208.開戦ー歓天喜地
「クックック……堪らないな。この空気、この匂い。『実家に帰ってきたような安心感』というのはこういうことをいうのか!?」
戦場の中心にて、西軍の総大将であるアーサーが喜悦に笑った。
周囲からは焼け焦げた煤の匂い。カイムが毒を使って起こした爆発の残留。
耳に聞こえてくるのは怒号と悲鳴。武器と武器がぶつかり合う剣戟の音色。
幾人もの命が散っていく気配を感じながら……アーサーは酷く心地良さそうな表情を浮かべている。
アーサー・ガーネットは戦場で生まれ落ちた。
アーサーの母親は外交で他国を訪れている途中で紛争に巻き込まれ、戦場の真ん中でアーサーを産み落とした。
だからだろうか……アーサーは戦いの申し子としてこの世に生を受けて、殺し合いの最中だというのに凄惨なほど楽しそうな顔をしている。
「…………」
「まったく……暢気なものねえ。ウチのボスは」
アーサーの右側にいる全身鎧の黒騎士……ガウェインは黙り込んでいるが、反対側に現れたマーリンはやれやれといった顔。子供のようにはしゃいでいる様子の主君に呆れ返っていた。
「戻ったか、マーリン」
「ええ、戻ったわよお。とーっても疲れちゃったわあ」
「ご苦労。あの魔法が決まっていたら終わっていたかもしれぬな。大義である」
「大義じゃないわよ……まったく、これだから『魔王級』は厄介ねえ。何度戦っても、戦うたびにウンザリさせられるわあ」
マーリンは妙齢の女性のような見た目ではあるものの、実際には何百年も生きている不老の魔術師だった。
過去に『毒の女王』と同じ『魔王級』の災厄と戦ったこともあり、彼らの恐ろしさを身に染みて理解している。
「北海に船の通れない空白地帯を生み出している『デルタの海魔』。異界より流れてきた狂える猿神『美喉王』。星の彼方からやってきた『不可視の吸血鬼』……そして、今回は国崩しの魔女である『毒の女王』。『魔王級』はいずれも不滅の怪物。そこにいるだけで特大のカオスを発生させるから、正直、私の未来予知は期待しないで欲しいわあ」
「それほどか……」
盟友の言葉に、黙っていたガウェインが重く唸った。
「先ほど、奴の魔法を防いでいたではないか。そこまで恐れるものなのか?」
「そんな簡単じゃないわあ。あの結界のおかげで魔力の八割を失ったわよ」
マーリンが苦々しい顔になる。
容易く毒の息吹を防いだように見えたマーリンであったが……実際、そこまで余裕があったわけではない。
カイムが放った一撃はマーリンの魔力の大部分を削っており、もはや大規模な魔法の行使は不可能である。
「おまけに……彼は爆炎に紛れて姿を消してしまった。これで私達は迂闊に動けなくなったわねえ」
マーリン達はカイムの行方を見失っていた。おそらく、爆発の隙に兵士達の間に紛れたものと思われる。
これでガウェインもマーリンもアーサーの傍から離れられなくなった。万一、二人の不在中にカイムが襲ってきたら総大将を失う恐れがあるからだ。
「狙ってやったのなら、それなりに知恵も回るんじゃなあい? どうして、『毒の女王』が男の姿をしているのかは知らないけどねえ」
「どうでもいい」
マーリンが警戒を促すが……アーサーは一言で断じた。
「誰が相手であろうと、覇道の前に立ちふさがるのであれば叩き潰すのみ。相手が神や魔王であっても変わらぬ。全ての敵と苦難を踏み殺して皇帝となる……ただ、それだけだ」
「「…………」」
勇敢を通り越して蛮勇である。
だが……それを有言実行してみせるのがアーサー・ガーネットという男だった。
誰よりも強く、恐れを知らない……だからこそ、ガウェインもマーリンも彼を次期皇帝とすることを決めたのだから。
「征くぞ、このまま真っすぐランスがいる陣地まで乗り込んでやろう」
「御意」
「わかったわあ、人遣いが荒いことね」
アーサーを中心とした西軍は進んでいく。
圧倒的な力と数の優位をフル活用して、東軍をグイグイと押し込んでいった。




