196.峠をゆく者
アトラウス伯爵は中立派と呼ばれる貴族の有力者である。
中立派とは、帝城での権力争いから離れて、領地の発展に従事している貴族達のこと。
第一皇子アーサーと第二皇子ランス……二人の後継者争いにも積極的に関わるつもりはなかったが、情勢が変われば立場も変わる。
ワイバーン襲撃から救われたことにより、アトラウス伯爵はランスの側に与することを決めた。
アトラウス伯爵と懇意にしている中立派貴族、彼らの軍勢二万が列をなして峠道を行軍している。
「すまないな、私の事情に付き合わせてしまったらしい」
「気にしないでくだされ、義兄上。我らの仲ではないか」
行軍中の軍隊の中心部にて。
軍の指揮官であるアトラウス伯爵が申し訳なさそうに言い、隣の男性が朗らかな声で答えた。
アトラウス伯爵と共に馬に乗って移動しているのは、彼の義弟であるウィーバー子爵である。ウィーバー子爵はアトラウス伯爵の妹の夫であり、結婚前から家族ぐるみの付き合いをしている盟友だった。
「だが……今回の戦、アーサー殿下よりもランス殿下の方が不利なのは明白。もしかすると、負け戦に付き合わせてしまうかもしれん」
アトラウス伯爵が表情を曇らせる。
アーサーとランス、どちらも一長一短のある皇子であったが……戦いという点においては、アーサーが勝っていた。
両者が真っ向からぶつかれば、ほぼ確実にアーサーが勝利するというのが貴族達の予想である。
「私はミリーシア殿下に恩義がある。故にランス殿下に味方することになったが……お前達にはそんな義理も無かろう」
「水臭いことを言ってくれるな、義兄上。ランス殿下やミリーシア殿下に借りはなくとも、義兄上にはいつも世話になっている」
何でもない事のようにウィーバー子爵が笑い、「それに……」と言葉を続ける。
「正直なところ、私はアーサー殿下を皇帝にしたくはない。あの方が皇帝となれば、確実に周辺諸国に外征を始めることだろう」
それもまた、全ての貴族の共通認識である。
アーサーは戦乱を愛しており、領土拡大の意欲を隠そうともしていない。
アーサーが皇帝となって国を治めれば、友好関係にある国々とも矛を交えることになるだろう。
「そうなれば……我ら中立派の貴族もまた、戦に駆り出されることでしょうな。多くの民が戦火にさらされて命を落とすことになる……」
争いに巻き込まれたくないから中立派でいるというのに、結果として戦争に参加させられることになったら本末転倒である。
「如何に帝国が強国であるとはいえ、四方八方を敵に回して勝ち残れるとは思えません……国を守るため、民を守るためには、最初からランス殿下に味方するしかなかったのでしょうね……」
ランスに味方をして敗北すれば、領地を召し上げられるかもしれない。
それどころか、反逆者として処刑される可能性だってある。
それでも、将来的に国が滅亡することと比べればマシなのだろう。
もちろん、それは不自由な二択。必ずしも答えが出るわけではなかったが。
「そうだな……本来であれば、もっと早くランス殿下の下に馳せ参じるべきだった。ただ、我らには覚悟が足りなかった……」
アトラウス伯爵もまた、ランスに味方するべきだと思っていた。
それができなかったのは、やはり恐ろしかったからだろう。
自分の決断によって領地や領民の命運が左右されるのを恐れて、何もしないという問題の日和見を選んでしまったのだ。
「だが……覚悟が決まったからには全力で戦うだけだ。領地を救ってくれたミリーシア殿下に報いるためにも、これからはランス殿下を皇帝にするために……」
などと会話をしている途中で、ドカンと爆発音が生じた。
アトラウス伯爵もウィーバー子爵も慌てて身構え、暴れそうになる馬を抑える。
「何事だ!」
「わ、わかりません! どこからか爆音が……!」
慌てた様子の部下が報告をしようとするが……再び、ドカンドカンと連続して爆発音。
もしかして、何者かから攻撃を受けているのだろうか。
少なくとも、アトラウス伯爵の見える範囲では何も起こっていないのだが。
「ム……!」
「煙、ですな……」
行軍を止めて様子を窺っていると、遠くから黒い煙が上がった。
「あの煙は……火事か?」
アトラウス伯爵が困惑する。
いったい、何が起こっているというのだろう。
行軍を再開するべきか、いや、まずは状況把握をするべきか……部下に指示を出すべく口を開きかけるが、突如として隣に人影が降り立った。
「なっ……!」
「お下がりください、伯爵様!」
ウィーバー子爵や周りの兵士が慌てて何者かを迎撃しようとするが、現れたのはアトラウス伯爵の見知った人間だった。
「なっ……君は、もしかして……?」
予想外の人物の登場に、アトラウス伯爵は目を丸くして驚きの表情になった。




