56.憲兵の狙い
憲兵の一人が馬車の中に乗り込んできた。
鎧を身に着けた憲兵が、馬車の座席に座っている乗客を一人一人確認していく。
「…………」
「…………」
カイムは固唾を飲んで拳を握りしめる。
隣にいるティー、対面に座るミリーシアとレンカからも緊張の気配が伝わってきた。
「ふむ……」
憲兵の視線がミリーシアに、その隣にいるレンカに差し掛かった。
カイムは動き出すべく座席から腰を上げようとする。
「違うな。もっと年齢は若いはずだ」
しかし、憲兵がそのまま二人の前を通り過ぎていく。
ミリーシアもレンカ、ついでにカイムとティーも全く見咎められることはなかった。
「…………?」
(どういうことだ? コイツら、ミリーシアを捕まえに来た追手じゃないのか?)
カイムは不思議そうな顔で通り過ぎた憲兵の背中を追いかける。
てっきりミリーシアを捕らえるために領主が放った追手かと思ったのだが、何事もなくスルーされた。
「おい、お前。そのフードを上げろ」
憲兵はそのまま馬車の奥に座っていた者――小柄でフードを目深にかぶった人物へと声をかける。
「…………」
「どうした? さっさとフードを取れ」
憲兵に繰り返し要求され、その人物が顔を隠しているフードに手をかけた。
そのままフードをまくり上げ、隠されていた顔があらわになり……
「ヤッ!」
「グッ……!?」
鋭く白刃が閃いた。
厚手のローブの下から飛び出してきたナイフが憲兵の首に突き刺さる。
「ついてないわね……私も、もちろん貴方も」
「ガハッ……」
倒れた憲兵を冷たい視線で見下ろし、その人物は憐れむように首を振る。
フードが剝がれ、現れたのはネイビーブルーの髪を編み込んだ小柄な少女だった。
外見の年齢は十代半ばほど。肉付きの薄いやせた身体つきで、見ようによっては少年にも見える容姿である。
顔立ちは可愛らしい……と言えなくもないのだが、瞳だけが極寒のごとく冷めていた。
少女が握ったナイフは憲兵の首をまっすぐ貫き、その切っ先は脳幹まで達している。
明らかな致命傷なのだが、少女はダメ押しとばかりに傷口をえぐってからナイフを引き抜いた。
「フンッ」
「きゃあああああああああああっ!?」
返り血が馬車の中に飛び散った。
若い女性の乗客が悲鳴を上げ、子供連れが我が子をかばって抱きかかえる。馬車の中が途端にパニックに包まれる。
「おいおい……どういう状況だよ!」
カイムが困惑しながらも腰を上げる。同時に対面に座っていたレンカも弾かれたように立ち、剣の柄に手をかけて叫ぶ。
「貴様! 何者だ!?」
「煩いわね。静かにして頂戴」
「ッ……!?」
その少女が馬車の中を滑るように駆けていく。
彼女の右手に握られた白刃が鋭く走り、今度はレンカの首を狙う。
「クッ……舐めるな!」
レンカも黙ってやられはしない。
鞘に入ったままの剣を盾にして、首を薙ごうとする斬撃を弾いた。
「そう、出来るのね。だけど……」
「ッ……!?」
いつの間にか少女の左手に別のナイフが握られていた。
首への斬撃を防御して無防備になったレンカ、その腹部へと左のナイフが突き出される。
「馬鹿が、やらせるかよ」
「え……?」
しかし、ナイフの切っ先がレンカの腹部をえぐるよりも先に、カイムの足払いが少女の両脚を刈る。
少女は咄嗟にナイフを手放し、馬車の床に受け身を取って体勢を立て直す。
「迅い……何者かしら?」
少女が警戒を込めてカイムを睨んできた。
カイムは濃紺の瞳を見返し、吐き捨てるように言葉をぶつける。
「お前が誰かは知らん。憲兵を殺したことについて文句を言うつもりもない。だが……お前が刺そうとしたのは俺の女だ。闘るつもりなら容赦はしない」
「…………」
カイムと少女はしばし睨み合うが、すぐに馬車の外から別の憲兵の怒号がかかる。
「おい、奴だ! ここにいるぞ!」
「捕まえろ! 馬車から引きずり出すんだ!」
「……騒がしいわね。今は貴方みたいのと戦っている場合じゃないわ。殺し合いは次に会ったときにしましょう」
憲兵の声を聴き、少女は両手のナイフを下げたまま馬車の外に出ていく。
カイムはあえて追うことなく、その背中を見送った。
「カイムさん……」
ミリーシアがカイムの名前を呼ばう。レンカとティーも同じように、カイムのことを不安そうに見つめている。
「……構うな。本人にやる気もないようだし、放っておけ」
カイムは警戒を抜くことなく応えて、少女が出ていった馬車の外へと目を向ける。
「出てきたぞ!」
「囲め、ここで捕らえるんだ!」
馬車の外では、外に出てきた少女を憲兵が取り囲んでいる。
どうやら、憲兵の目的はミリーシアではなく正体不明の少女だったらしい。
「間違いない。コイツだ……! 指名手配中の殺し屋――『首狩りロズベット』だ!」
「……鬱陶しいわね。そんなに大声を出さなくても聞こえているから、騒がないでもらいたいわ」
その少女――ロズベットはうんざりしたように溜息をつき、両手のナイフを構えたのである。
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