200.商人の敗北
「ど、どういう意味ですかな、それは……?」
エイブスがようやくランスの言葉を理解したのか、困惑の声を漏らした。
武器を購入したいから金銭を融資してくれ……そういう話ならば、まだ理解することができる。
図々しい話ではあるが、相応の担保を約束してもらえるのならば、エイブスは多少の支援をしても良いと思っていた。
だが……ランスの口から出たのは、さらに図々しい要求。
タダで、無利子で、担保も無しに無償で金を寄こせと言っているのだ。
「そんな冗談を……流石に笑えませんぞ?」
「いやいや、笑わせるつもりはないよ。ちゃんと真剣に聞いてくれないと困るなあ」
ランスはのんびりとした顔でティーカップを傾けながら、なおも言う。
「アーサー兄さんに勝利するためには、どうしてもその武器が必要でね。だけど……困ったかな、そのお金はない。だから代わりに支払ってくれとお願いしているんだ。僕と君の仲じゃないか」
「……どうやら、貴方と話すことは何もないようですな。これで失礼させていただきます」
エイブスが煮えくり返るハラワタを抑えながら、応接間の椅子から立ち上がった。
そんなふざけた要求が本気で通ると思っているのなら、とんだ愚王子である。
(やはり、アーサー殿下の側に鞍替えしたことは正解だったようだ。こんな無茶苦茶な交渉をしてくる男のために人生を棒に振るところだった)
「ところで……君は『湖の乙女』という組織のことを知っているかい?」
「…………!」
応接間を出ようとするエイブスの背中に、ランスが爆弾を投げつけてきた。
エイブスはギクリと足を止めたものの、表情はそのままに振り返って口を開く。
「さて……私は存じませんね。『湖の乙女』とはまた、優美な名前ですなあ」
「アーサー兄さんの側近であるマーリン女史の直属の魔術師でね、彼らがこの町に潜伏して色々と探っていたみたいなんだ。調略も行っていたそうだよ」
「……それはそれは、恐ろしい話ですなあ」
やはり、エイブスは表情を変えない。
熟達した商人である彼は面の皮が他人の何倍もぶ厚いのである。
(私が彼らと内通しているという証拠はない。これは鎌をかけられているだけだ)
「お望みとあらば、私の方でも調査しておきましょう……話はそれだけですかな?」
「いや……その必要はないよ。彼らはすでに壊滅しているからね」
「…………は?」
「峠でアトラウス伯爵を襲撃しようとして、事前に送り込んでおいた刺客によって討たれたみたいだ。とりあえず、一安心だね」
「…………!」
そこで初めて、エイブスが息を呑んで驚きを露わにする。
(まさか……あの連中、しくじったのか……!)
「僕が事前に対処をお願いしていなければ、きっとアトラウス伯爵は危なかっただろうねえ……エイブス、これはどういうことかわかるかな? 僕はアトラウス伯爵についての情報を君にしか流していないんだよ?」
「…………」
問われて、エイブスは沈黙で返す。
この状況になってようやく悟る……どうやら、エイブスはランスに嵌められたようである。
(この男は私が裏切っていることを知っていた……その上で、罠を仕掛けたのだ……!)
あえてエイブスにアトラウス伯爵の参戦、彼らが通るであろうルートについて教えておき、『湖の乙女』に漏洩させる。
その上でアトラウス伯爵を救うための刺客を放っておき、『湖の乙女』を始末させる。
裏切り者をあぶりだし、密偵を始末する一石二鳥の戦略だった。
(この男……虫も殺さぬ顔をしておいて、何という悪辣な……!)
「……無償での金銭的支援は見逃す対価ですかな?」
まだ証拠がない……そう粘ろうと思えばできなくもないが、エイブスは敗北を認めた。
この期に及んで悪あがきをすれば、命まで取られかねない。ならば、交渉で生き残る道を探るべきである。
「支援を拒否すれば処刑する……そう言いたいのでしょう?」
「いや? そんなことは少しも思ってはいないよ」
だが……エイブスの問いに、ランスがおどけた様子で両手を広げる。
「君は優秀な商人だ。おまけにいくつもの商会を束ねる商業ギルドの責任者でもある。君が死んだり失脚したりすれば、少なくない混乱が生じてしまう。だから、そのままの地位でいてもらいたいと考えているんだ」
「…………」
「だけど……僕が負けたら、君は終わりだよね」
ランスが穏やかな笑顔で告げる。
「君は裏切ったふりをして虚報を流し、『湖の乙女』を殺害した……向こう側からはそう見えるよね? 君が漏洩した情報によって、彼らが死んだわけだからさ」
「それは……」
「もしも僕が敗北して、この町がアーサー兄さんに占領されたら……間違いなく、君は殺される。アーサー兄さんは戦争に勝利するために手段は選ばないけれど、どっちつかずの蝙蝠は嫌いだ。自分の側に着くと言っておいて、裏切った形になる君を許さない。確実に殺しにかかってくるだろう」
もしもエイブスがただの商人としてランスに味方していたのなら、戦争の外側のこととして罰金刑だけで見逃してもらえるかもしれない。
だが……虚報を用いて部下を殺した者は許されない。エイブスのせいで『湖の乙女』の魔術師が死んだ、その責任を命をもって取らせてくる。
「だから、君は僕を勝たせなくちゃいけないんだ。多額の資金を無償で提供して、全力で支援しなくちゃいけない。後ろに逃げ道がないのは僕と一緒だってことを忘れないようにね?」
「……承知いたしました」
ランスの話を聞いて……エイブスが長い長い溜息を吐いた。
確かに、逃げ道は塞がれた。
エイブスは何が何でも、ランスを勝利させなくてはいけなくなった。
(ある意味では、命の対価に金を要求されるよりもタチが悪い……)
自分はとんでもない男を敵にしてしまったらしい。
エイブスは自分の判断ミスを呪いながら、肩を落としたのであった。




