160.殺し屋は罠に飛び込む
とある町。路地裏にある酒場にて。
ギャングによって経営されているその酒場には、無法者や裏社会の人間が集まっており、情報交換や悪だくみをしていた。
「まったく……やってくれたわねえ。ミリーシアちゃんは」
そんな店の一角を占拠している集団がいた。
テーブルの一つで赤いドレスを着たグラマラスな女性がグラスを傾けており、その周囲には部下らしき黒服の男性が十人以上も立っている。
殺し屋組織『カンパニー』のボスである『ミストレス』と呼ばれる女怪だった。
「自分の首が欲しいのなら来いだなんて、思い切ったことをするじゃない。大人しいのは顔だけで肝が据わっているのね」
「如何いたしましょう。『ミストレス』」
黒服の一人が訊ねる。
『カンパニー』はすでにミリーシアを襲撃しており、そして失敗していた。
銃や火薬を使って襲撃を仕掛けたのだが……金や人を消耗しただけで終わっている。
皇族殺害の報酬は多額だ。ミリーシアの暗殺に成功すれば、十分に補填することができる金額だったが……。
「成功すれば、ね……いっそのこと、ここで損切りしちゃうのも選択肢よね」
『ミストレス』が指先でグラスの縁を撫でながら、艶然として溜息を吐く。
損切りというのは相場や博打で使われる言葉である。
将来的に出しうる大きな損害を避けるために、あえて少額の損失を受け入れるという意味だった。
ここで『カンパニー』が手を引けば、すでに出ている人的・物的被害は無駄になってしまう。
その代わり……ミリーシア暗殺に固執することで生まれる損害を避けることができる。
「わざわざ、場所を指定してここに来いだなんて、どう考えても罠じゃない。普通に考えたら飛び込むのは馬鹿のすることよね」
ミリーシアが指定してきたのは、町から少し離れた場所にある岩山である。
見通しが良いために奇襲は難しく、山の上側から迎え撃つことになるミリーシア達が有利な地形だ。
その代わり、山の周りを囲ってしまえば逃げ道を失うことになるのだが。
「監視をさせている部下の報告によると、皇女ミリーシアは間違いなく岩山に向かったとのことです。影武者はありえないかと」
「そうねえ……どうしようかしら?」
「臆しているのか、『商売女』」
「あら……?」
考え込んでいる『ミストレス』に話しかけてきた人間がいた。
ボロボロの黒い服を身に纏った大柄で色黒な男。頭にはターバンを巻いており、顔や手にはいくつもの傷を負っている。
「『墓穴掘りのディード』……貴女もミリーシアちゃんを狙っていたのかしら?」
「『骨爺』が死んだと聞いた」
『ミストレス』の問いに答えることなく、『墓穴掘りのディード』と呼ばれた男がボソボソと語る。
それは会話をしているというよりも、まるで譫言をつぶやいているようだった。
「あの爺は好かなかった。年齢の割に軽薄な性格。癇癪持ちで同業者を見下し、殺すべき命に対する誠意を持たない……つまらない殺しをする男だ。正直、何度始末してやろうかと思ったか数え切れぬ」
「…………」
「だが、それでも顔見知りの知己には違いない。死なば皆、仏である。弔いのために戦うことに何の障りがあるだろう……ああ、あるわけがない。なかろうに」
「そう……やるのね。たぶん、罠だと思うけれど?」
「それがどうした?」
ディードが初めてまともな受け答えをし、踵を返して背中を向ける。
「『商売女』、貴様はそこにいれば良い。標的が殺しに来いと言っている。我には殺す理由がある……なれば、躊躇う理由がどこにあろうか。いや、あるわけがない……なかろうに」
ブツブツとつぶやきながら、ディードが酒場から出ていってしまった。
扉が閉まると……続けて、カウンター席にいた女が立ち上がる。
「わっちも行こうかのう」
「『不死蝶』……」
立ち上がったのはゴシックロリータのドレスを身に纏い、黒と赤の二色の髪をツインテールにした少女である。
外見の年齢は十二、三ほどに見えるが、実際には『骨喰い将軍』よりも長いキャリアを持った最古参の殺し屋。
『カンパニー』や『墓穴掘りのディード』と並んで有名な殺し屋で、裏社会において『不死蝶』と呼ばれている娘だった。
「『墓堀り』に先を越されてはゆかぬからのう。この蝶も蜘蛛の巣に飛び込むとしようか」
ゴスロリの少女がヒール付きの靴でカツカツと床を叩いて、店から出ていこうとする。
それを見て……焦った様子で他の客もテーブルから立ち上がった。
「『皇族殺し』の報酬は俺達の物だ……!」
「古参の殺し屋共に負けるかよ!」
「『骨喰い将軍』がやられたとなれば、名を上げるチャンスだ!」
「わざわざ場所を指定するとは舐めてくれるぜ! やってやるよ!」
彼らもまた、殺し屋だった。
『墓穴掘りのディード』や『不死蝶』に比べるとかなり名前が落ちるが、それでも裏社会で売り出し中の者達。
彼らの目的は金だけではない。
『首狩りロズベット』や『骨喰い将軍』を打倒したターゲットを仕留めることによって、裏社会における自分達の名を上げようとしているのだ。
「『金鎚』に『銀閃』、『茫々鳥』、『首吊り王』……それなりに有名所の者達も参加するようですね。このままでは、私共は出遅れてしまいますが?」
黒ずくめの部下が眉をひそめて、重々しく唸った。
「そう……これが狙いなのね、ミリーシアちゃん」
次々と酒場から出ていく殺し屋達の姿に、『ミストレス』が唇を歪めて嘲笑する。
今回の『皇族殺し』の依頼は早い者勝ち、報酬の争奪戦となっているのだ。
敵はミリーシアとその護衛達だけではない。同業者をも出し抜かなくてはいけない。
今回のミリーシアからの呼び出しが罠であることは、誰しも気がついているのだろう。
それでも……同業者に先を越されないために、飛び込まないわけにはいかない。
他の殺し屋がターゲットを仕留めてしまえば、ここまで追いかけてきた苦労が無駄になってしまう。
「仕方がないわね……分の悪い賭け事だけど、ベットしてあげようじゃない」
『ミストレス』もまた、罠に飛び込む覚悟を決めた。
実際……ここまでお膳立てされたのに逃げてしまえば、裏社会における名声が土に塗れる。
『カンパニー』の社長として、会社の信用を必要以上に損なうことはあってはならないのだ。
「行くわよ。支度をなさい」
「「「「「イエス、マイ・ミストレス!」」」」」
黒服の男達が声をそろえて応えて、戦いに赴くための準備を始めた。
ミリーシアと殺し屋達との戦いは佳境へと近づいていった。




