幕間 孤児院
side 孤児院
帝都にある孤児院では、一人の少女が脱走したことによりそれなりの騒ぎが生じていた。
「ハア、ハア……」
「だ、ダメです……マザー、どこにもいません」
「……そうですか」
孤児院の建物の前に、マザー・アリエッサと修道女が集まっていた。
行方知れずとなった少女を探していた彼女達であったが……残念ながら、見つけることができなかったようである。
先日、アリエッサの古い知己であるミリーシアが孤児院を訪れた。
ミリーシアはアリエッサにとって、親友が産み落とした娘であり、自身にとっても我が子のような存在である。
少し前から行方知れずとなっており、心配していたのだが……現れた時には、まさかの男連れだった。
貞淑だったミリーシアが明らかに恋人以上の距離で男と接しているのを見て、アリエッサは内心で驚かされたものである。
ミリーシアがアリエッサのところを訪れた理由は、王宮で起こっている政変について情報を集めるため。
そして、一人の少女を孤児院に預けるためだった。
アリエッサは今でこそ孤児院の院長という立場だが、かつては王都の神殿の大司祭をしており、王宮の事情にも精通している。
知る限りの情報をミリーシアに与えたのだが……問題はミリーシアが帰った後で生じた。
ミリーシアが大金と一緒に孤児院に預けていった少女……リコスが脱走してしまったのである。
預けられた当初こそ大人しくしており、与えられた菓子を食んでいたリコスであったが……やがてミリーシアらから置いていかれたことを悟ったのだろう。暴れ出して、孤児院から脱走しようとした。
仕方がなく、建物の三階にある一室に軟禁していたのだが……窓から飛び降りて逃亡してしまったのである。
「まさか、あの高さを飛び降りるだなんて……子供とはいえ、驚くべき身のこなしです……」
リコスを追いかけていた修道女が、ゼエゼエと息を切らせる。
今でこそ修道女をしているが、彼女はかつて冒険者として活動をしていた。
怪我で引退し、修道女としての道を歩くようになったのだが……いかに現役を退いたとはいえ、子供に追いかけっこで負けたに驚いている。
「狼の魔物に育てられたと言っていましたからね……過酷な環境で生きていれば、子供であっても逞しく育つものです」
アリエッサが落ち着き払った声で言い、ゆっくりと首を振る。
「……もう探す必要は無さそうですね。おそらく、彼らのところに帰ったのでしょう」
「彼らといいますと、ミリーシア様のところですか?」
「ええ……出来ることなら、神の教えによってあの子のことを救いたかったですけど……こうなった以上は仕方がありません。せめて無事を祈りましょう」
「マザー・アリエッサ、もしかして、貴女はあの子供のことを知っていたのですか?」
修道女が訊ねると、アリエッサは「さて、どうでしょう」と曖昧に微笑んだ。
「あの子の顔を見て、思い当たることがあったのは事実です。ただ……それを確認するよりも先に、逃げてしまいましたが」
アリエッサはリコスとよく似た女性のことを知っていた。
フィーナ・ライズベット伯爵令嬢。
帝国西部に領地を持っているライズベット伯爵家の令嬢であり、二十年近くも前に家を追い出されて行方不明になっている女性だった。
彼女が追い出されることになった原因は、不義の子を孕んだことである。
婚約者がいながら、別の男性との間で子供を作ってしまい、フィーナ嬢は家を追われることになってしまった。
孤児院に預けられた少女……リコスはフィーナ嬢と瓜二つの容姿をしており、明らかに血のつながりを感じさせられた。
「本来であれば、フィーナ嬢は私が管理していた修道院に預けられることになっていたのですが……修道院に向かう途中で何者かの襲撃を受けてしまい、行方知れずとなってしまいました」
アリエッサは悔恨に表情を曇らせる。
娘を家から追い出したライズベット伯爵であったが、別にフィーナ嬢を路頭に迷わせるつもりはなかった。
親交のあったアリエッサの管理下にあった修道院に任せて、保護を頼んでいたのである。
婚約者の手前、罰を与える必要があったが……やはり娘を憎むことはできなかったのだろう。
(しかし、彼女はいなくなってしまった。表向きは夜盗に襲われたことになっていますが、襲ったのはおそらく……)
フィーナ嬢の元・婚約者。
婚約者に裏切られた悲劇の青年であるエベレー侯爵令息だろう。
エベレー侯爵令息は嫉妬深く、婚約者の裏切りを許さなかった。
自分以外の男の子を孕んだフィーナ嬢が修道院に預けられ、そこで安穏として暮らしていくことを受け入れられなかったのだ。
証拠はないが、関係者の大部分がエベレー侯爵令息の関与を確信していた。
「リコスさん、大丈夫でしょうか……それにミリーシア様も」
修道女の一人が、心配そうにつぶやいた。
狼に育てられるという稀有な生涯を歩んでいたリコスも、これから政争に巻き込まれることになるであろうミリーシアも、歩む道は険しく困難に満ちている。
「そうですね……因果というのは皮肉なものです」
アリエッサもまた、二人の先を案じて溜息をつく。
リコスがもしも本当にフィーナ・ライズベット伯爵令嬢が産んだ子供であるのなら、彼女を巡って騒動が起こることだろう。
何故なら……フィーナ嬢の父親であるライズベット伯爵も、元・婚約者であるエベレー侯爵令息も、どちらも第一皇子アーサーを支持する派閥に属しているのだから。
「……もしもミリーシア様がランス殿下を支持するようであれば、二人とどこかで戦うことになるでしょうね」
因果は巡り、やがて一つに収束する。
リコスと名付けられた少女がミリーシアと出会ったことも、こうして孤児院から逃げ出して彼らと合流したことも。
あるいは……何かによって決められた運命なのかもしれない。
「……祈りましょう。あの子達の未来が明るいものであることを」
「…………はい」
修道女らは暗い表情で頷きを返して、孤児院の建物に入っていく。
アリエッサも後に続こうとするが……ふと足を止めて立ち止まった。
「あ……」
一つの事実に思い至り、アリエッサは眉をひそめた。
リコスという名前の少女がフィーナ・ライズベットの娘であるとしたら、一つの疑問が生まれることに気がついたのだ。
「フィーナ嬢が行方不明になったのは二十年近くも前。ということは、あの少女の年齢は……?」
少なくとも、十八歳は超えていることになる。
どう見ても十歳かそこらにしか見えなかったというのに、まさかミリーシアよりも年上なのだろうか?
「…………ま、まあ、いいでしょう。考えないでおきましょうか」
アリエッサはうすら寒いものを感じて、脳裏に生じた疑問を振り払うのであった。




