244.ランス・ガーネットという男
「逃げた……いったい、どこに……!」
煙が消えた時には、ランスの姿は玉座の間から消えていた。
毒に蝕まれている状態でどうやって逃げたのだろう。もしかして、アーサーがやったように命を削って無理やりに身体を動かしたのか。
「ランスお兄様っ! ランスお兄様っ!」
「落ち着け、ミリーシア……アイツ、いったいどこに行きやがった……!?」
帝国を滅ぼすと言っていたが……そんなことが可能なのだろうか。
ランスは軍勢を有してはいるものの、それはあくまでも帝国の軍隊。ランスの指示に従いはしているが、『ガーネット帝国を滅ぼせ』などという命令に従うとは思えない。
「カイム様っ!」
「姫様! カイム殿!」
玉座の間の扉が開いて、仲間達が駆け寄ってくる。
ティーとレンカ、ロズベットとリコスの姿もあった。
「何があったのかしら。外は大変なことになっているわよ?」
「大変なこと……?」
「城中から火が出ているのよ。イルダーナ団長を始めとした兵士達が消し止めているわ」
「!」
ロズベットの言葉にカイムが目を見開いた。
状況からして、ランスがやったと考えて間違いない。
帝国を滅ぼすという言葉は偽りではなかったのか、いったい何をしようとしているのだろう。
「クウッ! クウッ!」
リコスが高々と鳴いて、カイムの袖を引いた。
リコスが指差しているのは部屋の奥に設置された玉座である。
「玉座……もしかして、ここに何か…………お?」
カイムが玉座を蹴り倒すと、背後に人が屈んで通れるくらいの横穴があった。
状況からして……ランスはここを通って逃げたようだ。
「帝城には緊急時のために隠し通路があります。私も全てを把握しているわけではないのですが……!」
「そうか……奴が何をしようとしているのかは知らないが、追いかけた方が良さそうだな!」
カイムと仲間達が隠し通路に入る。
暗く、カビ臭い通路を足早に通り抜けていくと、途中で道が左右に分かれていた。
「リコス、どっちに行ったかわかるか?」
「クウ……」
リコスがスンスンと鼻を鳴らして、通路の悪臭にしかめっ面になる。
そして……左側の通路を指差した。
「こっちだな」
鼻が利くようで頼りになる。流石は狼幼女である。
カイム達が左側の通路を駆けていくと、通路の先は降る階段になっていた。長い階段を下りた先に光が見える。
「やあ、来たね。ミリーシア」
「ランスお兄様……!」
「追ってくると思っていたよ……正直、顔を見ずに済めばそっちの方が良いと思っていたんだけどね」
開けた空間。石造りの壁に囲まれた四角い部屋には窓はなく、代わりに天井に取り付けられた魔力灯が光源となっている。
部屋には二つの扉があった。一方はカイム達が今しがた入ってきた扉、もう一方は部屋の奥にいるランスのすぐ傍にある扉である。
奥にある扉は見るからに異様な雰囲気を放っていた。血のように真っ赤な扉で、幾重にも鎖が張られて厳重に施錠されている。
「ランスお兄様……何をしようとしているのかはわかりませんが、帝国を滅ぼすなんてやめてください!」
ミリーシアが一歩前に出て、ランスに向かって訴えかける。
「たとえ血の繋がりが無くとも、貴方は私の兄です。アーサーお兄様の弟です。お父様の息子です……! 父がどんな遺言書を残していたとしても、私はランスお兄様が皇帝となることを支持いたします。だから、どうか……!」
「そういう問題じゃないんだよ、ミリーシア」
必死になって呼びかけてくる妹に、ランスが困ったような顔をする。
「僕は別に父親から見捨てられて自棄になっているわけじゃないんだ。拗ねているわけでもない。ただ、自分がやるべきことをやろうと思っているだけ。僕を動かしているのは使命感だよ」
「使命感……」
「母の子として……帝国に滅ぼされた『アイオライト王国』の最後の王族としての務めを果たそうとしているだけさ」
アイオライト王国……その国号に聞き覚えはなかったが、状況からしてランスの母親の出身国。ガーネット帝国に滅ぼされた国の名前だろう。
「ランス・ガーネット。お前は帝国の皇帝になりたいんじゃなかったのか?」
カイムもまた問う。
ランスはそのために内乱を起こしてまで、アーサーと戦ったはず。
もしかして、最初から演技をしており、カイム達を謀っていたというのだろうか。
(そうだとしたら、あの戦争は、アーサーやガウェイン、マーリンらが死んだことが茶番だったということか?)
