216.リコスの戦いー牡丹灯籠
「はあっ!?」
「なあっ!?」
「クウウウウウウウウウウウウッ!」
突如として現れた謎の少女……リコスによって兵士二人が殺された。
熊が獲物を狩るようにして頭をもぎった少女の荒技を見て、ライズベット伯爵もエベレー侯爵もそろって唖然とする。
「どうして、あの少女はいったい……」
「あの顔……まさか、フィーナか!?」
ライズベット伯爵に続いて、エベレー侯爵もまたリコスの顔がフィーナという女性に瓜二つであることに気がついた。
ライズベット伯爵にとっては愛すべき娘だが、エベレー侯爵にとっては自らの手で殺めた元・婚約者。エベレー侯爵の顔が幽霊でも見たように青ざめる。
「まさか……いや、そうか。あの時の子供か!?」
エベレー侯爵がブツブツと譫言でも口にしているかのようにつぶやく。
「どこぞの男の血が入った子供など見たくもなかったから魔物の餌にするように命じたが……まさか、生きていたというのか」
「エベレー……あの子供がフィーナの生んだ子供だというのか!? そうなんだなっ!?」
馬上であるというのに、ライズベット伯爵が腕を伸ばしてエベレー侯爵の胸ぐらを掴んだ。そのまま馬から引きずり落とそうとするが、エベレー侯爵は強く手を振って振り払う。
「あの子供を捨てたのが二十年……いや、十九年前か! 外見と年齢が合わないが……アはハハハハハハハハハハッ! フィーナ、やはり君は最高の女だよ!」
「何を……!」
「また、もう一度君を殺すことができるなんて最高じゃないか! どうやって生き残ったのかは知らないが……ハハハハハハハハハハッ! よくぞ僕の前に現れてくれたなあっ! ハグしてキスの雨を贈ってあげたいよ!」
エベレー侯爵の顔が狂喜に染まる。
極上の料理を前にした子供のような顔になり、ベロベロと舌なめずりをする。
「あの子供を捕まえろ! 絶対に逃がすな!」
「待て、させんぞ! アレがフィーナの娘だというのなら私の孫だ!」
「黙れよクソ爺! 老いぼれは引っ込んでいろ!」
「この男を止めろ! 殺しても構わん!」
「「「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」」」」
ライズベット伯爵とエベレー侯爵……味方であるはずの二人の配下が仲間内で争い始めた。
掴み合い、殴り合い、いよいよ武器まで抜いて殺し合いを始めようとして……。
「んう?」
そんな混沌の坩堝を見て、リコスが不思議そうに首を傾げる。
彼らは何をしているのだろう……リコスは不思議そうに考え込んでいたが、やがて無駄なことかと考えるのをやめた。
「クオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」
「「「「「ッ……!?」」」」」
突然の咆哮にその場にいた全ての人間が動きを止める。
鳴き声のした方に視線をやると……そこにいたのは年端もいかない幼女ではない。同じ色の髪と瞳を持った妙齢の美女が立っていた。
「フィ、フィーナ……フィーナなのか!」
「冗談だろう……まさか、生きていたというのか……!」
ライズベット伯爵とエベレー侯爵がその姿に目を奪われた。
彼らの視線の先にいたのは在りし日のフィーナ・ライズベットそのもの。
二人が別々の意味で愛した女性が間違いなく立っていたのである。
「フィーナ……ああ、我が娘よ! 戻ってきてくれたのか……!」
「フヒャ、ヒャヒャヒャヒャ……ハハハハ、嘘だろう。ちゃんと殺したはずなのに。肉も皮も骨も残らず僕が食べて……」
「少し黙りなさい。喧しいですよ」
唖然とする彼らに向かって、フィーナという女性そっくりになったリコスがピシャリと言う。
「マスターに戦場には来るなと言われたので、もしかしたらと一縷の希望を持って待ち構えていましたが……それは正解でしたね。ただ、貴方達が私を誰かと勘違いしているのは鬱陶しい限りですけど」
さっきまでクウクウと鳴いていたリコスが大人の姿になった途端に流暢に話し始めた。
リコスは呆れと侮りが混じった目で西軍の兵士達を見やり、両目を眇める。
「事情は知りませんけど……マスターのために倒れてもらいます。大人しくしているのなら命までは奪いません」
「待て、フィー……」
「それでは、参ります」
リコスが滑るような足取りで接近してきた。
あまりにも自然かつ俊敏な動きに誰も反応することができず、ライズベット伯爵の横にいた兵士が顔面を殴られて吹っ飛んでいく。
「なっ……!」
「次です」
リコスが踊るような足取りで兵士達の間をすり抜ける。
もちろん、ただすれ違っただけではない。リコスが足を踏み込むたびに兵士が殴られ、蹴られ、投げられ、踏まれ……次々と地面に倒れ伏していく。
反抗する兵士もいたが、それは意味をなさなかった。リコスは圧倒的な暴力によって相手の抵抗ごと叩き潰す。
「待ってくれ、フィーナ! 私はお前の……!」
「フィーナではありませんよ、御老人」
「ッ……!」
リコスがライズベット伯爵の腕を掴んだ。万力で締められたように掴まれた腕が動かない。
「誰と間違えているのかは知りませんけど……現実を見なさい」
「ヌオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?」
そして……そのまま投げ飛ばして、背中から地面に叩きつける。
「キュウ……」
娘の残影をリコスに見た老人は目を回して、そのまま昏倒した。
「さて……残りは貴方だけです。どうしますか?」
「…………」
いつの間にか二つの貴族家に所属していた兵士はことごとく倒れており、残すところはエベレー侯爵のみとなっていた。
返り血に塗れた凄惨な姿の美女に見つめられて……エベレー侯爵が唇を震わせる。
「ずっと後悔していたんだ……愛するきみを殺してしまったことを」
「…………?」
「僕は君のことを愛していた。心から。だから、君が他の男の子供を孕んだ時には許せなかった。どうしても、自分を抑えられなくなってしまった」
エベレー侯爵がカタカタと上下の歯を鳴らしながらニチャリと笑う。
「だから、殺した」
「…………」
「君の爪を剥いで、皮を一枚一枚丁寧に取って、毎晩のように君を鞭で打って悲鳴を聞きながら眠った。そんな扱いをしたのに君が元気な子供を産み落とした時には本当に驚いた。子供を愛おしそうに見つめる君に嫉妬してしまい、部下に命じて森に捨てさせた。あの時の絶望の表情は忘れられない……ああ、君が死んでしまってからも瞼の裏から離れないんだ!」
「…………」
「だから、同じように人を殺して絶望の顔を楽しむことにしたんだ。いなくなったキミノカワリニ……」
「よくしゃべりますね、この死体は」
「へあ……?」
エベレー侯爵が今さらのように気がつく。彼は地面に倒れていた。
視線を巡らせると、少し離れた場所に自分の下半身が転がっている。骨盤の上にできた切断面から背骨の一部が覗いている。
「ヒ……ヒャアアアアアアアアアアアアア……!」
「話はわかりませんけど……とても鬱陶しかったので殺してしまいました。まあ、これくらいのオイタはマスターだって許してくれるでしょう」
リコスが振り抜いた右脚を下ろす。
目にも止まらない早業。音速に近い速度の回し蹴りによってエベレー侯爵の腰部を両断したのである。
「あああ、ああ……」
「マスターのお役に立つことができて良かったです。できる女は見えないところで頑張るのです…………クウ」
リコスのサイズが縮んでいき、再び幼女の姿となった。
激痛に鳴き声を漏らしているエベレー侯爵の死体を放置して、さっさとその場を引き上げたのである。




