み、愉快そうに表情を肩を上下させる。
「それよりも……楽しみだとは思わぬか? 賢くもか弱き我が弟がどのようにして予に立ち向かってくるのか。いかなる手段を用いてこの兄を弑逆しようとしてくるのか。考えるだけで愉快になってくる。頼むから予の楽しみを奪ってくれるなよ……マーリンもわかっているだろうな?」
「もちろんですよー、我が君」
アーサーの言葉に応えたのは部屋にいるもう一人の人物。壁際にあるソファに寝転がったドレス姿の女性である。
スリットから大胆に脚を覗かせて寝転がっているのは紫色の髪の美女。
ガウェインと同じくアーサーに仕えている古参の臣下。『双翼』の左にして、『全知』という異名で呼ばれる大魔術師――マーリン・ラプラスである。
神算鬼謀。卓越しすぎた頭脳から未来を予知することすら可能とするマーリンには、ランスがこれからどう行動するのかが手に取るようにわかっていた。
もちろん、それを伝えて主人の楽しみを奪うようなことはしないのだが……マーリンが肩をすくめて溜息をつく。
「だけど……我が君を愉しませることができるほど、ランス殿下が『デキる』人間であるとは思えないね。どうせ最後は我が君が勝つ。これは九割九分九厘の確率で決まった未来だよ」
「一厘の確率で外れるということだろう。ランスも予の弟だ。それくらいして見せるだけの器量と運は持っているだろう?」
「んー……どうかなー。できるかなー?」
マーリンは皮肉そうに唇を吊り上げる。
マーリンの目から見て、弟のランス皇子がそれほどの傑物には見えなかった。
一矢報いることができれば御の字。兄を討ち取ることなど大陸がひっくり返っても不可能に違いない。
「僕の予知は絶対ではない。知っていることの答えは出せるけれど、知らない情報、その場に存在しないはずの『駒』が介在すると外れることもある。チェスボードにオセロの駒が混じってきたら、誰にも勝負の結果が予想できなくなるみたいにね。ランス殿下の手勢に僕の計算を狂わせるカオスがあるとは思えないよ」
「ランス殿下の敗北は決まっている。アーサー殿下が率いている軍勢とは彼岸の戦力差がある。結果は貴殿でなくともわかること。ランス殿下が抵抗したところで犬死にしかなるまいて」
ガウェインも口を挟んでくる。
あまりにもな言い草であったが、その予想は正鵠を射ている。
圧倒的な武勇、好戦的な性格から軍派閥を味方につけているアーサーと穏健な性格のランスでは、動かせる兵力に大きな差があった。
両者が戦えばどんな結果になるのか……それはマーリンでなくとも見える未来である。
「それはそうだね、ガウェインさん。可能性があるとすれば僕の予想を超えたカオスがでてくることだけど……ランス殿下のそれを呼び込めるだけの運気があるかな? どちらかといえば、それだの運勢を持っているのはミリーシア殿下の方なんだけどね」
マーリンは少しだけ考えるような仕草を見て、もう一人の皇族の口を出す。
「ランス殿下の手引きで他国に亡命したらしいけど……彼女は神官だけあって妙に運が良い。まるで神様に守られているみたいに運命を引き寄せる力を持っている。ミリーシア殿下であれば、僕の予想を上回るような鬼札を引っ張ってくることも有り得るかもね。あくまでも髪の毛ほどの拙い可能性でしかないけれど……」
「何でも良い……我が弟が何を企もうと、妹が何を招き入れようと。予は長兄として受けて立つのみだ」
マーリンの言葉をさえぎって、アーサーが断じた。
ガウェインとマーリンはそろって口を閉ざして主君の言葉を傾聴する。
「帝国は大陸の覇者となる。そのためにも、我ら兄弟が争って高め合うことが必要だ。ランスにもミリーシアにも、もっともっと強くなってもらわねば困る。血を分けた兄弟が涙を流して喰らいあう……そんな地獄こそが覇者を産み落とすゆりかごにふさわしい」
アーサーは威厳と狂気に満ちた深い声で宣言した。
「帝国という名の『蟲毒』の王となるのは、このアーサー・ガーネットである! 予こそが大陸を制覇する唯一の皇帝であり、人類統一の唯一王なのだからな!」
アーサー・ガーネット。
まぎれもない覇者の風格を有したその男の目的は、帝国を戦場として兄弟で争うことにより、己の力を高めることにこそあった。
蠱毒の壺と化した帝国ではこれから様々な闘争が起こることになるだろう。そして、その全てを喰らってアーサーは覇者の階段を上っていく。
だが……アーサーはまだ知らなかった。
帝国という名の蟲毒の壺の中に予想だにしていない『毒虫』が入り込んでいることに。
自らが巨大な毒虫の餌となるかもしれない。そんな可能性に思い至っていなかったのである。
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