170.ガランク山決戦ー蝶
「おい……これはどういう状況だ?」
ディードを撃破して山頂に戻ったカイムであったが……そこでは、異様な光景が広がっていた。
「カ、カイムさん……」
顔を青ざめさせたミリーシアがいる。
その傍らには、ティーとレンカの姿もあった。
「女性の殺し屋が来て、リコスさんが……」
「リコスが……?」
カイムが頭上を見上げた。
そこには黒い球体が浮かんでいる。
直径三メートルほどの球体。よくよく観察してみると、それが黒い小さな何かが密集した物だとわかった。
「アレは……虫なのか?」
「はい……たぶん……」
ミリーシアが震える唇でつぶやいた。
青い顔をしたミリーシアに代わって、ティーが口を開いて説明する。
「変な女が空から現れましたの。その女が黒い蝶を操って、ミリーシアさんと一緒にいたリコスちゃんを浚いましたの」
「浚ったって……まさか、あの中にリコスがいるのか?」
言われてみれば……球体を構成している何かが、黒に赤い模様がある蝶であることがわかった。
無数の蝶が集まって、大きな球体を象っているのだ。
「だが……わからないな。あの黒いドレスの女は姫様ではなく、最初からリコスを狙っていたように見えたぞ」
ミリーシアに寄り添っているレンカが補足する。
「彼女も殺し屋だろうに……どうして、姫様ではなくリコスを……?」
「『不死蝶』ね」
「ロズベット……」
カイムから少し遅れて、ロズベットが山頂に戻ってきた。
「あの黒い蝶は彼女が使役している魔虫……『ヘル・バタフライ』ね。有毒で肉食。数百、数千匹で集まって動物や他の魔物、人間だって捕食することがあるわ。『不死蝶』はあの魔虫を使って標的を殺すのよ」
「まさか……あの中で、リコスさんが……!」
ミリーシアが息を呑む。
見開かれた青い瞳からは、今にも涙の粒がこぼれ落ちそうだ。
「いや……それはないと思うわよ」
ミリーシアの懸念に、ロズベットが首を横に振る。
「『不死蝶』は変わり者の殺し屋で、ターゲットを選り好みするのよ」
「どういうことだ?」
「偏食ってこと」
カイムが問うと、ロズベットが両手を広げた。
「私は殺す相手を選ばない、好き嫌い無く殺せるけれど……『不死蝶』は違うわ。アレは四十歳以上の人間しか殺さない。悪党しか殺さない。人殺ししか殺さない……念のために要注意人物として挙げたけれど、正直、この場に現れるとは思わなかったわ」
ロズベットの言葉が正しいのであれば、『不死蝶』のターゲットにミリーシアは含まれないはずである。
「ましてや……どうして、リコスを狙ったんだ。何が目的なんだ……?」
『不死蝶』という殺し屋は何を考えているのだろう。
どうして、リコスを浚ったのか。目的も考えもわからない。
「とりあえず……リコスを助けないとな」
カイムが地面を蹴って、跳躍する。
高々と宙に飛び上がり、黒い球体を殴りつける。
「ム……!」
ガキンと鈍い音が鳴り、殴った拳が弾かれてしまった。
硬い。ただの虫とは思えない感触だ。まるで岩盤でも殴ったようである。
「これは……魔力によって強化しているのか……!」
カイムが圧縮魔力で攻撃力と防御力を高めているように、魔力を纏った蝶が密集することで岩石と同等以上の堅牢さを生み出していた。
『不死蝶』という女はよほど器用な使い手のようである。
「本気で殴れば破れるだろうが……ダメか」
あの中にリコスがいるとなれば、あまり強い攻撃はできない。
毒だって使えない。リコスまで巻き込んでしまうだろう。
「他の殺し屋はあらかた片付いたってのに……まさか、最後の最後に面倒事が残っていたか」
おまけに、狙われていたはずのミリーシアは無事で、リコスが捕らわれてしまっている。
わけがわからない状況だった。
カイムと仲間達は予想していなかった展開に歯噛みしつつ、黒い球体を見上げていたのである。




