226.寿司といふもの
リコスと一緒にデートをしていたところ、予想外の人物……最強最古の殺し屋である『不死蝶』と遭遇してしまった。
『不死蝶』はかつてミリーシアを狙ってきた殺し屋の一人。当然ながら、カイムもリコスも臨戦態勢を取ることになる。
「帝国というのは良い国じゃのう。大陸各地の様々な文化が入ってきて、迎合しつつも交わることなく共存しておる。本当に面白い場所じゃ」
とあるレストランのカウンター席に座って、『不死蝶』がやたらと年寄り臭い口調で言う。
「わっちは東方の出自での。故郷の料理を遠い異国の地で食すことができるというのは、とても安心する。ましてや、それが『寿司』ともなれば猶更じゃのう」
「…………」
カウンター席、『不死蝶』の隣にリコスを挟んでカイムが座っている。
しみじみと語っている『不死蝶』を横目で怪訝に睨みながら、カイムは自分が置かれている状況を振り返る。
偶然か必然か、『不死蝶』と再会してしまった二人であったが……彼女に誘われて、とあるレストランに入ることになった。
当然、断ることもできたのだが……『不死蝶』がどうしてこの町にいるのかわからない。
敵か味方か、目的を聞き出すためにも、ここはあえて誘いに乗った方が良いかと思ったのである。
「寿司というのは土台となるシャリ……酢を混ぜた米を丸めたものにネタを載せて完成する。ネタは主に刺身、つまりは生の魚介類じゃな」
「生魚を喰うってことか?」
「新鮮な物だけじゃな。心配せずとも、まともな店であれば寄生虫は取っておる。腹を下す心配はない」
『不死蝶』がカウンターの向こうにいる店主に目配せをすると、当然だとばかりに無言の頷きが返ってくる。
店主は素手で米を握り、魚の切り身を握り、慣れた手つきで料理を作っていた。
魚を切る際にはもちろん包丁を使っているが、素手で調理をしている姿はなかなか物珍しい。リコスも不思議そうに調理風景に見入っている。
「お待ち」
店主が短く言って、三人の前に皿を並べる。
さらには料理が……『不死蝶』が『寿司』と呼んでいた物がいくつか並んでおり、隣に黒いソースの入った小皿も出てきた。
「食す順番にルールはないが……味が濃い物は後にすることを勧めよう。まずは淡白な白身魚からゆくのが通じゃな」
『不死蝶』が白い具が載った寿司を手掴みして、チョンチョンと軽くソースに付ける。
カイムも『不死蝶』がやっているのを真似して、同じようにして口に運んだ。
「お……!」
口の中でホロリと崩れるシャリ。そこに魚の風味が混じり合って、初めての触感だ。
「美味い……このソース、塩辛いんだけど独特の風味だな。ほんの少し付けただけで魚の味を引き立てている……」
「わかるか? 赤い物も食べてみよ」
「ムッ……こっちは脂がのっていて、白身魚とはまるで違う……!」
米の上に生魚があるだけなのに、どうしてここまで多彩な味を生み出すことができるのだろう。カイムは正体不明の味わいに心から感嘆させられた。
「こっちのは卵焼きか。甘いのが逆に合う……!」
「マグロの後はガリを食うと良い。味がリセットされるぞ」
「アグアグ、モグモグ」
キチンと味わいながら食べているカイムに対して、リコスは一心不乱に口に運んでいた。
皿が空になると、店主が自然と新しい寿司を握って追加してくれる。味だけではなく、おもてなしの心遣いもできた店だ。
「うんうん、よく噛んで食べるんじゃぞ。ほれ、口に米粒がついておるぞ。婆が取ってやろう」
『不死蝶』が布巾を持った手を伸ばして、リコスの口を拭いたりしている。
最初こそ『不死蝶』に警戒していた様子のリコスも、美味な食事に夢中になって敵対心が薄れているようだ。されるがままになっている。
「何というか……母親みたいなことをしているな」
「フフッ、母とは世辞を言ってくれる。わっちなどとうに婆と言われる年齢じゃよ」
カイムの言葉に、『不死蝶』が人懐っこい笑みで答える。
「心配せずとも……わっちはそちらと戦う理由はない。今は子供の行く末を案じているタダの老人じゃ。そのつもりで接してくれると助かる」
「ミリーシアを狙うつもりはないということか?」
「とっくのとうに。依頼もすでに取り下げられておるし、最初から罪もない若者の命を摘むつもりはない」
『不死蝶』は陶器製のカップを手に取り、中に入っているやたら緑の茶を啜る。
「ただ……彼奴は始末しておいた方が良かった気がするがのう。アレは一種の魔物。『人妖』とでも呼ぶべきかのう」
「……何の話だ?」
「生憎と殺し屋としての矜持がある。依頼人については明かせぬのう」
思わせぶりなことを口にしつつ、『不死蝶』が「カッパをくれ」と店主に謎の注文をする。
「まあ、気をつけておれ……その子のことを頼むぞ。若旦那」
「…………」
どうして、リコスのことを気にかけるのかも知りたいが……何とはなしに、訊ねても答えてくれない気がした。
『不死蝶』は緑の野菜を巻いた黒い寿司を口にすると、全員分の勘定を支払って店から出ていってしまった。




