105.逃亡者
「ハア、ハア……」
「大丈夫ですか、姫様?」
「だ、大丈夫です……レンカ」
暗い路地裏に潜伏しながら、ミリーシアは従者の言葉に息も絶え絶えに答える。
どう見ても大丈夫そうには見えなかったが……兵士に追いかけられながら、這う這うの体で王城から逃げてきたのだから当然だろう。
帝国の皇女であるミリーシアは長兄アーサーと顔を合わせて話をして、決別した結果として城から逃げてきた。
アーサー配下の兵士から追いかけられ、レンカとティーが包囲を破ったおかげでどうにか切り抜けることができたが……多勢に無勢である。徐々に逃げ場を無くしてしまい、街の路地裏に隠れ潜んでいた。
「ごめんなさい……二人とも、私が足手纏いになったせいで……」
息を整えながら、ミリーシアが申し訳なさそうに言う。
自分が足を引っ張っている自覚があった。ミリーシアさえいなければ、騎士であるレンカと獣人のティーだけであれば、逃げおおせることもできただろう。
「姫様……私は姫様の騎士です。主人を置いて逃げるわけがありません。どうかお気になさらず」
「ミリーシアさんのためではありませんの。カイム様に頼まれたから守っただけですの」
レンカが気遣うように言い、ティーも肩をすくめる。
「謝るよりも先に、ここから脱出する方法を考えますの。このままだと、カイム様と合流できませんの」
「そうですね……どうにか、合流ポイントに行かないと」
事前の話し合いで、はぐれた時には帝都の外で合流するように決めていた。このまま路地裏に隠れていたら、カイムと合流することができない。
「どんどん兵士が増えていますね……おそらく、城門も閉ざされているはずです。突破は至難でしょう」
路地裏からそっと大通りを覗いて、レンカが難しい顔になる。
時間が経つにつれて、どんどん追手が増えていた。このままでは、捕まるのも時間の問題だった。
「こうなったら……私が囮になります」
「レンカ!?」
「姫様、全員で切り抜けることはできません。私が追手を引きつけますから、どうか帝都を脱してください」
「ッ……!」
レンカの提案に、ミリーシアが声にならない悲鳴を上げた。
ミリーシアにとってレンカは長い年月を共にした、最も信頼できる人間である。
失うことなど考えられない。手足のような存在だった。
「レンカ、どうか馬鹿なことはやめてください! 一緒に逃げましょう!」
「姫様、私は騎士です。主のために命を燃やすのは当然です。どうか私のことなど気にしないでください」
「レンカ……ダメです、許しません……!」
「姫様、どうかご理解を……!」
主従が路地裏で言い合いを始める。
お互いを思い合う、とても美しい光景だったが……残念ながら、状況が悪かった。
「いたぞ! こっちにいるぞ!」
「ッ……!」
悠長に言い合いをしているうちに、兵士に見つかってしまったようだ。
ティーが困ったように眉尻を下げて三節棍を構える。
「どうやら、見つかってしまったようですの。もう選択肢はありませんわ」
「クッ……是非もないか。姫様だけは守って見せる……!」
兵士の叫びを聞いて、どんどん敵が集まってきた。路地の前後に兵士が壁となって立ちふさがり、三人の逃げ道をふさぐ。
こうなったからには……もはや強行突破しかない。力づくで兵士を排除して、帝都を脱出するしかなかった。
レンカとティーは絶望的な戦いに臨むことを覚悟して、ミリーシアも決意に表情を硬くする。
しかし……そこでふと甘い匂いが香ってきた。
「紫毒魔法――『夢魔の囁き』」
「なっ……」
路地裏に紫色の霧が立ち込めて、甘い匂いで満たされる。
霧を吸い込んでしまった兵士達が次々と地面に倒れて、昏倒していく。
「どうやら、ギリギリで間に合ったようだな」
「…………!」
頭上からかけられたのは慣れ親しんだ声である。
三人が弾かれたように顔を上げると……建物の屋根の上に、幼女を肩に載せた男が立っていた。
「カイムさん……!」
「カイム様!」
それは三人が愛してやまない男……カイムである。
カイムは狼少女のリコスを肩に載せた状態で三人を見下ろし、安堵に息をついていた。
「遅いではないか。待ちくたびれたぞ!」
「間に合ったんだから良いだろう。文句をいうなよ」
責めるようなレンカの言葉に言い返し、カイムが路地裏に飛び降りた。
「そんなことより、さっさとここを離れるぞ。あまり長居するとお前達まで眠っちまう」
「これはカイム様がやったんですの? それにどうしてその子がいるですの?」
「毒で眠ってもらった。弱い毒だから、すぐに目を覚ますだろう。コイツのことは気にするな」
カイムは紫毒魔法で睡眠効果のある毒薬を生成して、霧状にして周囲に散布したのだ。
カイムは類まれな武人であったものの、魔法使いとしての練度は高くない。大雑把で精密な魔法の操作には不得手なのだが……それでも、道中で練習を積んだおかげで死なない程度には毒を調整できるようになっていた。
「やはりこの霧は毒なんですね? どうして、私達は平気なんでしょう?」
ミリーシアが首を傾げながら疑問を口にした。
紫色の霧を三人も吸い込んでいたが、兵士達のように昏倒する様子はない。男性にしか効かない毒なのかと思ったが、カイムの肩の上でリコスがハンカチで口と鼻を覆っている。
「お前らは俺の毒をこれまでにも体内に入れているからな。耐性があるんだろう。それよりも……急げ。騒ぎを聞きつけて人が集まってくるぞ」
「わかりました、行きましょう」
路地裏には多くの兵士が倒れている。いずれ、騒ぎになることだろう。
カイムはミリーシアらを連れてその場を離れ、帝都から脱出するために城門に向かっていった。




