172.ガランク山決戦ー拒
「ンッ!」
「ふむ……?」
「パンッ!」と音を鳴らして、リコスが差し出された手を叩いた。
『不死蝶』が両目を大きく見開き、パチクリと瞬きをする。
「フム……何か、不満だったかのう?」
「ちがう」
「わたし、そっちのむれじゃないっ!」
リコスが噛みつくように怒鳴る。
もしもこの場にカイムや他の仲間達がいたのなら、さぞや驚いたことだろう。
普段から鳴き声のような声しか発することのないリコスが、たどたどしい口調ではあるがまともな言葉を話したのだから。
「わたしのむれ、あっち! そっちじゃないっ!」
「……なるほどのう。そういう理屈じゃな」
『不死蝶』が聞き分けのない子供を見るような目になり、困った様子で微笑んだ。
「今の仲間達のことを気に入っているんじゃな? 彼らと共に在りたいのじゃろう?」
「んっ!」
「なるほど、なるほど……わっちにも覚えがある。じゃが……それは千尋の谷を行くような辛く険しい旅路になるぞ」
『不死蝶』は自分の提案を拒んだリコスに、諭すように言葉を連ねた。
その話し振りはリコスを否定するものではない。リコスがどうして提案を突っぱねたのかを心底から理解し、共感しているような口調である。
「我らは人と共に生きることはできる。だが……共に死ぬことはできぬ」
深く強い感情が込められた声音である。
悲しみか怒りか絶望か……様々な感情が複雑に絡み合い、けれど溶け合うことなく定着してしまったような言葉だ。
「我らは人の姿をしているだけで、本質は『魔』。人外の魔物なのじゃ。人間とは寿命が違う。お主が群れと呼んでいる仲間達は、お主よりも先に老いて死んでいく。自害でもせぬ限り、同じ時、同じ場所で死ぬことはできぬのじゃ」
「…………」
「わっちはもう何人も見送った。この場所で、黄泉の入口で友を見送ってきた。だが、この先に進むことは……」
「クウッ!」
リコスが『不死蝶』に向けて殴りかかる。
端正な顔面めがけて、容赦なく拳を振るった。
「ム……?」
機敏で獣のようなスピードの打撃であったが……『不死蝶』がヒラリと舞うように回避する。
「おまえ、うるさい」
「……年寄りじゃからのう。口煩くてあいすまぬ」
顔を殴られそうになったにも関わらず、なおも『不死蝶』の声は優しいものだった。
癇癪を起こした赤子を相手にするような、深い慈愛と余裕が感じさせられる。
「うるさい。わたしは、これでいい」
「このままで良いと申すか。そうか……やはり、若者に年寄りの考えは理解してもらえぬか」
『不死蝶』が溜息混じりにつぶやいて……右手を上げる。
「とはいえ……わっちも幼子の我が儘をそのまま通すわけにはゆかぬ。奈落に落ちることがわかっている子供を放置するのは、ただの怠慢じゃからのう。恨まれることになったとしても、引きずってゆくとしよう」
『不死蝶』の右手に無数の蝶が集まり、風を纏って小さな竜巻を生じさせた。
蝶のはばたきが嵐を起こす……常識ではあり得ない光景であったが、どこか幻想的で優美である。
「己の我をどうしても通したいというのならば、この婆を打ち倒しておいき……【地獄蝶の舞】」
蝶の羽ばたきは勢いを増していき、とうとう攻撃力を持った刃のようになる。
周囲にある草木が切り裂かれて、粉々に刻まれた破片が散った。
「グルルル……ッ!」
しかし……リコスは怯まない。
牙を剥き出しにして、狼のようにうなり声を上げた。
目の前の敵は明らかな格上だが、少しも怯えることなく腰を落として臨戦態勢をとる。
「クウッ!」
そして……目の前で渦巻く風の刃に向けて、果敢に飛び込んでいった。
勇猛に似た野蛮さ。
誇り高くて、それでいてどこまでも乱暴。
恐るべき敵に果敢に立ち向かうその姿は、彼女の育て親である魔狼王とどことなく似ていたのであった。