「それは少し違うかな……あの戦い、僕は本気で皇帝になるためにやっていた。ただし、帝国を滅ぼすことも本気だった。それだけだよ」
「……意味がわからない」
「『両賭け』というやつさ。相反する二つの目的を持っており、どっちに転んでも良いように立ち回っていたんだ。父上の……皇帝の遺言書を読むまで、最終的にどちらにするかは決めていなかった」
「…………………………意味がわからない」
長い沈黙の後で、カイムは同じ言葉を繰り返す。
ランス・ガーネットという男の考えがまるで掴めない。
敵であるはずのアーサーの心情は理解し、同調だってできたはず。
それなのに……味方であるはずのランスの思考は同じ人間とは思えない。少しも理解が及ばなかった。
「でも、でも……ランスお兄様……!」
「でもじゃないよ、ミリーシア。僕はもう君の兄であることは止めたし……ついでに白状すると、君の味方だったことは一度もない」
「え……?」
「君をジェイド王国に送った目的は皇帝陛下の唯一の実子を始末するためだ。僕が皇帝になるためにも、あるいは帝国を滅ぼすためにも、どちらにしても君は障害になる。だから、ジェイド王国に送った。そして……あらかじめ雇っておいた盗賊に始末させようとした」
「盗賊……まさか、彼らは……!」
ミリーシアが愕然とした様子でふらつく。カイムが肩を掴んで支えた。
驚いているのはカイムも、そしてレンカも同じである。レンカが言葉を失った主人の代わりに叫ぶ。
「ひ、姫様と私を襲った賊……奴らはランス殿下の差し金だったのですか!?」
「ああ、そうとも。ミリーシアは邪魔者だったし、ジェイル王国の内部で死んでくれたら外交上の都合も良かった。だから、強力な媚薬を渡しておいて、犯してから殺すように命令していたんだ。失敗してしまったけどね」
「「ッ……!」」
ミリーシアもレンカも言葉を失っている。
二人とも盗賊に捕まり、他の従者や護衛をことごとく殺され、薬まで盛られていた。
カイムが駆けつけなければ、女に生まれたことを後悔しながら死んでいたことだろう。
それが……慕っていた兄が裏で糸を引いていたというのか。
ミリーシアが絶望し、屈辱的な死を迎えることを望んでいたというのか。
「盗賊の件だけじゃないよ。港町の領主をそそのかして空賊に交易船を襲わせたり、封印されていたアンデッドの王を甦らせたり、殺し屋を雇って自分を含めた皇族全員の命を狙ったりもしたね。『竜の巣』に毒を撒いてワイバーンのスタンピードも起こしたよ……まあ、これらは君を狙ったわけじゃなくて、マーリン女史の未来予知を狂わせるための『カオス』を生じさせることが目的だけどね」
「そん、な……」
ミリーシアが腰を抜かして、その場に座り込む。
光を失った瞳から一滴の涙が流れ落ちる。
「私は、ランスお兄様にとって……そんなにも邪魔な存在だったのですか? 是が非でも消し去りたいような憎い存在だったのですか……?」
「いいや、それはまったくの不正解だね。僕は君のことを愛しているよ、ミリーシア」
慟哭のようにつぶやかれた問いに、ランスは当然だとばかりに即答する。
「君のことは大切な妹だと思っている。今でもね。アーサー兄さんのことだって慕っている。ただ……私情を仕事に持ち込まない主義なんだ」
「しごと……?」
「ああ、そうだとも。僕には為すべき大仕事がある。それを果たすために必要なら妹や兄はもちろん、母も父も我が子だって殺してみせよう。自分と関わりのあった全ての人間の屍を踏み越えてみせるさ」
迷いなく、ランスが言い切った。
絶望に暗くなったミリーシアのそれとは対照的に……その目はどこまでも純粋で真っすぐ。
自分がやっていることに砂粒一つの迷いも抱いていない、決意の眼差しをしていた。




